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私自身の喪失体験から、グリーフケアに関する情報を発信して参ります。

最近評判になっているChatGPT(チャットジピィティ)のグリーフアドバイスを 取り上げました。

2023-07-22 03:13:22 | グリーフケア
最近評判になっているChatGPT(チャットジピィティ)のグリーフアドバイスを
取り上げました。ChatGPTはAIが答えるチャットシステムですが、私はこのChatGPTにこう質問しました。(愛する人を亡くし寂しい時は、どうすればいいのですか?)
不謹慎だとは考えないで下さいね。

私が考えたのは人間の喪失の悲しみをAIがどのように答えてくれるかと思ったからです。これからの時代はAIを抜きには語れませんよね。そのAIに人間の考えとは異質のどのような答えがでるか、また、AIの答えの中に参考になる答えが導き出せるのかと考えるからです。
では、そのAIの答えをご覧下さい。

ここよりAIの回答です。
愛する人を亡くすという経験は非常につらく、寂しい気持ちに襲われることは自然なことです。このようなときは、以下のような方法を試してみることで心のケアを行うことができます。

悲しみを受け入れる:悲しみや寂しさは自然な感情であり、それを感じることを否定せず、受け入れることが大切です。感情を抑え込むのではなく、自分の心に素直に向き合いましょう。

サポートを求める:一人で悲しみを抱え込まないようにしましょう。家族や友人、信頼できる人に対話を求めることで、気持ちを分かち合うことができます。

儀式や追悼の場を持つ:故人への思い出を共有し、追悼の場を持つことで、心の整理をすることができます。故人への感謝の気持ちを形にすることで、穏やかな気持ちになることができるかもしれません。

自分を大切にする:悲しみの中でも、自分自身を大切にすることが大切です。適度な休息をとったり、好きなことに時間を割いたりすることで、心身のバランスを保つことができます。

専門家のサポートを受ける:悲しみが長期間続く場合は、心理カウンセリングやサポートグループに参加することを考えてみてください。専門家の助けを借りることで、感情を整理する手助けをしてもらえるかもしれません。

日記を書く:感情を整理するために、日記を書くことを試してみてもいいでしょう。自分の気持ちや思いを文字にすることで、気持ちを整理することができます。

新たな興味や趣味を見つける:少しずつ新たな興味や趣味を見つけることで、気分転換を図ることができます。新しい活動に取り組むことで、心に活力を与えることができるかもしれません。

悲しみを癒す過程は個人によって異なります。自分に合った方法を見つけ、少しずつ前に進むことを大切にしてください。時間をかけて心の傷を癒し、故人をいつまでも心に大切にし続けていくことが大切です。

AIの回答はここまで
如何でしたか、人間の答えと全く変わらないですよね。当然と言えば当然かもしれません。なぜならAIと言ってもデータの収集はインターネットの世界からAIがデータを集めるだけですから。当然ですよね。

https://griefadvice.com/
グリーフアドバイスのサイトでは、グリーフケアに関するコンテンツを掲載しています。
一度お立ち寄り下さい。

大切な方を亡くされたあなたへ

2023-06-10 15:03:31 | グリーフケア
今日はユーチューブ動画より
武田正文の仏心チャンネルの
大切な方を亡くされたあなたへを取り上げました。

本日のテーマは大切な方を亡くされたあなたへ
ということで、大事なご家族、お友達、恋人など
死別され、お別れになってしまった方いらっしゃろーかと思います。
お坊さんの話が聞いてみたいと思われる方の中には、
こうした、大事な方を亡くされたときにどのように考えればいいのか、
そういった思いでお坊さんの番組をご覧になっていただいている方もおられるのでは
ないでしょうか。本日は大事な方を亡くされた時の
私たちの心について心理学と、仏教から少しお話しさせていただこうかと思います。


心理学の分野ではグリーフケアということがなされています。
大事な方を亡くされた時の悲しみ、悲嘆をどのように考えればいいのか、
それについてさまざまな研究がされています。
大事な方を亡くされた後、私たちの心は大きく揺れ動くわけです。
大きなショックを受け心と体に変調をきたすわけです。
気持ちが明るくならない、体調が悪くなったり、食欲がなかったり、
眠れなくなったり、突然に涙が出てしまったり、いろいろなことが起こるわけです。


