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わがことの数々と・・・

会社のこと、社会のこと、なんにでも一言言ってみたい我輩が、いまここにいます!

成長の限界

2006-05-03 09:44:48 | Weblog
 昨日のC-Netには、アップルの「成長の限界」を指摘する長文の論文が3月下旬に書かれたものが翻訳されて載っていた。その横では、マイクロソフトが米国の投資家たちに、怪訝の目を抜けられ始めたことも同時に掲載されている。もう、そんな時代になったのだ。

 つまり、「Microsoftが築き上げてきたPCセントリックな事業が、software-as-a-service(ソフトウェアをサービスとして提供する)事業やオンラインビジネスといったモデルに脅かされる様子が直接反映されている」

 ということであり 「Margins Get Googled」というタイトルをつけたクリチックをうけているという。

 これをどう訳せばよいかわからないが、グーグル化されていく利益(マイクロソフトが進出していない余白・分野がグーグル化されていく)ともとれて、マイクロソフトがますますグーグルによって利益を掠め取れて行く、ということをいっているのだろう。たしかに、この10年のグーグルは、マイクロソフトの30年を凌駕してあまりある、といえよう。PCメーカーに嫌われて、MicosoftTaxと呼ばれるもに対する反感は多く、開発途上国ではそれを払わずコピー製品が撒き散らされており、だれしも不快に思っているに違いない。そんなときだから、マイクロソフトも成長の限界にちかずいた、と言れはじめている。

 また、Microsoftの元TCOが、戦略的に特許情報を買いあさっていることも紹介していた。わずかな社員数なのに、数千件の特許を買い集めており、それを訴訟の材料にしようとしているらしい、と勘ぐられている。IT関連の特許を買いあさって、それにそなえているとか、プロトタイプを作って製品化をする会社に投資するとか、米国では特許紛争で1億ドル以上のロヤりティなどすくないほうだから、当然ビジネスになるな。

 シリコンバレーでのベンチャーキャピタルは、投資後3年で製品化し、5年でIPOまたは売却していくというスケジュールで、7年後は次の製品をだす、というように。まあ、日本で言えば、ジャニーズのように、2-3年おきに新しいタレントを輩出していくようなビジネスモデルがないと、だめらしい。自動車産業だって、プリウスから今度はセルシオのハイブリッド、というようにか。

 親子二代わたり細々とやって、苦節20年30年という時代ではまったくなくなった。

投資家のビジネスに対する評価では、スピードが、そのマーケットとマッチしたスピードが大切なんだ。結局そのモデルが「Too FastもToo Late」もいけないが、Too Lateはお話にもならないそうだ。シリコンバレーの投資家のいうイノベーションとテクノロジーは、ほとんど同義語のようなもので、それにお金がついてまわる、ということだ。

 盛者必衰の理あり、すべて春の世の夢の如し。

 しかし、米国のビジネスを展開している人は、Bill Gatesのように大学中退ではなくて、マスターを習得している優秀な人たちばかり。退職しても、投資家になれるほど金をもっていたり、研究所に勤務がすぐできる、というのもすごいな。グーグルの求人は、修士卒以上であること、という。

 

石油価格の高騰に思う

2006-05-01 11:09:17 | Weblog
 わたしたちの生活の基盤である道路や水道、ガスやガソリンなどをみると、とっても価格が高いのがわかる。単に諸外国と比較しなくとも、高い。わたしの事務所と自宅とで、毎月12000円前後の水道料金を支払っている。サウジアラビアですら、こんなに払ってはいないだろう。ガソリンが、月に4回いれて、22000円になる。ガスが、月10000円。電気が、33000円。
 ガソリンといえば、もうわたしの近くのスタンドでは、先週の月曜日ころから、134円になっている。1バレル158.987928L 5月もの79$であり、これから100$になってもおかしくない情勢という。すると、170円/Lになるということだ。この2-3年に安くなる気配はまったくない、という。

