宇宙の法では、個々の生命体に対して、完全な自由意志と個性の自由発現(これも自由意志のうちでしょう)を保証しているわけですが、現代の社会制度の中で、これに制限を加え阻害するものとしては、会社勤務、公務員制度、金銭システム、教育制度、法律関連制度、国家的制度...
...実は、現代社会を不可欠なものとして支えているかのような、現状のシステムの殆んど何もかもが、宇宙の法に反している、ということになるように思われます。
人が、何かの職業なり仕事なりを、いつ、しようとすまいと自由なはずですし、それは公務員的な仕事であろうと同じことでしょう。教育をいつ受けようと受けまいと、学校にいつ行こうと行くまいと自由なはずでしょう。外国と言われる地域に、いつ行こうと移住しようと自由なはずでしょう。
食べたいものを、いつどれだけ食べようと自由であるはずでしょう。極端な話、憎い誰かをXXしようと自由、だとさえ言えることなんです。
ところが、現代の仕組みは、表向きは自由を標榜していますが、現実的にはあらゆる制限が加えられていて、宇宙の法の本来意味する自由とは、ほど遠いものとなってしまっています。
で、これらの、宇宙の法にそぐわない制度と言うものの、宇宙的な意味(エネルギー的な作用)とは、どういう事になるのでしょうか。
これは、宇宙の法則のうち、作用反作用の法則で考えてみると、分かりやすいかと思います。
例えば、公務員になって、法律と言う名目のもとに、多くの人々の自由意志に制限を加えた場合、将来的には、カルマの法則として、自分が、誰かから何らかの同じ様な扱いを受ける可能性があります。法律そのものは、紙に載ったインクという物理的な存在ですが、人間がその内容を判断した時に、エネルギーとして作用しますね。
また、働かざる者食うべからず、とは、ある意味よくぞ言ったものですが、これはまさに、宇宙の法に対して逆行する姿勢を、あからさまに表明したものであると言えるでしょう。もし、労働をしない人に対して、糧食を制限する行為や制度を意図的に実行、維持継続した場合、それも作用反作用の法則を受ける可能性があります。
地上では、本来、各種果実をはじめとして、生産労働を経ずして食べられる植物が、他の宇宙系から数多移植され、人間をはじめ、動物たちの食糧となって奉仕すべく、たわわに実を稔らせてくれています。
これらは本来、自由、無制限に摂食を許されるべきものなのです。
維持すればするほど、続ければ続けるほど、カルマ(エネルギーのアンバランス)を積む、現在の社会という制度の幻想、宇宙の法的な意味での、この矛盾、自家撞着に、そろそろ気が付くべき時が来ているのではないでしょうか。
つまり、形骸そのものの制度から、愛と思いやりの心に基づく社会制度に、移行していくということ、それもひとつのアセンションのリアリティの要諦だと思われるのです。
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