そうした悲しみを抱えている方にグリーフカウンセリングといって、その悲しみを穏やか
に話しをしていただく、その中でゆっくりと受け入れてもらうということも
心理学ではなされています。
しかしながらいくら話しても、いくら話しても、なかなか
大切な方を亡くされた悲しみは癒えなかったりするわけです。
その中にはいろいろな思いがあるのではないでしょうか。
特に気になるのが亡くなられた方が今どうなっているのか、
そのことについて気にしておられる方も少なくないと思います。


私たちのお寺は浄土真宗のお寺でございます。
真ん中におられる仏様は、阿弥陀如来という仏様になります。
阿弥陀如来様のお救いの働きは、2つあると言われております。
一つ目は、先に亡くなられた方をお浄土の世界に連れて行ってあげて、
そこで、仏様にして下さると、こう言われています。
お寺の前方一段高くなっている所を内陣とお呼びしますが、
ご覧になっていただければ大変美しい世界が想像されています。


この内陣は仏説阿弥陀経というお経をもとに、お浄土の世界がこういう風な形であろう
と、想像して作られているのが、内陣でございます。先に亡くなられた方はこうした美しい
世界に行き、そこで仏様になられ、これから先は仏様として私たちのことを見守ってくださる訳です。
そしてもう一つ、阿弥陀さまのお力には、亡くなられて仏様になられた方を、今こうして残されている
私たちのところに、返してくださるという働きがあると言われています。
皆さんも先に亡くなられた方のことを思い、色々な思い出にふけったり、
こういう時にあの人がいてくれたら、こうやって言ってくれただろうなと、
色々な想いが蘇ってくるのではないでしょうか。


そういった折々には、仏様が私たちのところに来てくれて、私たちにいろいろ声をかけて
くださっているのかもしれません。
一番寂しくなる気持ちになるのは、亡くなってしまうと顔が見えなくなる、
そしてお話ができなくなるということがある訳です。
私たちが手を合わせ、南無阿弥陀仏と申しますのは、
声の仏様となって私たちのところに来てくださっている訳です。
南無阿弥陀仏というのは、私たちが仏様に感謝の気持ちを届けたい、
そういう思いとともに、仏様が私たちのところに届いてくださっている、
そういった思いが込められているお念仏でございます。

大切な方を亡くされた方は、なかなか自分の気持ちに整理がつかない
そういった方もあろうかと思います。
心理学で考えると、私たちの心が整理がつかないというのは、
仕方がないことでもあります。私たちはお見送りすることを、
お通夜や葬儀を通し、その儀礼の中で徐々に心の整理をつけて
いく訳です。その後の法事、一周忌、三回忌、七回忌と続きます。
数年おきに続く法事も、定期的にその方思い出し、
私たちの気持ちを整理をつけるわけです。


そしてこの法事、お葬式、その中では先に亡くなられた方が
私たちに今、命を大事にしてください。
人間の命には終わりがある、だからこそ周りの人と優しく、
幸せに過ごしてくださいねということを、私たちに気づかせてくださるためのご縁で
ございます。悲しい気持ちを抱えながら生きていくのは大変辛いことです。
そして時々思い出した時に、また調子が悪くなることもあります。
しかしながら、そういった姿を仏様は大丈夫だよと。
悲しいのも仕方がないけれども、私たちはきちんと見守っている。


そしていつの日か、皆さんが同じように命亡くなられたときには
お浄土で待っておりますので、またお会いしましょう。
今、一生懸命生きておられる姿もきちんと見ております。
お念仏をしておられるときには、すぐそばにいるのでしっかりと頑張って生きてくださいね。
ということを、仏様はおっしゃっているのではないでしょうか。
この仏心チャンネルでは、仏教や心理学、私たちが悲しい時、苦しい時、
どのように考えていくのか少しずつご紹介していこうと思います。
ご質問やこういった話が聞きたいというリクエストが、
ございましたらコメントをいただけると嬉しく思います。
またお参りいただける方はチャンネル登録をよろしくお願いします・
それではまたのお参りをお待ちしております。
武田正文の仏心チャンネルまたのお参りをお待ちしております。
チャンネル登録よろしくお願いします。
引用ここまで

ここよりグリースアドバイス運営者のコメントです。
如何でしたか、私は、下記の文言がこころに残りました。
「そしてこの法事、お葬式、その中では先に亡くなられた方が
私たちに今、命を大事にしてください。
人間の命には終わりがある、だからこそ周りの人と優しく、
幸せに過ごしてくださいねということを、私たちに気づかせてくださるためのご縁で
ございます」
このような語りを言えるのは、やはり仏心のある方の発言だと思います。
このように言って貰えると本当に心が安らぎませんか。私は本当に
そうだねと、納得しました。
私のサイトには、今回のユーチューブ動画へのリンクを貼っています。
お時間がありましたら、一度お寄り下さい。お待ちしています。
グリースアドバイス運営者  深井