 核開発をしているイラン、イラクの政治不安もあり、石油が安定的に供給できる要素は、なかなかない。わが国にも、大陸棚から石油までとは言わないものの、ガスなどを試掘して、エネルギーの安定供給できないものだろうか。

 居直り強盗のような隣国に、勝手に掘られていてもなんら対抗策を打ち出せず、政府の人々みな一様に話あいといい、まるで去勢された宦官のようなやからが闊歩している。またわたしたちには、他国のドンの銅像をわが国各地に作ろう、などといっていたものがこうしたものの交渉の大臣になったりしていいるのだから、何か大変な裏工作があるんだろう、と思ってしまう。

 まず、敵を欺くには、味方を・・・、ということかもしれないが、国民は、詳しいことからまったく取り残され、隣地からわが国の資源を掠め取られても、にたにたして話し合いでという者たちに、なんと対応すればいいのだろうか。我々自身の君側のカンをどうすれば、いいのだろうか、悩みは尽きない。

 だいたい、・・・大学法学部卒などというものが、役所にいる間も、退職してからも政治家になったりして、社会に影響を与えたい・役に立ちたい、という気持ちがわからないではないが、あまりに利権の擁護ばかりで、ちっとも社会の進歩や発展に寄与しない。己の利権を守ったり、獲得したりする能力においては、すばらしいが、我々一般の人々の高コスト社会からの脱出などというのには、なんら力を発揮しない。成功は自分の手柄にし、失敗は仕組みや環境変化にして、目指すは退職金数億円。一番のれいが、あのユトリ教育を唱えた、文部省のお役人ではないか。一切責任は取らずに、天下り先以外に彼を使ってくれるところは、なかったろうに・・・。せいぜい高校教師をさせればいいのだ、日教組の連中と一緒になって、みずからユトリ教育を実践して、教え子を・・・大学法学部に入れてみるとか。

 こんな連中はだって法律しか読んでいず、尊大で誰も頭いいとは思わないから、俺は頭がいいのだ、と絶えず言わなければならず(その証左が、やたら丁寧後がうまく、言い逃れ、論点のすり替え、牽強付会、我田引水など、得意中の得意)、そのような人種の中でしか仕事したことがないから、彼らの頭の中には、法律でもって国民(省庁毎の業界団体)を支配統治する手段しか勉強していないから、仕方のないことだ。
 32歳程度で、課長補佐にり室長になったりで、業界のボスを通じて社会を知るわけで・・・・。人々を楽しましたり、明るくしたり、夢をもたせたり、愉快にするる能力はからっきしない人たち。四谷大塚→麻生・開成→・・・と社会の統治階級になっていく。

 でも最近ある県ではそれらに、挑戦すべく偏差値が低い高卒でキャバクラ上がりのものが、また上流階級を目指して選挙という手段で割り込んでいった。そういえば、わが選挙区のあの政治家も、最近はトンと顔をあわせないな。

 政治家というのは、実にきれいごとをうまくのべられるか、ということだろうか。自分の手は、既に汚れていてもか。

 わが国は、エネルギーの確保にもっと真剣に取り組んでほしいものだ。そのいろんな方法もあるが、すべての外交の背後に砲弾があることを思い知らせるべきで、米国に移転費用で 3,000,000,000,000円を払うなら、すぐにでも航空母艦なり、ポラリス型の原子力推進の潜水艦を数隻建造することを提案したい。
 航空母艦など、すぐに出来るだろう。戦前においてすら、わが国はもっていたのだから。東シナ海には、数隻の原子力潜水艦がミサイルを積んで監視すべきであろう。

 ちょうど時はいたり。わが民族のDNAを軽く見ている官僚や隣国の政治家たちにも思い知ってほしいものだ。
 維新後150年、日本は海に強い、ということを。


こんな本を買った

2006-04-28 08:59:31 | Weblog
 最近「ウェブ進化論」(梅田望夫 ちくま新書)を読んでいる。もう少しで終わりそうだ。

 SAPの研修会があってでかけたきたのだが、相変わらず、という印象。何億もするERPパッケージの売り込みのプレゼンにしては、まったくの旧態依然で、そのシステムの高い割には物足りない内容。問題は、どこにあるだろう。

