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石井秀人その2/静止画像がウインクする!

2011年04月07日 23時02分15秒 | 映画表現の辺境へ
詩というものを解説しようとすると、まるで健康食品の効能を説いているかのような気になってくる。理路整然とは対極にあるシロモノなのかもしれない。
ところで石井秀人の『小さな舟』は、もっぱら老人と老婆の顔を正面からとらえた写真を、さらに8ミリカメラで撮ることで成り立っている。
ぼおーっとこの作品を見ていた私は、ある瞬間、「おおっっ!!」と目が覚めるような思いをした。添付画像のような長めのショットで、ふいに画面の老人がウインクをしたように見えたからだ。
写真だから動くはずがない。なのにそこに表情が生まれた。表情が生まれたように錯覚した。
おお、これは魔術のひとつだな。しかし、その仕組みはわかるような気がする。
つまりこういうことなのだろう。
ざっくり言ってしまえば、いろんな揺れやボケが複合してこれを生み出しているのだ。
まず、カメラを手持ちしているから、手や身体の揺れがそのままある。
次に、あまり気づかないことだけれど、8ミリフィルムの映像は、けっこう縦揺れを起こしている。フィルムの横の穴にかぎ爪を引っ掛けて、物理的にフィルムを間欠的に動かしているため、つねに微細な縦揺れが起きている。それは物理的にもっとも小さい8ミリフィルムで、最も大きくなる。
さらに、石井秀人はきわめてゆっくりとピントが合った状態から、ピントがはずれた状態にピントリングを動かしている。
もひとつ言うと、石井秀人はわざと感度の高いフィルムを使用して、粒子の荒さによる、画面内の粒子の動きを見せている。
ね。これだけだとしても、種類のちがう4つの「揺れ」があるわけだ。
しかし、人間の視覚には「生体手ぶれ補正機能」があるので、そもそも「これは写真である」と認識されている映像を見ていると、そこから積極的に「揺れ」を排除して認識しようとする。なのに揺れやボケが何重にも重なってくるから、ふとその写真の顔に表情を感知してしまうのだろう。

石井秀人その1/石井秀人は詩人である

2011年03月30日 23時42分20秒 | 映画表現の辺境へ
石井秀人の詩集がほしい。
いま、私の思いつきでそう書いたわけではなく、石井秀人は詩をいくつか書いていて、それを同人誌に発表したことがあり、自分で自費出版で詩集を発刊しようという気がある。
ほんのちょいとだけ引用してみよう。

遠い彼方でゆれる小さな一日があった。
窓の外を見ている。火が燃えている。雪が降って来る。
白い陽が射して来る。洗濯物を干している。

どうスか?
けっこう正攻法でしょ。
で、石井秀人の映像作品でも、このような詩的なフレーズが石井秀人じしんのナレーションで挿入されたり、あるいは家族に語らせて挿入されたりしているのね。
言葉ってのは意外に古びるのが早いものだけれど、これまで何度も石井秀人の作品を上映してきて、驚異的におもうのは、石井秀人作品の「言葉」は何年経てもかわらぬ強度を保っていることだ。
とりあえず、こういうことが言えると思う。
石井秀人は、ひとつの詩を紡ぎ出すような態度で映像作品をつくり出している。

大川戸洋介その4/非アイデンティティ映画

2011年03月03日 23時19分30秒 | 映画表現の辺境へ
自分のこれまでの人生で、わりとよく知っている友人で「おれは悟りを開いたぞ」と言い出した人間が2人いる。「おお、それはおめでとう」と言いながら、内心は「あわれなやつ」と思っていた。
こんなこと書くと怒りを買うかもしれないけれど、その2人とも、もともとのプライドが高いにもかかわらず、社会的な地位だとか、収入だとか、周囲からの評価が、それに見合ってなかったのだろう。そんな内心の矛盾が積もり積もって、ある意味、妄想が発症するかのような具合で「私は悟りを開いたのだ」と思い込むに至ったのだと思う。
大川戸洋介はそんな境地とは無縁な人物だ。いや、性欲も物欲も名誉欲もあることは間違いないけれど、少なくともつくり出す映画においては、そんな俗世の欲望とは無縁だ。
おぎわらまなぶが「何か不幸がなくては日記映画にならない」と思ったのとは、真逆で、大川戸は「カメラがあり、フィルムを入れてカメラを回せばそれが映画になる」という構えなのだ。アイデンティティ(自分は何ものであるのか)という問いかけなどない。必要ない。
表現衝動があって、あとから映画というメディアが選択されるという、芸術大学出身のアーティストにありがちな回路で映画をつくっているのではない。そこに8ミリというメディアがあって、おこずかい程度でフィルム代と現像代が出せるから映画が生まれてしまうのだ。
しかも撮影場所は自宅やその周辺(多摩川)、カメラが向けられる対象は家族や友人、カメラを三脚に乗せてシャッターロックすることで自分もしょっちゅう作品に登場する(添付画像がそれ/『夢主人』より)。
見ているうちに「ああ、それでいいんだ」という気分になってくる。そうすると、じつに、楽になったような気がして、なぜか感動していたりする自分に気づく。
それでいいんだ。
物語などなくてもいい。不幸などなくてもいい。珍しい景色や特異な人物、いい女やいい男などなくていい。
でも、それで映画を成立させてしまうのは、大川戸洋介だけかもしれない。