喪失とトラウマが引き起こす症状

2023-06-01 16:38:19 | グリーフケア

喪失とトラウマが引き起こす症状

(引用ここから)
症状1,
失ったモノを思い出して辛くなる。
大切な何かを失ったり、トラウマになるような体験をしたとき、
まずやってくるのは心の苦しみです。
まともにものが考えられなくなり、食事や入浴など当たり前の作業も困難になります。
こうした苦しみの中で、私たちは多くの初めてを経験します。
あの人を失ってから初めての食事。あの事件が起こってから初めて一人で過ごす夜。
このような日々は長ければ数ヶ月続きます。
もう戻ってこないと思うと目の前が真っ暗になり、深い悲しみに襲われます。


しかし悲しみは病気ではありません。
正常な心の働きです。焼き付くような痛みも時間と共に薄れていきます。
時間は回復に欠かせない要素です。
大抵は半年ほどで最もつらい時期を受けますが、
傷の深さや生活の影響度によっては、それより長くなります。
いつまでたっても立ち直れない場合、喪失とトラウマに人生を支配される危険があります。
以前を楽しかったはずの物事にも、興味が亡くなり悲しみと痛みが心を埋め尽くします。
過去の体験に閉じ込められ、人生が停止してしまうのです。


症状2、
自分が何者かわからなくなる。
喪失やトラウマを経験すると、
それまでの現実が一気に覆されます。
ときには自分という存在が根本から揺らいでしまうこともあります。
喪失やトラウマを体験した人の多くは、アイディンティティの再構築を迫られます。
例えばそれまで会社人間だった人が職を失う、
運動好きだった人が進退能力を失ってしまう、
そんなときはいったん立ち止まり、自分を見つめなおす必要があります。
今の自分には何が大事なのか何をすれば、自分らしさを取り戻せるのか。
それが見つからなければ心の穴埋まりません。
自分が何者なのか分からないまま失ったものの大きさに打ちひしがれ、
世の中をさまよい続けることになるのです。


症状3,
世界がわけのわからない場所になる
世界を理解したいと思うのは人の基本的な欲求です。
わたしたちは自分なりのやり方で、世の中な仕組みを理解しています。
何を信じ、世界をどう解釈するかによって、人の行動は変わってきます。
ある人は、神の意思が世界を動かしていると思っていますし、
別の人は、因果応報がこの世の理だと思っています。
あらゆることには理由があると思っている人もいれば、
全部ただの偶然だと思っている人もいます。


世界が公平だと思うか、不公平だと思うか、
努力は報われると思うか、意味だと思うかは、すべて人の世界観が決めることです。
そうした認識の枠組みを創出やトラウマ体験は根底から揺るがします。
それまで信じていた世界が崩れ去り、訳の分からない世界になぎだされるのです。
答えの出ない問いが頭から離れなくなり、思考は同じところをぐるぐると回り続けます。
なぜあんなことになってしまったのか、あの時自分がこうしていたら何かが変わっていたのか、
大抵は半年ほどで自分なりの落とし所が見つかりますが、何年経っても答えが出ないこともあります。


過去に起こったことが消化できなければ、新たな現実を生きることはできません。
それを防げるためには、なるべく早いうちに新たな世界観構築をすることが大切です。
起こったことを受け入れ、それを含めて世界を見ることができれば、無数のもしもも徐々に
消えていきます。
手当は、早いほど現実への適用も早くなり、心的外傷後ストレス障害に苦しむ危険も減少します。

喪失トラウマの対処法
対処1,心の痛みを和らげる
話すことが癒やしにつながるとよく言われますが、話さない方がいいこともあります。
脳科学の研究によると、私たちは思い出すことによって記憶を少しずつ書き替えているそうです。
心の痛みが癒えない段階で詳細に思い出すというやり方は、出来事の記憶と心の痛みをセットにして
頭に書き込んでいるようなものであり、元になった出来事を思い出すたびに強い苦しみを味わいます。
話すこと自体が悪なのではありません。
話したいときは好きな時話すがいいです。ただし、話したくない人に、喋らすの危険です。