 一方的な宣伝。質問も受け付けないこと。いいことばかりでいう、胡散臭そう。ようするに、パッケージに合わせる、ということだが、一体どういうところに、中堅中小企業では、導入時に問題があるのか?具体的な例示もなくて、SAPだからといって購入はしないのではないか。よっぽど退屈で時流を追いたい?情報システム部門ですら、説得は難しい、と思われる。そのような、セールス方法は、これから後退していだろうと予測される。

 また、セキュリティなどの説明についても、まったく言及もなし、新会社法についてのそれもなかった。新SOXについても、言及なし。

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 そんなあとに、「ロングテールの法則」(菅谷義博 東洋経済新報社)
        「IT屋」(棚橋 淳一 宣伝会議)
        「へんな会社のつくり方」(近藤淳也 翔永社)
        「見える化」(遠藤 功 東洋経済新報社)

  買った後で、いつもこりゃ読まないわ、というものばかりだった。だいたい、「Web進化論」だって、まだ1/5のこっている。
  経済に関するものは、なかなか読めないのが実情だ。面白みがないから。




まだ見ぬ人に・・・空想の

2006-04-10 10:36:17 | Weblog
おはよう。メールありがとう。わたしは、東京でIT関係の自営業をいとなんでいます。今日の天気は、曇りで少し寒いくらいです。東京の西部に住んでいます。年齢もかなり上ですが、まだまだ元気です。
      週に二回ほど、スポーツクラブでジョギングと水泳を楽しんでいます。月に1回を目標に皇居2週し、多摩川の堤防12KMを1回走るのが、大体の月のスポーツ生活のパターンです。まず健康には注意してください<、まず元気でなければ、なにもできませんし。そして人を愛し愛されるということは、健康であってはじめてはじまり、人間として生きて一番の幸せではないでしょうか。

アメリカの小説で、「心は孤独な狩人」という有名な小説がありますが、なにかそんな気持ちにぴったりなのが、愛を求める人々の一般の定説ですね。

       別にわたしは愛を捜し求めている、と誤解されそうですが、そうではありません。遠距離で、お互いに会えないからこそ、このように直接的なことばになり強く訴えてしまい勝ちになりますが、それがお互いの距離を縮めると思えてきます。お互いのきづなを強くするは、言葉ではないでしょうか。

暖かくなる季節となりました

2006-04-09 19:31:33 | Weblog
 桜が終わると、もう年の1/3は過ぎたことになります。早いものです。小さいときは、1日があんなに長かったのに、このごろは何をするでもなしに、ネットに接続しているうちに、一日が終わってしまう日ある。

 学生の頃は、フランス語の辞書片手に、うんうん言いながら、唾で辞書を汚れるまでつかっても、一日に読めるページは、少なかった。そんな勉強の仕方しかしていなかったので、結局大学院には進めずじまいだった。
 大体、文科系で外国語を専攻するからには、高校の時代に第二外国語の初級は終えていなければ、だめだ、という事が痛いほどわかった。まあ、あのシャルルのように屋根裏部屋で、どうにか卒業することができた。わたしは、その第1章までしか読めずに、学業の道からとおざかり、泣く泣く社会に出たのでした。
 その最終的な決心をした、あの飯田橋のアテネフランセの庭から眺めた青い空。そこには、どんな雲もなかった。本当に、フローベールは難しかったな。

 それまでは、カミュとかサルトル、ロブグリエの小説を読んでいたから、ちっぽけな仏和辞典では、とうてい読み進むことも出来ず、途中放棄になってしまったのだ。
 そんな経験は、ロシア語で「罪と罰」を読もうとして、結局1ページ目で挫折した記憶とダブります。挫折の連続でしたな。青春の蹉跌などという、かっこいい言葉もありましたけど、それとは無縁でした。まったく、師事する教授もなく、わたしは漕ぎ出していたのでしたからな。

