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異形の仲間たち見聞録

私が見てきた精神疾患者たち

小説 『呆け茄子の花 その四十三』

2019年03月02日 15時35分17秒 | 小説『呆け茄子の花』

前回はこれまでのあらすじを見ていただいた。

この回からはまた話を進めていきたいと思う。

 

 

尚樹と同期であったTさんの退職は尚樹にとって衝撃であったが、

「部長の下でTさんは潰された」と内心思っていた。

そして尚樹は「俺はそうならない!」と決意していた。

思わず尚樹は、Tさんと同じ主治医であり、「雲の上」の上司に

現状を告げようと思ったのだが、「部長の意趣返し」を考えると

足が竦む思いがし、言い淀むどころか口にも上らなかった。

尚樹は部長との「一線」を日々維持することが精一杯の日常であった。

障害者雇用をする際に事業所内に「労働条件及び代理」的な存在を勤めている女性

「Kさん」にこれまでのことを相談しつつ、尚樹自身の身の降りようも相談しながら

気の強いKさんは部長に喰って掛かっていた。

尚樹は女伊達らに奮闘するKさんを頼もしく思っていた。7

Kさんは尚樹より5歳年下だがいわゆる「シングルマザー」で

二言目には「結婚はもううんざり」というのが口癖であった。

 

 

その四十四につづく

 

 


 

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小説 『ボケ茄子の花 その四十二』

2019年02月03日 11時58分44秒 | 小説『呆け茄子の花』

ここで尚樹を巡る環境を整理しておきたい。

尚樹は以前勤めていた会社で労災事故に遭い、

右足膝下を切断せざるを得なかった「障害者等級1級」を市町村から受けている。

事故というのは爆発事故で右足を酷く焼いたため、

切断せざるを得なかった。

幼少期に両親が離婚し、母親の下で育った。

両親が離婚したのだが尚樹には兄が居り、同様に母と暮らしていた。

就職と共に京都で一人暮らしをしている。

事故以後、会社との関係はギクシャクして慰謝料をもらったのを機に退社している。

31歳で会社を辞して、友人のすすめにより京都の私立大学に社会人入試で入学した。

大学では佛教の死生観を4年間ひたすら追求して、

卒業論文も『佛教における死生観』を題材とした。

それは、尚樹が事故数年後、うつ病から「希死念慮」に苛まれ、

「死にたい・・・」と思い続けたことからだった。

そんなことを思い続ける尚樹であるから、心からの「笑顔」が出るわけも無く、

自身、「仮面の笑顔」と称していた。

尚樹が数度にわたる厳しい手術に耐えられたのも、

兄の手引きにより、「剣道」で厳しい稽古に明け暮れていた賜であったと言えよう。

兄は五段、尚樹は順調に段位を取得していたものの「労災事故」により、

足を無くしてから指導に回ることになった。

ちなみに尚樹の段位は四段で高校生の頃、インターハイに出場経験もあり、

高校卒業時には、大学から「スポーツ推薦」声が掛かったほどであるが、

一人親の母にこれ以上負担をかけるわけにもいかず辞退している。

尚樹は心を病み、数件の「精神科・心療内科」を巡った後、

あるクリニックのDr.のすすめにより、

入院した先のDr.に巡り会い、大学の夏休みを利用し三度の入院の後、

退院、大学の卒業し治療に勤しみながら、大学では図書館通いや

教授の許可を得て、「もぐり」で講義を受けていた。

そんな生活を送りながら、お金もつきて「生活保護」受け、

尚樹は自尊心を失った。

そんな中、Dr.の進めもあり通院していた病院に「パート職員」として働くこととなった。

病院では「障害者職員」であることを隠さず働いている。

所属部門の課長と数度のトラブルがありながらも、

Dr.庇護を受けながら働いている。

尚樹にとって「剣道」依然としてバックボーンであるので、

義足をはめつつ、京都で有数の道場で指導に当たっている。

剣道では「昇段」は厳しく、「義足」の尚樹には到底無理な話しであった。

尚樹の仕事は尚樹がこころに傷を持っている様に同じ傷を負った人たちへ

寄り添う仕事で「ピアサポーター」という仕事である。

以前勤めていた「製薬会社」よりも、この大きな「精神科」の病院で

精神障害者のサポートすることに生きがいを感じていて、

自ら「天職」と感じている。

 

 

 