話したくない人たちは、話さないことによって気持ちをうまく処理している可能性がある
からです。大切なのは自分の気持ちを無視しないこと、話したいと思えば話、
話したくなければ話さなくていいのです。話したいのに身近に話せる相手がいないなら、
なくなった人に手紙を書くという方法もあります。
生きているうちに伝えたかった想いを言葉にすれば、気持ちがいくらか落ち着きます。
どんなやり方を選ぶにせよ焦りは禁物です。心の傷を癒すための一番の薬は時間なのです。


対処2,
悲しみから意味をつかみ取るステップ3
耐えがたい経験から、うまく立ち直るためには辛い経験を人生の中に正しく位置付け、
そこから自分にとって大事な意味を読み取ることが不可欠なのです。
意味づけのプロセスは、理解の段階、工程の段階に分けられます。
理解とは起こった出来事を、人生の枠組みの中にうまく配置し、
筋の通った説明を見つけること。工程とは、辛い出来事の中にも、少しでもポジティブな面をつけること。
例えば、人生の有難目に気付いた、人生でやりたいことがわかったなど、
気づきを得ることができます。


工程のプロセスは、回復がある程度進んでから始まります。
ステップ1,
どのようにではなく、なぜを問う。
心の傷を残すような出来事が起こると、その場面を何度も思い出してしまいます。
このループから抜け出すためには、思い出すときの考え方を少しだけ書いてみましょう。
どのようにと考えるのはやめて、なぜと考えるのです。
するとあなたの側面が見えてきて、出来事の本当の意味に一歩近づくことができます。
なぜという介は私たちの知恵を広げます。
バラバラだった物事がつながり、より豊かな文訳で事態を整理するようになります。
単に被害者として悲しむのではなく、その意味を主体的に考えられるようになるのです。


ステップ2,
もしもこうだったらと考える。
嫌な事が起こったとき私たちはもしもこうだったらと考える傾向があります。
こうした思考は一見ただの現実逃避に見えます。
しかし科学的には有用であることがわかっています。
もしもを考えることは、現実逃避ではなく、そうなるべくしてなったと納得するための大事
な一歩なのです。なぜかというと、同じようにもしもという考えは抽象的な思考を必要とします。
物事の間に、慣例を探し様々な側面を分析しより大きな視野で現実を捉える作業です。


堂々巡りの思考を打ち破り、新たな理解に到達する第一歩になるのです。
そのためのコツは、いい可能性だけではなく、悪い可能性を考えるということです。
こうしていたらあんなことは起こらなかったと考えるだけではなく、
もしもこうしていたらもっと酷いことになっていたと考えるのです。
このつの思考を組み合わせることで起こってしまった現実を人生にうまく位置付ける
ことができます。


ステップ3,
教訓や今後に生かせる何かを見いだす。
どんな耐え難い体験も終わってみれば何かを与えてくれます。
喪失やトラウマ体験に意味を見いだすためには、そこから学べる教訓や今後に生かせる
何かを見つけることが大切です。
それは簡単なことではありません。それでも何か得られるものが見つければ自分のやる
べきことがわかり、人生の確かな手答えが生まれます。
次回は好奇心の期待方についてお届けします。
お楽しみに
最後までご視聴いただきありがとうございました。

引用はここまで

ここからは運営者の感想です。
私自身も喪失によるトラウマを抱えています。
今でも、時折、何の前触れもなしにトラウマと言うものは
出現します。本当に辛い気分を何度も味わっています。
今回の対処法が何等かの救いになれば幸いです。
グリーフアドバイスでは今回のユーチューブ動画への
リンクを掲載しています。時間があれば一度お立ちより
下さい。

5月15日で7年目の命日を迎えました

2023-05-23 20:29:37 | グリーフケア
2032年5月15日で7年目の命日を迎えました

早いもので、逝去してから7年目を迎えました。
7年目を迎えるまでに何度、亡き妻への後悔と懺悔の気持ちを抱いたかは本当に数え切れません。中でも後悔は本当にあの辛い看病の日々の時に、只、看病していた だけの日々を今は後悔しています。今、もし、あの看病の日の最中ならば私はきっと妻のベッドの側に一日だけでも 添い寝してやれば良かったとの気持ちで一杯です。当時、考えもしなかった気持ちです。病床で毎日床に伏していた 妻の気持ちを、本の少しでも癒やしてやる事が出来たのではないかと思われてなりません。只、毎日24時間同じ病室 で看病はしていましたが、もっと彼女の気持ちに添ってやれば良かったとの後悔が残ります。今、何らかの事情で私と 同じような看病されている方がいらしゃれば、ぜひ一度で良いので添い寝してあげれば本当に喜ばれるのではないかと思います。