大川戸洋介その3/蠅のカメラワーク

2011年03月02日 23時03分17秒 | 映画表現の辺境へ
横光利一の掌編小説で『蠅』という作品がある。蠅の視点から人間たちに起こった悲劇を記述した小説だ。
大川戸洋介の「理に落ちない」映画を「これはいったい何なのだ」と考えているときに、ふと「これは蠅の主観のカメラワークなのかもな」と思ったのだった。
人間世界に生息して、人間たちにまとわりつきながら、べつに人間どもがどうなろうとかまわないで生きている。そんなカメラワーク。蠅は昆虫だから、おもな関心事は光だろう。
そう、大川戸の映画はやたらと光に反応する。沈みゆく太陽や、多摩川の川面に反射する光、家のなかに差し込んでくるさまざまな陽光のありさま。
添付画像は『夢主人』より。場所はぴあの映写室で、くつろいだ格好で座っているのは森永憲彦。外から差し込んだ光が森永に当たって、まるで光の玉を抱いているようにも見える。
べつに工夫がほどこされているわけではない。大川戸の使っているフジカZ450は、レンズ内部にカビが生えていて、それがソフトフォーカス効果をもたらしてこんなふうに光がにじむ。それだけのこと。
カビかぁ。
そうだ。8ミリカメラにはよくレンズにカビが生える。ビデオカメラではあまりそういう話は聞かないな。
8ミリカメラって、基本、湿っているのでしょうかね。

大川戸洋介その2/しゃあしゃあと映画をつくる

2011年02月28日 23時33分00秒 | 映画表現の辺境へ
大川戸洋介の映画の不思議をさぐるためには、その撮影現場を見てみることが一番だろう。
「大川戸、俺らも撮ってくれよ。何でもするぜ」と言ってみたら、
「いいよ」とじつに軽く返事してくれた。
それで、森永憲彦と私が撮ってもらったというか、出演しているのが『さよならロマンス』という作品。添付画像は私っス。人民帽なんてかぶってやがら、それで花をくわえてら。若いのお。
もともとストーリーものではないから、集って撮影といっても「どうしよう」「こんなことしたらおもしろいかな」「お、それいってみよう」なんてノリで、つまりごくフツーの映画ごっこ、遊ぶ半分の撮影ごっこだった。まー、私のことだから、普通よりももっと悪フザケしてみせただけで、撮られる自分も楽しかったし、大川戸も笑いながらカメラをまわしていた。
何ひとつとして魔術的要素というか、これまでの映画づくりになかったような画期的なことなど、ただのひとつもなかった。
だから、大川戸が特異なのは、そんなふうにして撮られた映像を、ひとまとめにつないで「はい映画ができました」と上映してしまうことなのかもしれない。
「しゃあしゃあと映画をつくる」と大川戸のことを形容していたのは、たしか大西健児だったと思う。そう、しゃあしゃあと。
悩まない。くよくよしない。へこまない。
人間は愛さずにはいられない、叫ばずにはいられない。たいていの映画にはこのような情動(エモーション)表現は不可欠だ。なのに、大川戸映画にはそれらが見当たらない。なのに、どういうわけか感動してしまう。
突き抜けているのだ。人間的ないろいろなことを。

大川戸洋介その1/理に落ちない映画

2011年02月27日 23時08分58秒 | 映画表現の辺境へ
2006年12月17日のこのブログ(まだ「映像制作ノート」だった頃です)で、大川戸についてこんなことを書いている。全文引用します。