 春になると、ふとそんな遠い日を思い浮かぶのです。

 きまぐれに、自らの生い立ちをつづるのも、おもしろい。




 

半蔵濠の桜と菜の花

2006-04-02 22:52:16 | Weblog
 千鳥が淵公園の手前に、菜の花が咲いていて、その花の向こうに国会などの建物が見えた。半蔵濠の傾斜面に桜がしなだれていた。また、花見をする者たちが捨てたのだろうか、この濠の坂には一杯ゴミくずが散らかっていて、せっかくの景観が台無しだった。
 内堀通りを歩くと、実に多彩な人たちに出会い国際的なとおりでもある。いつも、うるさくてマナーが悪く、きゃっきゃきゃっきゃ騒いでいるの中国人の旅行客である。彼らは、日本の皇居というものをどのように見ているのだろうか。幼少の時代から、反日教育の教科書で育てられた人々は、単なる観光スポット以上のものを感じている気配は、まったくない。
 
 絶えず異民族の支配を受けてきた人々にとって、わが国のように他人族の支配を受けたことのない民族に、万世一系の天皇家などに、何の尊敬の念もないのは、あまりに民族のDNAとしては、当然かも知れない。
 そうしたことにたいする、そこはかとないコンプレックスがあるのだろうと思う。だいたい、観光バスのガイドが、そんな説明をするわけではないだろう。

 桜の季節なので、東御苑にも、たくさんの人々が入場していたが、アジア人以外の外国人もかなり見えた。皇居には、国際的な人をひきつけるものがある。日本文化の芯を、見る思いなのかも知れない。

桜は好きですか

2006-03-27 17:15:00 | Weblog
 桜は、すきですか? 好きというより、根源的な語りかけが桜からしてくるようで、恥ずかしいというか、苦しいというべきか。
 わたしたちは、いま桜の季節を迎えているのだが、桜を見ていると、常にこれが最後というような感慨にとらわれる。つまり、桜のほうが、今あなたが見ている桜は最後なのですよ、語りかけてきているようだ。この一瞬が永遠に繰り返さないように、一期一会というのは、桜のためにあるのだろうか。桜の木の下では、あまりに息苦しいので、人々は、酒を飲み、踊り騒ぐ、そのように桜をめでるしかあるまい。

 桜の勢いを見ていると、一緒に死んでください、というような感じがするから怖いのだ。そして、来週には咲くの葉が多い茂ってしまい。あの美しい桜には来年まで、2度と会うことはない。その桜は、決して去年と同じ桜ではないのだ。
 うーん、実に実存的なものだ、桜は。


クルマを買うことにした

2006-03-22 20:29:00 | Weblog
カローラだ。なぜトヨタか?と、問われれば、多くの人がのっているから、というはなはだ日本的な答えだ。なんたって、右にならう、というのがわたしだ。はずかしい。いまも、これからも貧乏なので、外国産のクルマには、もう乗れそうもない。ただ、ずいぶんと安い支払をうたっているので、勤めていると自分にも手が届きそうな支払構成になっている。

それにたいして、あのレクサスというものをうっているお店には、社員のほうが多そうで、お客様の影を見たことがない。やたら高級感というものを出しすぎちゃって、惨憺たる結果のようだ。カローラで我慢しなければならないわたしには、縁のない話だが、息子が乗っている中古車のマーチが、3年目でバックできなくなり、これじゃ運転できないよって、投げ出すので、自分が乗っているクルマを子供にあたえてわたしが新しいクルマを買うことにしたのだ。

代理店の話では、今年はクルマを求めるお客がすくないようだ、と言っていた。若年人口の減少もあるのかもしれない。あるいは、父親からお古をもらい、新車の買い替えに結びつかないのかもしれない。1家に1台から2台になってきている。

米国でも日本でも、やたらトヨタのクルマで道は一杯だが、販売店ではまだまだ売りたい、という。GMもおかしくなり、自動車業界が日本の産業の柱になっているわけだが、こうした国民一人ひとりの足のようなもので、利益を何兆円も出していいものだろうか。など、と思ってしまう。人類の共通の道具ではないかークルマとは。