グリースアドバイス運営者 深井

うつ病の自分との向き合い方

2023-05-15 20:23:03 | グリーフケア

うつ病の自分との向き合い方

今日はユーチューブ動画から大寓和尚の相談サイトから

「うつ病の自分との向き合い方」を文字起こししました。

うつ病になってしまった自分は情けないというお悩みです。23歳の女性、システムエンジニアをされているということですね。いろいろとうつ病になってしまったというきっかけが、この人は入社一年めいらしいですね。大学を卒業して、新卒で、そのまま会社に入って、まだ1年目。上司との関係、同期との関係、それから自分の体調管理不足
そういったものが重なって胃が痛い、頭が痛い、お腹が痛いと言うことが日常化してしまって,食欲が減って、生理が不順になって見かねた親御さんが心療内科へ一緒に連れて行ってくれてそれで、病院の方でうつ病というふうに診断をされて、そして、先生の方からは「仕事を休みなさい」と「休職しなさい」というふうにして言われた。


けれども、やはり、周りの友達は大学を出たばっかりで,あるいは高校なのかなぁわかりませんけれども、新卒で入って、就職して頑張っている。まだ1年目なのにそれが情けないという。そいう気持ちもある。仕事でいろいろと上司の問題とか、いろいろとあったんにせよね、トラブルがあったにせよ、1年目で、まだ就職したばっかりで、うつ病になって、やめるっていうそういう自分の根性のないようなことをしたくないという、そういうのもある。


お医者さんは「休職しなさい」と、「休みなさい」と言うけれど、さっき言ったように、周りの目もあるし、もし休職してしまって、そいうことで精神的に悩んで休職しますと、どう書くかはわかりませんけどそれなりの理由を提出しなきゃいけないですね。会社の方に。それで提出をして、あるい一定期間を休むと、それでまた復職をするということが恐らくできないんじゃないか、そう考えていくと、もちろん自分体調が悪いし、鬱になってしまったという、自分も情けないし、お医者さんが「休め」という気持ちもわかるし、でも、やはり、逃げている自分も嫌だしそれから、また就職できるかどうか分からないしどうしていいかわからないという状態ですね。


そんなことでのお悩みなんですけれど、まずこの人の問題点というのはちょっと合えてあげて見たいと思います。やはり鬱になる人って非常に真面目だったりとか、すごく周りのことを気遣う悪い言い方すれば、気にする。そういう状況にあります。逆に何も気にしない人とか、何も周りに気を使わないというタイプの人。そんな楽なことがあったらいいですけど、結構私も気遣いなので、いろいろ気にしてしまうことがあります。自分のレベルでですよ。


けど、やはり、気にするっていうのも一つの能力なんですよね。でも、そこがあまりセンサーが過敏だと当然ちょっとしたことですぐ反応してしまうということになれば、それは生活しずらいので、できる限りそういった状況を、じゃない風にしたいなと思うわけですね、まさか多くの人が自分がね、鬱になるなんてことを考えもしないで、頑張れる人間だと思ってて鬱になっちゃう。

例えば学生時代にスポーツなんかで全国大会に行ったりとか、ものすごい根性を見せてた人でも、環境が変わって就職したら鬱になっちゃう人がいるので、必ずしもある分野でがんばってて、すごい根性があった。でもそれは違う分野に行ったら通用するかどうかというのはわからなのですね。こういった問題は、今本当に心理的な鬱の問題と言うのは日本では増え続けています。


一つは、本人の問題というのもあるでしょう。やっぱり体力が人によって違うように精神力も人によって違うわけですよ。生まれ持ってるのもあるし、育った家庭環境というのもあるし、社会全体が非常に鬱になりやすいっていうようなそういった環境であるということが問題かなと思います。それは悪い社会になった、ストレスも多い社会になったということではなくて、社会の問題というのはストレスに弱い人間を育ててしまう社会になっているということです。