本日は8ミリ教室@spaceNEO。
リクエストがあったので大川戸洋介の『夢主人』を、ずいぶん以前に大川戸からいただいたビデオで見る。
何度見てもおもしろい。
一言でいえば「理に落ちないことがこれほどまでおもしろさを感じさせる映画は他にないかも」ということ。
ひとつも説明しようとはしていない。ほんと、ひとコマたりとも。その素晴らしさ。ただながめる。猫のように、ただそこにいて、それがすべてのような顔をしている。涼しげな、心地よい風がいつも吹いている。悲しみや情熱は遠景になってにじんでいる。カメラを向けられた人はおどける。あるいは微笑む。もうみんな死んでしまったかのような、不思議な静けさに満ちている。光がやわらかい。

「理に落ちない」映画は大川戸作品ばかりではない。しかし大川戸作品以外の「理に落ちない」映画ってのは、たいていはデタラメな映画になってしまっている。デタラメであることは不快感をもたらす。大川戸の映画もじゅうぶんにデタラメではあるのだけれど、どういうわけなのか気持ちいい。いったいこれは何という映画魔術なのだろう。
「理に落ちない」ということは、観念的、概念的であることを捨て去っているとも言える。まるでそれは監視カメラのようだ。人間である以上、どうあがいても観念的であること、概念的であることからは逃れられないはずなのに。
なのに大川戸映画は軽々とそのことに成功している、ように見える。そこが魔術的だと感じるわけだし、すがすがしくも感じるわけだ。
大川戸についてはもうちょい連載を重ねて考察していきましょう。

添付画像は『夢主人』より。実家近くの多摩川のほとりで上着を脱いでふざけている自分撮りのショット。

おぎわらまなぶ『二番目のしあわせ』/不幸をねつ造すること

2011年02月26日 23時45分50秒 | 映画表現の辺境へ
おぎわらまなぶは映画をつくろうと思った。それもドラマではなく、日記映画を。
ところがすぐに、とても困ったことに気づく。「僕のこれまでの人生には、これといって特筆すべき不幸がないじゃないか」と。
それで彼は不幸をねつ造することにした。
ああ、もうここまで書いてしまったら、じゅうぶんに「ネタばれ」の領域じゃないか。内容についての記述はここまでにとどめておこう。
ありもしない自分の不幸をねつ造して語るわけだから、これはドキュメンタリーではない。フィクション映画だ。だけれども、スタイルはオーソドックスな個人映画を貫いている。
確信犯だ。
でも、そんな「仕掛けだけ」しかこの映画に存在しないとしたら、それは「さもしい」「あざとい」作品でしかない。そうではない。この作品は、そんな「ウソつき」な姿勢なのに、そうせざるを得ない真剣さに貫かれている。
そうだ、そこが重要なポイントだ。
私は、自分の『虚港』という作品を、その作者であるがゆえに楽しめない。『虚港』をつくった自分のなかにある「エンタメ精神」を自覚しているものだから、自分で自分を「あざといなオレ」と思ってしまうのだ。他人が楽しんで見てくれているようだから安心するけれど、とても自分で楽しめる心境にはならない。たぶん一生そうだ。
『二番目のしあわせ』には、おなじ「ウソつき」映画であっても、たぶん『虚港』にはないような誠実さを感じる。真剣さと言ってもいい。ぎりぎりのところで成立される真剣さ。友川かずきが「生きているって言ってみろ」と怒気をはらんで酒ビンを突き出すような、そんな泥くさい味わい。

山田勇男その3/東京という迷宮『薄墨の都』

2011年01月23日 22時11分20秒 | 映画表現の辺境へ
この記事はラ・カメラ発売の山田勇男DVDのなかで書いた文章を引用しちゃいます。

直面する快楽に押し流されて日々でれでれとアイマイに生きている僕らが、やはり直面する快楽のひとつに属する酒飲みの席で、なんとなく盛り上がってしまって、勢いと成り行き、場当たり主義的なうろつきとどんぶり勘定的なカメラワークによってつくり出されたのが『薄墨の都』だ、という気がする。
そもそもは寺山修司さんが生前、路地をテーマにした映画を撮ろうと思っていた、ということが発端だったと記憶する。具体的にどんなイメージを思い描いていたのかは知らない。しかし直接、寺山さんを知っている山田勇男(監督)と、取り巻きに阻まれて3mまでしか接近できなかった私(撮影)とのコンビが、寺山さんも気づかなかった東京の路地を発見できるだろう。そんな、裏付けのない確信はあった。

