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日経225 38460 2024年6月15日

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雑学 モンゴル帝国の最大版図

2013年08月27日 12時52分37秒 | 歴史 群像
戦闘では匈奴以来の伝統を引き継ぎ、弓矢と最低限の防具・刀剣で武装した主力の軽装騎兵により敵を遠巻きにしつつ矢を射て白兵戦を避け敵を損耗させた。また、離れた敵を引き寄せて陣形を崩させるために偽装退却もよくとられた。弓の攻撃で敵軍が混乱すると、全身甲冑を着け刀剣(サーベル)、鎚矛(メイス)、戦斧、槍を手にした重装騎兵を先頭に突撃が行われ、敵軍を潰走させた。

追撃の際、兵士が戦利品の略奪に走ると逆襲を受ける危険があったことから、チンギス・カンは戦利品は追撃の後に中軍の制圧部隊が回収し、各千人隊が拠出した兵士の数に応じて公平に分配するよう定めた。

攻城戦はモンゴリアにほとんど都市が存在しないため得意でなかったが、中国や中央アジアの先進的技術と技術者を取り込み対応した。金に対する遠征では、漢人やムスリムの技術者を集め、梯子や楯、土嚢などの攻城兵器が導入され、中央アジア遠征では中国人を主体とする工兵部隊を編成して水攻め、対塁建築、掘り崩し、火薬による破壊といった攻城技術を取り入れた。中央アジア遠征ではサマルカンドで火炎兵器の投擲機、カタパルト式投石機などの最新鋭の城攻兵器の技術を入手するが、これらはホラズムやホラーサーンの諸都市に対する攻撃で早くも使われた。

攻城にあたってはあらかじめ降伏勧告を発し、抵抗した都市は攻略された後に他都市への見せしめのために略奪された。

 Wikipediaより)

サン・ファン・バウティスタ号と咸臨丸と黒船

2013年08月26日 08時08分26秒 | 歴史 群像
サン・ファン・バウティスタ号は、仙台藩初代藩主・伊達政宗が江戸時代初頭に同藩陸奥国領内で建造したガレオン船。巨大帆船。
仙台領内に滞在していたスペイン人提督セバスティアン・ビスカイノに協力させて建造した、約500トン級で最初の日本製西洋型軍船である。

1613年 建造

船名は「洗礼者・聖ヨハネ」の意で、元は「伊達丸」と呼ばれていたとの説もある。
支倉常長ら慶長遣欧使節は、仙台とローマとの往復のうち太平洋横断において同船を使用した。

咸臨丸は、幕末期に江戸幕府が保有していた初期軍艦。
木造でバーク式の3本マストを備えた蒸気船である。旧名(オランダ語名)は、Japan。
「咸臨」とは『易経』より取られた言葉で、君臣が互いに親しみ合うことを意味する。
洋式のスクリューを装備する船としては初の軍艦である。620トン

1856年 進水

黒船 黒船は蒸気船のことだと考えられるが、帆船も黒船である。なおペリーの黒船は鉄製で蒸気機関で動くというイメージがあるが、実際には木製で外洋では風力で動いていた。
サスケハナ (蒸気フリゲート) 2450トン

1850年 進水

コロンブスの二ーニャ号はおよそ60トン程度
3隻のうちの1隻は、ニーニャ号と同じキャラベル船だがやや大きかったピンタ号(排水量80トン)。






30兆ベクレル 福島の東電の港に漏れた放射性物質

2013年08月22日 17時52分19秒 | 歴史 群像
フクイチ(福島第一原子力)の港湾で漏れた放射性物質 30兆ベクレル

東京電力福島第一原子力発電所の事故で1~3号機から大気中に放出された放射性物質のうち、セシウム137の量は、広島に投下された原爆の約168個分だったことが分かった。

 経済産業省原子力安全・保安院が2011年8月26日に公表した試算値は 【原発事故のセシウム137、広島原爆168個分】

 保安院の試算は、国会の求めに応じてまとめたもの。原発事故による放出量は国際原子力機関に提出した政府報告書から、原爆による放出量は国連科学委員会の資料をもとに、核種ごとに試算した。セシウム137は原発事故では1万5000テラ・ベクレル(テラは1兆)、原爆は89テラ・ベクレル。ヨウ素131は原発事故では16万テラ・ベクレルで、原爆の6万3000テラ・ベクレルの約2・5倍だった。