この事を私も確認しながら、今後も書き続けたいし読み進めていただきたいと思う。

 

 

 

 

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小説 『ボケ茄子の花 その四十一』

2019年01月06日 03時11分52秒 | 小説『呆け茄子の花』

二、三ヶ月なんとか出勤しながらも、

「日常」を暮らしていた尚樹が変事を聞かされた。

大きな病院であるので様々な「事業」を展開している中、

尚樹は病院の敷地外にある病院の患者さんが

日常訪れる「授産施設」にも日中勤務していた。

そこには尚樹と「障害者枠」で年齢ではちょうど10歳上で

一ヶ月遅れではあるが同時期に入職した『Tさん』が

勤務していたが、上司から

「今月いっぱいで『ここ』を辞めたいと言ってきているんです。」

と、告げられた。

Tさんは、PSW(精神保健福祉士)という国家資格を有していたことから、

あの部長が直轄する事務所で働いていたが、どうやら業務過多になったらしく、

「この授産施設の勤務を辞めたい」と申し出があった様である。

尚樹は上司と二人で「大変なんですね」と顔を合わせてしばらく話していた。

一ヶ月ほど月日は流れ、部長の直轄する事務所へ用事で出向いたところ、

いつもTさんのいるデスクに居なかったのを見て、

同室のひとに「Tさん居ないんですか?」と問うたところ、

「あ~、なんだかヒドイ風邪らしくて、週の頭から休んでいるんですよ。」とのことだった。

それから数日後にまた同室へ訪ねたところ、

「Tさんは風邪・・・」とのことで不在だった。

尚樹は「インフルエンザかな?」と思い気にもとめていなかった。

そんなことから、数日後に尚樹はひとずてに「Tさんが退職した。」

という尚樹にとっては喪失感が大きいニュースを耳にする。

 

 

 

その四十二につづく

 

 

 

 

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小説 『ボケ茄子の花 その四十』

2018年12月17日 10時11分39秒 | 小説『呆け茄子の花』

尚樹と部長の間には「一線」ができたと言えるのだが、

相変わらず無神経な部長はことあるごとに「体調いかがですか?」とか

「これもらいものなんですけどどうぞ」などと言ってお菓子や果物をくれるのだ。

尚樹は内心、「この人、本当に反省しているのだろうか?」と思っていたが、

尚樹は一応「額面通り」に部長の言葉を受け取った振りをして返事をしていた。

関わりはそればかりでなく、尚樹が出席しているほとんどの会議に部長は出席し、

顔を合わせなければいけなかったのは尚樹にとって非常に苦痛であった。

尚樹はすっかり部長に対しても「トラウマ対象」になってしまっていたのだった。

尚樹は以前、心理士に「こころが脆弱な人は、傷を負いやすい。」ということを

言われたことを思い出した。

当時も今もその言葉を思い出すと不愉快になるが「そういう事実もある」ということも

受け入れざるを得ない現実があることも甘受していた。

この脆弱なループから抜け出す手立てはないものかとしばらく悩む日々が続いた。

 

 

その四十一につづく

 

 

 

 

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小説 『ボケ茄子の花 その三十九』

2018年10月26日 19時29分23秒 | 小説『呆け茄子の花』

主治医はいつになく真剣な顔だった。

Dr.は静かに「今、専務理事と部長と三人で話しをしてきたんだけど、

尚樹さんには私の直属になってもらうことにしたから」と。

そのあと話しを聞き続けると、当初は専務の部屋でDr.と二人で

話していたらしいが、「部長本人を呼ばなければフェアーじゃない」ということで

部長を呼んで、『部長/Dr./専務』三人で部長が尚樹にしてきたことだけでなく

今まで障害者雇用してきた人たちに対する無理な労働を強いてきた数々の事を

専務の前でいわば「披露」してきたとのことだった。

専務には、ほとんど始めて聞く話ばかりで

「自分の可愛い部下」がこの様な粗い仕事をそれも病院でしているとは、

これまで重用してきた者に後ろ足で砂を掛けられた思いがした。

三人で話しをしたが、部長は終始うなずくばかりだった。

専務理事とDr.との話し合いで尚樹の所属は「副院長室所属」となった。

尚樹にとっては「ひょうたんから駒」の様な話しであったが、

自分にとって「一番良い環境」だと思えた。

 

 

 

 

その四十につづく

 

 

 

 

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