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異形の仲間たち見聞録

私が見てきた精神疾患者たち

小説『呆け茄子の花 その十三』

2016年06月11日 05時33分11秒 | 小説『呆け茄子の花』

面接も無事終えて、後は結果を待つだけであったが、

尚樹は「合格するもの」と、勝手に思っていた。

自惚れでも他人から高評価を与えられた過去があったわけでもないのだが、

尚樹は十二分に三十数年間あまりにも重いものを背負ってきた自負があった。

案の定、結果は合格。

大學に入学してみると、以前の大學とは違い自然体でいられた自分があった。

「ここでなら4年間すごせるだろう」と。

しかし、病からくる「希死念慮(死にたいという思い)」は、頭の中で渦を巻いていた。

尚樹の中だけならいいものを回りの社会人学生にも訴えることさえあった。

時に体調が良い日などは、猛烈に資料をコピーし読みふける尚樹もいた。

いわゆる「そう状態・うつ状態」が、尚樹の中で表裏一体となっているのだ。

ただ、尚樹を自殺から思い止める最後のブレーキは

「どこで自死しようと、家族や他人に迷惑を掛ける」という一点だった。

 

  

その十四に続く


小説『呆け茄子の花 その十二』

2016年05月14日 03時36分38秒 | 小説『呆け茄子の花』

社会人道場生からは「尚樹先生に初段にしてもらったのに、これから先・・・」

と、言葉を失っていた。

尚樹にも自分が抜けてから道場の指導陣が回らない解っていた。

しかし、この時点で尚樹の決意は固まっていた。

大阪に引っ越した後、世話になる道場も目星を付けていた。

尚樹は年内早々に大阪に引っ越した。

大阪で友人と家具屋でデスクやベッドなどを急いで買い揃え、

「さて、中年新入生!」と、意気込んだが、

大学にストレートで入った尚樹と十歳以上も違う「子供達」は、

優秀な子達で尚樹とは基礎学力が違うように思えた。

それがきっかけで尚樹の「潜在的な傷」が浮き上がってきた。

つまりは、「心の傷」である。

尚樹は大学近くの「心療内科」に通うも快方には向かわず、

どんどん「うつ病の谷」に引きずり込まれるように落ち込んでいった。

尚樹は、大学一年通うことも出来なくなって、

半年が過ぎ夏休み明けから通学出来なくなった。

尚樹は夏休み明けから、「死」を意識するようになり、

大阪ばかりか、京都へも足を伸ばし「寺巡り」をするようになった。

尚樹は、「人間の死生観とは・・・」と、思い出すようになり

尚樹は今の大学を退学する決意をし、年内中に京都の佛教系の大学を受験する事とした。

事前に送らなければならない「小論文」に尚樹は病的なまでに力を注ぎ込んだ。

「小論文」を送った後は、受験日の面接だ。

剣道の勝負強さから、辞めた大学の面接でも上がることはなかったし、

新たに受ける大学の面接も自信があった。

 

 

その十三に続く・・・


小説『呆け茄子の花 その十一』

2016年05月08日 02時03分12秒 | 小説『呆け茄子の花』

友人Yから大学を勧められたものの尚樹が住む田舎には

あると言えば、「国公立大学」で『社会人入試』などやっていなかった。

となると、外に出なければ行けなかったが、道場生40人あまりのことを思うと、

すぐさま「YES!」とは言い難かった。

尚樹はずいぶん悩んだ・・・「再就職すべきか、進学すべきか・・・」

最後に背中を押したのも友人Yであった。

「道場に指導者の代わりはいるはず。今まで尚樹に依存していたのが間違い。」

というモノであった。

確かに尚樹は、自分の仕事があっても職場の先輩や後輩に後をお願いして、

早々に職場を定時に後にして、道場に向かうのであった。

尚樹は自分に「ここは自分の為の選択をしよう!」と言い聞かせた。

尚樹を道場で育ててくれた先生には事前に「・・・こういう訳で。」と言い。

道場の忘年会で20人近く集まった父兄、社会人道場生に

「来年には大阪の大学に進学する!」と宣言したのであった。

今まで道場の実情は「尚樹依存」だった為、皆の衝撃は強いように見て取れた。

 

 

 

その十二に続く

 

 

 

 

 

 


小説『呆け茄子の花 その十』

2016年05月05日 01時59分26秒 | 小説『呆け茄子の花』

尚樹が剣道にエネルギーを注ぎ込んだ影響で道場生は40人を超えた。

それ以前は、2人であった。

40人を超える道場生全ての名前を覚え、ひとりひとり熱心に指導した。

尚樹は、今までの指導者とは違い膝を床に着け道場生と

同じ目線で個別に教えることを心掛けた。

他の道場と比べて初段への合格率が高く、多く輩出した為、

「初段製造工場」と他道場から言われた。

道場と会社での尚樹は、「明・暗」であった。

さて、会社を辞めた尚樹は今後のことをどう考えていたのだろう。

ひとことで言うと「ノープラン」であった。

自然に考えれば、「再就職だろう」と、おぼろげに思っていた。

そこで最近知り合った友人Y氏にアドバイスをもらった。

「社会人入試で大学入ってみれば?」というものだった。

 

その十一に続く

 

 

 

 

  

 

 

 

 


小説『呆け茄子の花 その九』

2016年04月21日 22時07分32秒 | 小説『呆け茄子の花』

話しを約10年ほど戻そう。

尚樹は裏日本の「X県」に住んでいる。

高校卒業と同時に表日本の本社勤務をしていたが、

当初から会社と約束していたとおり、4年で故郷でもある「X県」に帰してもらった。

帰って来て、尚樹の生活は苦しいものになった。

一人暮らしを初めて、分相応のアパートを借りたものの

給与が安かった為、本来会社が禁じていた副業をせずに生活が出来なかった。

当時、裏日本の田舎でも広まりつつあったコンビニでアルバイトをし始めた。

時間帯は、土日の18~24時。

尚樹は元々剣道をしていて、

土曜は稽古、日曜は大会や昇級・昇段審査などの行事があるのだ。

毎週土曜は稽古が17時に終わりその足でバイト先に行き、

行事のある日曜は少しアパート休んだ後、バイトに行くという感じ。

22、23歳といえども「無休」は、尚樹の体に応えた。

なぜ尚樹はそこまでして一人暮らしを続けているのか?

尚樹の家庭は、尚樹が11歳の時に両親が離婚しており、

その後は、近所に住む父方の祖母の援助を受けながら高校卒業まで過ごした。

そして、尚樹がちょうど20歳の時、二人兄弟の兄から

「父親が再婚した」事を告げられた。

元々性格が穏やかであった尚樹ではあったが、

さすがに、事前になんの承諾も相談もなかっただけに逆鱗に触れた。

尚樹の父は、長男には幼少から厳しく躾けていたものの

尚樹には溺愛であったので、再婚の話しをすれば必ず反対や怒りを

表すであろう事が解っていただけに話せずに

ズルズルと再婚相手に引きずられた形になった。

こういうことが、尚樹が無理をしてでも親と同居しない大きな理由になっていた。

しかし、尚樹の体も持たなくなり、

他のアドバイスもあって帰省して4年が経とうとした時に渋々実家に戻ることにした。

実家で住むことの居心地の悪さは、剣道へ打ち込むエネルギーになった。

 

 

 その十に続く