過剰なサービス、過剰な保護というものは、知らず知らずのうちに自分ではそんなつもりはなくても、小さいうちに病気に対する免疫力というものは育たない例えば、除菌除菌ということはブームになって、何でも除菌して、何でも不潔なものを、清潔なものを、ということをやり過ぎてしまうと体が抵抗力はなくなって、菌に対する抵抗という物は育たなくて作られなくて、それで大きな病気にボンとかかってしまいやすいというのこともあります。




それと同じように心に在する免疫ってものは小さい時から蓄積するような環境が、それを作り出すような環境がなければ、やはり自分も大丈夫と思ってて、ポンと大きなきっかけで、むしろ大きなきっかけ、ちっちゃなきっかけで簡単に鬱になってしまう。そういう社会科学背景というのもありますねですから問題はこの人の問題というのも確かにあると思うんですけど社会に対しての問題、社会の問題というのもあると思います。でも、そういっても仕方がないのでこの方が何とか再生したい、頑張りたいという気持ちがあるのであればやはり何とかしたいですよね。




で、私がこの中でも問題、今お悩みを聞く限りで問題だなぁと思うのは、この方結構、まだ元気だなぁと、鬱って言ってもそこまでものすごくひどい状態にはなっていないです。自己分析もできているし体調に異変が現れているとはいえ、ただですね、今言った心と体というのは繋がっているので頭痛がしてしまう、腹痛がしてしまう、それからずっと生理不順が続いしまう明らかに体に変調が出てきているので、心と身体っていうものはやっぱり密接なんです。




最初心が悩んで、体がに影響が出てきたにしても身体が病みすぎると心が元気になっていく土壌を失ってしまっている状態なので、身体が心配です、心も心配です。ですから、体力が落ちて、身体の抵抗力が落ちて睡眠不足になって、身体がいつも調子悪いと状態で元気になれって言うのは難しいんです。優先順位としては、心を優先するっていう事よりも、身体を優先して体力を回復していかないと、心の病って言うのはどんどん低迷していってしまうので、問題点はそこですよね。


鬱を何とかしようって、その前に身体が病んできてるって事が一つの大きな問題になってるので、そこをちょっと指摘をしておかなければいけないと思います。その上で処方箋なんですけれど、普通一般的に、鬱の人対して頑張れって言うのは禁句ですよね。
それは言ってはいけない事なんです。ただ、私はいつも鬱の人に対して言うんですけど、頑張るっていう言葉の定義って曖昧ですが、本人が頑張りたいって思うんだったら頑張れば良いと思います。


周りがお前頑張れよって、ハッパを掛けるという意味じゃなくて、自分が負けたくないって気持ちがある逃げたくないって気持ちがあるんだったら逃げたくないっていう気持ちに添って行動してみるとか何かアクションを起こせるっていう手伝いを周りがするってのは悪い事ではないと思ってます。


ただ、やっぱり腹痛が出る、腰痛が出る胃が痛い、腸ですね、腸が大腸性過敏の様な状態になってしまうとか,頭痛が酷いとか、そういったことがですね、もう自分の意識でコントルールできないっていう状態にまで追い込まれているのであれば、やっぱり休息は必要です。自分で自分の身体をコントロールできないっていう状態ですからですから、自分を守るために、自分を守るために頑張っても良い、仕事自体が嫌じゃなかったら、逃げたくないって気持ちがあるんだったらそうしたら、その仕事に対して、その仕事に対して思い入れがあったりその職場で何とかリベンジしたいって気持ちがあるんだったらやったら良いと思う。


但し、積極的な休息ですね。例えばスポーツ選手が試合に出て残念ながら惨敗したと、
私は格闘技をやっていたので、空手をやっていたので、そこは自分が経験をして、体感として分かるつもりなんですけど。自分が試合に出ますよね、実力が圧倒的に違う相手なら良いです。でも自分と同じような実力の相手に、いろいろと自分の試合までの調整がうまくいかなかったりして本当にボコボコにやられてしまったと相当凹みます。


もしくは、試合に出て、大会に出て自分の後輩にやられた自分が普段偉そうに言ってる後輩に負けてしまったとかそういう経験も有るんですけど。そりゃあもう凹みます。
でも、凹んで、でも身体はね、試合で戦ってボロボロの状態になってる。そうしたら優先順すべきは何かと言ったら、その凹んだ気持ち、プライドってものをもう一回ね奮い立たせて頑張るぞってって言うより、身体の休息が先なんです。


