
サーフィン始めて5年ちょい。

いまやサーフィン無しでは生きれない身体です笑笑
良い波に乗りたい、上手くなりたい。
当たり前にそんな事思ってますが、小さい頃のトラウマなのか水は相変わらず苦手です。頭オーバーは恐怖でしかありません。
皆さん色々な価値観や楽しみがあってサーフィンしていると思いますが、私にとって「サーフボード」もサーフィンの楽しみです。
嫁さんからも「どんだけ買うのよ」と呆れられていますし、一部友達も「またですか?」と思っていることでしょう笑笑
理由は何個かあります。
もちろん「欲しい」笑笑
純粋に「乗りたいから」です。
カリフォルニアやオーストラリアの、時代の先っぽにいる人の「今」(考えと言う意味で流行ではありません)の板に乗りたい。
ま、みんなそうですよね笑笑
多分普通はそれを欲してるんですけど、私は他にも違う楽しみを持っています。
それは「造形物」としての魅力です。
サーフボードは好きですが、自分の感覚に触れないサーフボードには微塵も興味がありません。
1パドル、ヒトカキもしたくない笑笑
サーフボードの作り手のバックボーンもその要素の一つです。
どんな人なのか、どんな経緯でそこに居るのか、その人が作り出すものはどんなものなのか。親方(?)は誰なのか?とか笑笑
デザインはそこに費やした時間が現れると思っています。
作るものは違うけど、同じ職人としてどんな思いで仕事をしているのかを感じる瞬間が好きです。
それと連動しているけど、そのサーフボードの「なぜ?」「どうして?」を探るのが好きです。
なぜその形なのか?
どんな波を、どんな乗り方を想像したのか。顧客の未来をどのくらい想像したのか。
想像と形だけなら下手でも出来る。
それをいかに「美しく」作るか。
これが「造形物」として興味をそそる理由です。
家も「機能と希望」を叶えるなら建て売り探せば良いし、アパートに住んで家族の変化で引っ越すのも良いと思う。
それをいかに顧客の奥まで考えて「いま望んでいる希望」と「未来に考えるであろう希望」を想像して、出来る限り美しく作りたいと思う気持ちと似ていると思っています。
あと、これはカスタムオーダーに限っての感覚ですが、「人に頼まれる感覚」と「人に頼む感覚」を常に考えていたい為でもあります。
私は仕事柄「頼まれる側」です。
ずーっと頼まれるだけだと頼んでくれる感覚をどこかで忘れて、頼まれることに慣れてくるのが怖いのです。
そんな思いの中で偶然出会った「カスタムオーダー」。実は今の世の中に「設計図のないモノ」って意外ととても少ないのです。
大量に作られているモノの中でそこにしかないオリジナルの楽しさがサーフボードにはあります。
私がやってることも同じ。
もちろん最高も失敗もあります。そのハプニングも含めてオリジナルの楽しみだと思って捉えています。
そんな中で出会ったサーフボードのカスタムオーダーに「どこか家づくりみたいだ」と思ったのがきっかけです。
「こんな波に乗りたい」「こんな希望を叶えたい」そう思って頼んだサーフボード。
波を知っている本物のサーファーandシェイパーの作るものに乗り込んでいくと上手くなっている事に気付きました。今まで出来なかった、見えなかった景色が見えるようになるのです。
それはさっきの「デザインはそこに費やした時間が現れる」に繋がるのです。
家づくりも同じで「頼む時の今の希望は今だけ」住んだ後はその希望は過去になって、新しい今に合わせた家を望みたくなるものです。
アンドリューに頼んだ板は「新しい今」でも思い通りに機能しました。
「行けるよ!ケンタロー」と何回背中を押してくれたでしょう。(半分宗教のようですね笑笑)
その時「家づくりも常にこうでありたい」と思ったのです。
ふとした瞬間に「まるで未来を先回りして来たんじゃないか?」と数年後に思ってもらえる様な家を作りたいのです。
家は沢山建てられないけど、家を建てる気持ちでサーフボードを頼む事で、日本人では無い人の感覚や考えを家づくりに翻訳することで、ただ過ぎていくだけの毎日に沢山の感情をくれるのです。
何言ってるか、わからないですよね笑笑
あとは、欲しいと思ったモノを買えるくらい頑張りたいとか、大工として頑張ったら「こんな楽しそうに働けるんだ!」と同じ職人にも思って貰えたらいいな、とか「オレもやりたい」と思う若い子居ないかな、とか、理由は他にもあるんですけど、この時点で長いのでもう辞めておきます笑笑
「サーフボードは建築」

なんとなくわかります?笑笑