goo blog サービス終了のお知らせ 

NOSTALGIA/郷愁

団塊世代の日記
Nat King Cole の TOO YOUNG を
しみじみ聞ける世代のBLOGです。

SP盤(1)

2010年01月03日 | 昔のこと
DATE: 05/29/2006 23:17:46
-----
 親の介護で月に1,2回実家に帰っているが、先日、埃のかぶったレコードケースから50年前のSP盤を取り出して聞いた。プレーヤーは、勿論?壊れていたので修理した。何とか直す事ができ、おそらく30年ぶりに聞けた。久しぶりによみがえった歌を聴くと本当に懐かしかった。
 私の家(実家)には、SP盤が、20枚ほどある。今はレコード盤すらめずらしいが、さらに78回転のレコードなどは見た人は少ないのではなかろうか。そのレコードは私が小学校に上がるか上がらないときに、近所の友達といっしょによく聞いた。「ジングルベル」「雨降りお月さん」「くつが鳴る」など子供の歌のほかに「芸者ワルツ」「ひえつき節」や、パティーページの「テネシーワルツ」の洋盤もあった。とにかく子供の頃は何でもかけて聞いたので、テネシーワルツも意味がわからないまま覚えてしまった。 ・・・・ まだ親が今の私よりずっと若く、元気な頃の話です。
-----

危なかったこと

2010年01月03日 | 昔のこと
DATE: 04/29/2006 16:19:02
-----
 半世紀以上生きていると、いろいろ危なかったことがあった。一歩間違えたら、命を落としていたかもしれません。運がよかったのでしょう。そんなことが4回ほどありました。

 最初は、自分では、記憶にありませんが、1,2歳のころ2階の窓から落ちたことがあったそうです。幸い下が土で問題なかったのですが、もし石にでも頭をぶつけたらどうなっていたかわかりません。
 2度目は、小学校4年生になった時のこと。
友達と遊んでいて、竹やりが顔にあたって大怪我をした。もし目にでもあたっていたら失明したかもしれません。
 3度目は、車の免許を取って間もないころ。少し雪の降り出した箱根の下り坂でスリップして対向車線に入ってしまった。運良く前から車が来なかったからよかったが、もし来ていたら正面衝突したでしょう。
 そして、30年ほど前アメリカのグランドキャニオンに行ったことがありましたが、その1週間後、遊覧飛行機が墜落したと聞いた。もしタイミングがずれたらと考えたら恐ろしくなった。

 私以上に、九死に一生を得た人は多いと思います。また、運悪く事故にぶつかり亡くなられた人もいます。毎日起きている事故の記事を読むにつけ、「運が悪かった」で片付けられてよいものなのかと、ふと思った。
-----

石炭ストーブ

2010年01月03日 | 昔のこと
DATE: 02/09/2006 18:59:39
-----
今朝のラジオで石炭ストーブの話があった。
確か、昔、小樽の街を歩いていると、石炭ストーブの石炭が燃える匂いがしてきたとかいう話だった。聞きながら、しばし石炭の燃える匂いを思い出し、郷愁に浸った。

 私が小学生の頃、今から40年以上も昔の話ですが、信州の小学校では、冬はだるまストーブで石炭を燃やして暖を取っていた。当番が木箱で石炭を運び、授業中でも燃え尽きてくるとストーブに石炭を入れたりしていた。石炭ガラを片付けるのも一苦労だった。家に帰っても社宅のお風呂は石炭のボイラーからの蒸気で沸かしていた。石炭は身近にあった。

 石炭が燃える匂いはなぜか郷愁を呼ぶ。当時別にいい匂いと思っていたわけではないが、今思い出すと実に味わいのある匂いだと思う。汽車に乗ったときにも石炭の匂いはした。いまどきの、石油ストーブの匂いとは違う。
 確かに、石炭は石油に比べて扱いは大変だし、汚れたり、石炭ガラの始末も面倒で、しだいに利用されなくなったことは理解できる。石炭など見たことがない人は多いだろう。しかし、時には鼻に刺激のあるあの匂いは懐かしい。