身体がちゃんと健全な状態に戻っていないのに戦う事って、やっぱりできないんです。
そういった意味も含めてお医者さんは休息しなさい、休職をしなさいって事を仰られていると思うんですね。心の面だけを考えて休職しなさいって言う風にして、プロのお医者さんが言ってるわけではないっていう事です。身体の事をむしろ心配して休職しなさいって言って下さる部分もあるので、休職するってのは、逃げではなくて一つの選択肢として、受け取られる部分もあるんです。


その上で、どこまで今の状態が、精神力と体力があるか分かりませんが、今の仕事でもう一回チャレンジしたいっていう気持ちがあるんだったら、一回、辞めるところに差し支えがいかない範囲で、ちょっと、色々理由を言って、そんな1ヶ月2ヶ月、じゃなくても良いと思うのでちょっと休んでみる。その上で仕事の事をまったく離れて遊んでみるとか、という事はされた方が良いと思います。


それでも考えちゃうと思いますけどね、そういう風にして、とにかく今の自分って言うのは、自分が分かっててそういう状況になったわけではない鬱になった訳じゃない、分からない、自分自身の事が分からなくなってる。
自分の体力、自分の意識、色んなものを自分自身で深堀して探っていくっていう時期なのかもしれません。この鬱っていう事は、鬱になってしまった、だからダメじゃないんです。鬱になってしまった、そこから鬱の時間に自分をすごくしっかり堀下げて、自分の事を良くわかっていなかった自分という者、よくそこを向き合ってその休職期間の後にですね、ダァーンとものすごく大成していった人は一杯います。


ですから、必ずしも鬱っていう物を体調を崩した、例えば盲腸になちゃったら絶対会社休まなきゃいけないじゃないですか。身体に起きているそういった異変と同じように、心に起きている病気ってのも同じようにインフルエンザになったと同じようなものなんですよ。心のインフルエンザみたいなものなんです。ですから、鬱になったって時に休むって事は必ずしも悪い事ではないし、恥ずかしい事ではないっていうのを前提の上で、前提の上で、もし今の仕事にリベンジしたいのであれば私はもう一回チャレンジしてみるっていうのも有りだと思いますね。


但し自分の体力と相談して休みを取るべきは取った方が良いです。
その上で、ナニクソもう逃げたくないぞ、また頑張るって気持ちがあるんであれば
もう一回チャレンジして、それでまた凹んでしまう事あるかもしれません。
チャレンジするのは有りだと思います。とにかく、鬱になってしまったからダメとか今の会社でうまくいかなくなったからダメとか、人生ってものはそんな単調なものじゃないです。年齢もまだ23歳なので、全然これからいくらでもチャレンジできるし、挑戦できると思います。


ですから、そういった意味でね、まず身体を大事にして欲しいんです。休むって事は悪い事でじゃないし、恥ずかしい事でもない。もしそれを、もしあなたが一生懸命頑張っているのであれば、その上で体調を崩した、心をちょっと病んだ。これは、一つ自分が悪い、弱いっていうのではなくて、もう一度自分の事を見つめ直しなさい、この仕事で本当に良いの、本当にやりたい事なの、本当はどういう事をやっていきたいの、そう言ったことを、改めてもう一度、今の仕事に戻るって事も選択肢に入れつつもう一回、自分自身の生き方とか在り方って事を検証していくって、そういう時期として与えられたものなのかもしれません。


絶対にマイナスに捉えないで欲しいんです。それからもう一個だけ、これは処方箋というよりも、お伝えしておきたい事なんですけれども世の中で起きる事のすべての出来事は意味がないっていう事を覚えてください。世の中で例えば、交通事故が起きたとか、試験で〇点を取ってしまったとか、大好きだった彼に振られたとか、逆に宝くじが当たったとか、それから、思いかけぬ人に出会ったとか、私たちは一回、一回そういう色んな出来事に対してものすごい意味を与えたがるんです。


でも実は、それ自体に意味はない。全ての出来事には意味が無いんです。ただ起きてるんですね。ただ起きてるって事です。それがいろいろな偶然とか重なるにせよ、ただ淡々と出来事は起きてるんです。毎日毎日。しかしその起きている出来事に対して、どういう解釈をするかっていうのが人に依って違うんです。ある人はドーンと何かにぶつかった。その事で、こんな所にぶつかっちゃったよ例えばね、足をね机にドンとぶつけたと、こんな所にぶつかって爪が剥がれちゃった。小指の爪が剥がれちゃった。もう、本当に嫌だわぁと思う。何て私はアンラッキーなんだろう、不幸なんだろうって思う。