 保安院は「原爆による影響と発電所の事故は、単純比較できない」と話している。・・・この話は2011年の話

それから、港に更に30兆ベクレル

柏崎刈羽原発で漏れた放射性物質の量なんて、可愛いものかも。



マルギアナ文明 Wikipedia にも載っていないが5大文明と呼べるほど古い文明らしい

2013年08月21日 13時57分45秒 | 歴史 群像
トルクメニスタンには、4代文明に匹敵する文明が栄えていた。
これまで西側ではあまり知られなかったが、ソ連崩壊後1990年代に世界的に知られるようになった。

4代文明もエジプト、メソポタミア、インダス、中国文明はいずれも大河のほとりに発達した。
マルギアナ文明も川やオアシスに生まれたと言われている。
カスピ海南部の東側一帯に栄え、イランやアフガニスタンの北方に位置する。シルクロードの途上にあった。

マルギアナ文明でもまず農業がおこりその富によって文明が発達したと思われている。
現在も小麦から作られたチョレクというパンが主食である。

マルギアナ文明では、農業以外にも高度な技術が発見されている。
遺跡からは、車輪の外枠が発見され、当時から4輪車が作られていた。

印章が発見されそこには文字なども見られ、荷物封印のため使用されメソポタミアとインダスとの交流があった。

世界四大文明に匹敵するという文明で、麦(農業)で栄え、木の車輪を青銅で補強する技術も持っていた文明だった様子。

マルギアナ文明のゴヌール遺跡の周りの川の流れが変化して、ゴヌールを放棄して引越しをしている。

大政奉還は700万石徳川のギブアップではない。しかし・・・

2013年08月20日 18時41分01秒 | 歴史 群像
徳川慶喜にしてみれば、名を捨て、実をとるようなもので、新政府でも徳川が実力を保てると踏んで、西南雄藩の討幕攻勢をはぐらかす有意義な対策だったわけだ。
そして、初めのうちは、慶喜の思惑通りに事態は推移した。討幕の機運は宙に浮いてしまった。

討幕派は打つ手がなく困ってしまった。
西郷と大久保がどうしても徳川氏を含まない政府を作るために打って出た手は、宮廷内でのクーデターだった。
王政復古の大号令で、徳川氏サイドを新政府から完全に外した。

好字令(好字二字令)

2013年08月03日 09時09分45秒 | 歴史 群像

全国の地名を漢字2文字にしましょうという命令で、西暦713年の勅令

当時の先進国・中国に倣って地名の表記を統一しようということで発せられた。

漢字を当てる際にはできるだけ好字(良い意味の字)を用いることになった。

というわけで変更された例は・・・・・

倭→大倭(大和)(現奈良県)

下毛野→下野(現栃木県)

上毛野→上野(現群馬県)

泉→和泉(現大阪府南西部)

無邪志、胸刺、牟射志など→武蔵(現埼玉県、東京都、神奈川県東部)

沖→隠岐(現島根県隠岐諸島)

三野→美濃(現岐阜県南部)

木→紀伊(現和歌山県) 火→肥前、肥後(肥前は現佐賀県、長崎県。肥後は熊本県)

多遅麻など→但馬(現兵庫県北部)

粟→阿波(現徳島県)


激動期の明治維新前後の思想

2013年08月02日 15時50分23秒 | 歴史 群像

公武合体論 朝廷の権威と、幕府を結びつけて(公家と武士の合議)幕藩体制の強化を計ろうとした政策論 

幕権強化論 幕府の権力を強化して、今までどおり権力を保持しようという思想

諸侯会議論 弱体化した幕府だけでなく諸侯を交えて物事を決することによって幕府を延命させようという考え

尊王攘夷論 尊王攘夷運動 夷敵を攘(はら)う。外国人(夷人)を追い払うという思想(開国しない)

佐幕開国論 佐幕派 幕府(開国やむなしの考え)を補佐する思想

倒幕開国論 倒幕派 武力で幕府を倒すことを目的とし、攘夷が無理であることを悟って、開国やむなしとする思想

公議政体論 公家・諸侯・庶民・幕府を含め政治に議会制度を導入して合意を形成することによって日本国家の意思統一を図ろうとする思想