 さて、今の子供はやがて石油ストーブの匂いに郷愁を覚えるのだろうか。
-----

星空

2010年01月03日 | 昔のこと
DATE: 12/22/2005 22:38:52
-----
昨夜、忘年会の帰りに、久しぶりに星空を見た。
いつも車なのでこのところ星を見ることがなかった。

 オリオン座が真上に見えていた。今では町中だと明るい星しか見えない。昔、小学生の頃、よくお風呂の帰りに星を見ながら帰った。カシオペア、おおくま座、こぐま座のヒシャク、スバルなどがきれいに見えたが、今ではなかなか見ることができない。(目の視力が落ちたこともあるが)
 中学の時は、学校で購入した500円の望遠鏡で、家の窓から木星の4つの衛星、そして土星の輪を見ることができた。木星と土星を探すことにも苦労したが、目を凝らすとちょうど木星の両側に2つずつの衛星を見ることができた。土星の輪も最初は揺れていてよくわからなかったが、確かに輪が見えたときは感動したものだ。そして富士山に登ったとき、まさに今にも落ちてきそうな満天の星を見たときも驚きがあった。

私の子供たちの身近に、このような機会がなくなってきたことは残念に思う。
-----

電話が気持ちを伝える伝達手段になった

2010年01月03日 | 昔のこと
DATE: 12/17/2005 00:31:44
-----
エコログTB事務局詠子さんの電話の思い出にトラックバックしています。

12月16日は電話の日。


 もう40年近く昔の話です。この時期だったのか忘れてしまったが、毎年池袋の百貨店で「電話展」があった。この電話展では無料で電話をかけられるコーナーがあって、そこから、遠く岐阜まで電話をかけた思い出がある。
 かける相手は、2歳下のK子。勿論携帯なんて無い頃。電話も、各家庭には普及していなく多くは呼び出しだった。でもK子の家は社宅で、会社に電話をすると内線で取り次いでくれた。最初はお袋さんが出るので、少し近況報告してから呼んでもらった。その時の胸のときめきは今も鮮明に覚えている。
 まだ電報で連絡したり、文通をしていた頃だったが、そのころから電話は気持ちを即座に伝える伝達手段に変わっていた。
-----

蚊帳の想いで

2010年01月03日 | 昔のこと
DATE: 06/28/2005 22:24:19
-----
 帰宅途中の車のラジオで、蛍の話の中で蚊帳の話が出た。しばし昔を思い出した。蚊帳など、今の若い人は知らないだろう。勿論、私の子らも、見たことはない筈だ。
 
 網戸のない文化の頃は、夏の夜は蚊帳に入って寝た。麻の匂いがまたなんとも言えず好きで、中に入るとなぜかわくわくしたものだ。立ったまま入って親から怒られた事もあった。蚊帳の中に蚊が入って探し回った事も。昼は片隅に掛けたままにしてあって、鬼ごっこでそこに隠れたり。いなかでホームシックにかかり蚊帳の中で泣いて顔を青く染めた事もあったそうだ。

 遠い遠い昔のお話し。
-----

ガリバー

2010年01月03日 | 昔のこと
DATE: 06/16/2005 23:52:38
-----
 上の写真は、他人から見れば何の変哲もない写真ですが、私にとっては大変思い出のある場所が写っています。

 ここにあるのは、もう半世紀も前に住んでいた家の前にあった、現在の坂です。奥にある赤い屋根は立教女学院。昔は、この坂の左側は栗林で、坂の下は小川があり、その先は田んぼそして井の頭線が通っていた(井の頭線は今もありますが)。小川にはザリガニがいてよく捕まえていた。立教女学院は、建物は変わりましたが昔は家の窓から塔のようなものが見えていた。

 先日、数年ぶりにここを訪れた。今住んでいる所から離れているので、すぐ来れるわけでないが、何年がすると懐かしくなって来てしまう。幼稚園のときから、小学2年生までいた。
 いつも思うのだが、遠く感じた学校までの距離が、意外と近く、また広く思った道幅も狭く感じる。小さいときここで遊んだことが思い出される。まさに浦島太郎とガリバーになったようだ。どこかに50年前の面影がないかと探したのが下の写真。確かこの塀は昔のままのような気がした。実家に帰ったら、アルバムで確かめてみよう。



 (こういう話って本人が思い出に浸るだけで他人はおもしろくないでしょうね)
-----