1987年10月末までに香港(45.5%)、オーストラリア(41.8%)、スペイン(31%)、イギリス(26.45%)、アメリカ(22.68%)、カナダ(22.5%)で株式市場が下落し続けた。
ニュージーランド経済への損害は特に打撃を受け1987年のピークから約60%下落、高い為替レートと、危機に対応したニュージーランド準備銀行が金融政策を緩和することを拒否したことにより悪化した。
1987年12月にワシントンD.C.でさまざまな国から集まった33人の著名なエコノミストが集まり、「今後数年間は1930年代以来最も問題になる可能性がある」と総括的に予測した。
東証株価指数(TOPIX)については翌日168.51高(9.39%)となっている。金融緩和を続けた日本では、東証株価指数(TOPIX)は半年後の1988年(昭和63年)4月には下落分を回復。すでに1986年頃に始まっていたバブル景気は更なる膨張を続け、1989年(平成元年)12月18日には史上最高値(2886.50)を付けることになる。
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