でも、ある人は、ポンと足の指の小指をですね。どっかの机の角にぶつけて爪が剥がれてしまったと、そういう事があったとします。それに対して、アーっ自分のそんなところにぶつけるって状態まで自分の身体が疲れていたんだと。ひょっとしたら身体の状態が良くないんじゃないかとかね。そういう解釈をする人もいるんです世の中には。私がそうですから。私セラピストとして身体の事、心の事を勉強してきたので、自分が思いがけず、ドンとどこかにぶつかったりとか、何か嫌な事があったりすると、まず自分の心が弱ってないかな、自分の身体が弱ってないかな、弱ってたらちょっと休もうとかね。


ちょっと自分の事、身体に歪みがあるから整体やってもらおうとか何かそういうふうにして自分の事を何か起きたことを切っ掛けにして、その起きた切っ掛け、出来事をどう捉えるか、人に依って違うって事なんです。鬱になってしまいやすい人、なってしまう人って言うのはこの世の中の出来事ですね、その出来事に対して、マイナスな解釈とか、自分を責める解釈というのを与えやすいっていうのは、そんな印象を私は感じています。


ですから一度ですね。なかなかそう言っても難しいと思いますけど、練習していけば必ずできるようになります。何か身の回りで毎日色々な事が起きます。でも、起きた出来事っていうのは、何の意味もないと思ってみてください。その上で、それをどう捉えるかっていう事を、それぞれ私たちがやってるって事なんです。ある人はAという出来事に対して、赤のレッテルを貼る。ある人は白のレッテルを貼る。黒のレッテルを貼るって皆違うんですね。


そのレッテルの貼り方っていうものがそれぞれの性格なんです。なので、これは変える事ができる訳です。自分が仕事で失敗した、その失敗したって事に対して、どういう解釈を与えるのか。人に依って、それは解釈の仕方が違うんですね。でも自分にとって、自分を傷つけるような、私はダメだとかね、そう反省するのは良いですよ。でも、いつまでも私はダメだ、私はダメだ、こういう失敗をしてしまったらもうダメだ。もう私はお終いだっていうレッテルを貼り続けるっていうのは自分を傷付けているのと一緒なんです。


ナイフを持って、グサッ、グサッ....って、一つの、一つの小さな失敗に対して、
グサッグサッって自分を傷付けてると同じ事なんです。自傷行為なんですね。ですからそれは肉体的に自傷行為をしてないにしても、心に対して必要以上の反省、必要以上に自分を責める事って言うのは、やり続けているのは悪い事なんです。自分を傷付けるって事は絶対にやってはいけないんです。ですから、反省をする、今迄の仕事の失敗とか、色んな事があって私が私が悪かったなって思うのは良い事です。


それは良い、でもその後、私が悪かった、私はダメなんだ私はもうお終いだ、私は能力が無い、皆にこういう風に見られているんじゃないか。どんどん自分を傷付ける方向で、ナイフを心に突き刺していたら当然鬱になってしまいますよね。そうしたら身体は下痢とか、それから腹痛とか、腰痛とか胃の痛みとか、頭痛とか、いろんなサインを出してこれ以上私を傷付けないでって自分を守ろうとするんです。


ですから今、あなたの身体に起きている痛み、身体の痛みっていうのはあなた自身の身体が自分を守ろうとして起こしている。SOSなんですね。そこをちゃんと受け入れてその上で、自分を過剰に傷付ける、攻撃するっていう癖を止めて頂いて一旦休息して、頑張れるんなら、頑張ったら良いと思うしちょっともう無理だなと思ったら、仕事を辞め、また違う仕事をやっても良いと思うし、それをどうすかっていうのを自分で決めることが自分の自信になります。


いずれにせよ、鬱である期間っていうのは自分に対してちゃんと向き合いなさいって、いつか人生の中でやらなくてはいけない事を今、チャンスとして自分の身体が与えてくれてるのかもしれない。そういう捉え方をして頂ければどうかなと思います。一刻も早く、何らかの決断をして休むなら、休む。そして前に進んでください。どんどん今のままの状態を引きずりながら、会社に生き続けるっていう事がプラスの選択だとは思いませんので、いろんな事を良く考えて、自分と向き合って、全然大丈夫だと思います。
まだまだこれからなので、自分の可能性っていう物を信じて模索して頂ければ良いと思います。

グリーフアドバイスのサイトでは、この大寓和尚の動画への

リンクを貼っております。