キューバは強いな

2006-03-21 13:55:17 | Weblog
 いま7回で、ダブルプレーをして、どうにかしのいだら、ひどいミスをしている。なんじゃこら、日本人はこうした緊張感に弱いという。わたしだって、外国人の前で、英語でスピーチをしろ、といわれたらそりゃあがるわな。

 WBC戦で、僥倖に恵まれたわが日本は、リードしているとは言うものの、皆日本から選ばれしものたちだ。頑張ってほしい。
 松坂もよかったが、渡邉のこの下手投げ、というのもとっても新鮮だ。
 プレッシャーの壁に向かって、力強く頑張ってほしいものだ。現地は、もう午後9時過ぎいると思う。イチローのあのクールな行動と野球への殉教者のようなストイックな表情と言葉は、いろいろと感じるところがある。

冬季オリンピックで、金メダルひとつしか取れなかった日本に対して、この野球の試合で、大きなわれわれにプレゼントをいただきたい。
 
午後3時3分。ついに勝ったよ。皆すばらしい選手ばかり。イチロウといい、上原といい、松坂もすばらしかった。絶望のどん底から、日本は立ち直って、見事世界一になった。これが日本、これがヤマト魂の日本なのだ、と深く考えさせてくれた。
 今回の野球の試合ほど、考えさせられたスポーツはない。世界の中の日本、というものを。

「国家の品格」を読み始めてから、米国人と結婚した彼女への手紙

2006-03-19 19:53:21 | Weblog
こんにちわか、おはよう、か、もうシリコンバレーの時間がわからなくなっておりますが・・・。Mさんは、その後お元気ですか。サンノゼ周辺の天候の変化にも、持ち前の明るさと自信で、元気よく対応し、風など引いていませんよねえ。

さて、日本に戻って、あの研修の熱気も冷めた今日この頃ですが、こちら梅の満開で、いよいよ桜の満開を期待しております。わたしたち、日本民族の固有の胸騒ぎをおぼえるのは、桜の満開でしょうか。昨年より、月に1回皇居を2週しておりますが、その周辺だけでも桜の花が美しい場所がたくさんあります。

絶景ポイントもおさえているし、撮ったらMさんにも1枚送ってあげようかな。里心が付くように。

桜といえば、「桜の木の下には、遺体がうまっている」と言った坂口安吾の時代より、はるか前に「願わくば花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ」とも歌った歌人もいましたね。西行のこの花は桜ではなさそうですけれども、わたしは桜と読みたいです。旧暦としても、3月の初めの頃ですから、桜ではないのですが。

さて、次の2首はだれの作でしょうか。

①「身はたとえ武蔵野の野辺に朽ちるとも留めをかまほし大和魂」

②「しき嶋のやまとこごろを人とはば朝日ににほふ山ざくら花」

ふたりとも、男性です。忙しいのに、こんな質問に答えている暇はない、とお叱りを受けるかもしれませんが。

和魂洋才という言葉をご存知ですか。また「前垂れをした侍」というような明治期の近代化を推進した人には、それぞれに一本座った日本固有の魂というものがありました。現在わたしたちは、Globalizationの波に飲まれ、自分と自分の出自を忘れてはいないだろうか、と思うこともあります。先の研修を、そんな思いを持ちながら整理し始めています。貴重な経験で、とってもよかったと思います。グローバル化していても、魂は大和魂でいきたいですね。そのSpiritual Backgroundを大切にしていきたいものです。

日本と米国ビジネスのCoordinator でもあるMさんに、日本文化の Evangelist たらむ、ことも期待しております。勝手な期待ですが、気にしないで。

写真を送ります。PhotoShopで、半分の解像度にさせていただきました。前の分とだぶっていたら、ごめんなさい。あれは、シスコのホテル日航からおくりました。

時々メールしますが、Mさんは忙しいですか。今回は、ずいぶん重たいメールになり恐縮です。