「ニューヨークは果てしのない空間、出口のない迷路だった。どんなに遠くまで歩こうと、またどんなによく隣人や街路を知るようになろうと、彼はいつも自分が迷子になった気持ちがした。街の中だけではない。自分自身の中でも。散歩をするたびに、彼は自分を置き去りにしているように感じた。人の流れに身をまかせることによって、自分がひとつの目になることによって、考える義務から逃れることができた。このことは何よりも彼にある種の平安を、健康な空白をもたらした。世界は彼の外に、彼の周りに、彼の前にあった。刻々と変化するそのスピードが、彼にひとつのことを長く考える余裕を与えなかった。身体を動かすことが肝心だった。一方の足を前に踏み出し、それに合わせて体を動かすことだ。目的もなくさまよい歩いていると、どこへ行っても同じことで、自分がどこにいるかは問題ではなくなる。気が乗っているときは、自分がどこにも存在しないように感じられた。そして、それこそ彼が求めてきた状態だった。どこにも存在しないこと。ニューヨークは、彼が作り上げたその非在の場所だった。そして彼は二度とニューヨークから離れられないと思った。」(ポール・オースター『シティ・オヴ・グラス』、山本楡美子・郷原宏訳、角川書店1989)

このニューヨークを東京に置き換えれば『薄墨の都』の芯の部分になるように思う。

山田勇男その2/光のスイーツ『青き零年』

2011年01月22日 23時39分59秒 | 映画表現の辺境へ
『青き零年』のことを評して「これはケーキみたいな映画だから」と言ったのは村上賢司だった。それを聞いて私は「なんとうまいことを言う」と思ったものでした。
前の記事で「『家路』あたりで想像力の腫れはひいた」と書いたけれど、いちがいにそう断言はできないだろう。つづく『銀河鉄道の夜』『巻貝の扇』『悲しいガドルフ』と、商業映画と比較してみれば、じゅうぶんに「腫れまくった」作品群だと言えるだろう。だって、集団でこんな映画つくっていた人たちはほかにいませんでしたもんね(断言)。
村上賢司のことばをちょっと改変して「光のスイーツ」ということにしましょう。うん、いいキャッチかもしれない。
「想像力の腫れ」うんぬんはともかくとして、集団製作を進めていくことで、最初の『スバルの夜』にあった何かが急速に失われていってしまっていることは、山田勇男も感じていたのだろう。重度の機会オンチである山田勇男が、みずから8ミリカメラをまわし始めたことには、失われつつあるものを取り戻し、もっと「濃いもの」を現出させたいという欲望が存在したにちがいないと思っている。
みごとに成功した。
きわめて個人的なまなざしの集積であるはずなのに、そこにあるのは、個人を超えたなにものか、まだ名づけられないものだった。
ピントが合っていないのに美しい。
物語がないのに、感動的な物語よりも強く心が共振してしまう。
そしてなによりも、きわめて繊細なものであることが伝わってくる。

山田勇男その1/腫れた想像力『スバルの夜』

2011年01月17日 23時50分53秒 | 映画表現の辺境へ
ではひさびさに作家論に戻りましょう。
自分の作品の上映で何回か「腫れた想像力の産物」というフレーズを使ってきた。私の作品で言えば『非解釈』から『ゴーストタウンの朝』までの、初期の作品の上映でそのフレーズを使った。しかし、これは私の作品より、よほど山田勇男さんの『スバルの夜』にふさわしい惹句(キャッチフレーズ)だと思ってる。
そして、商業映画と、自主製作映画のちがいを決定づける重要な要素であるとも思っている。
商業映画は多人数でつくる。だから、設計図(シナリオ)が必要とされる。ドキュメンタリーだとしたらシナリオはないけれど、ある種の「作品の方向性」みたいなものはあるだろう。スタッフの共通了解事項みたいなもの。
映画をつくる発想のおおもとのところに「腫れた想像力」がかかわっていたとしても、多人数に「この映画をどうつくっていくか」を説明していくうちに、みるみる腫れはひいていってしまう。脆弱なものなのだ。
どの自主製作映画にもあるわけではない。たいていの自主製作映画は、商業映画のモノマネから始まり、うまいモノマネを目指すから、このような「腫れの痕跡」は残らない。
ところがどうだろう、この『スバルの夜』は。そもそものクリエイティブ部分(銀河画報社映画倶楽部)が山田勇男と湊谷夢吉さんのふたりいて、さらにスタッフもそこそこいるというのに、このジクジクたる想像力の腫れっぷり。
奇跡的であるとも言える。
2作目『夜窓』でもまだ「腫れ」は濃厚に残っている。3作目『海の床屋』でもまだそれは感じられた。その次の『家路』あたりから消えてしまったように感じている。