今から40年ほど前、私は都内でひとり、アパート暮らしをしていました。ある場所を通りかかった時、道端で女性が黒い仔猫を見ているので、立ち止まると、その女性は『自分は道の向かい側のお店の者だけど、この仔猫が店に入って来て困るのよね。黒猫は幸運を呼ぶというから、連れて行ってくれないかしら』と言うのです。それが私とネコくん(猫の名前)の出会いでした。
ネコくんは、最初、鼻水で汚れた顔、寝不足なのか、半分目に膜が張ったようで醜い目つきをしていましたが、部屋へ来て数日で普通になりました。そして、アパートの狭い部屋で、仔猫との共同生活(?)が始まったわけです。
ただ、仔猫ですから、私が出かけて、ひとりになった時は、鳴き続けていたようです。結局二週間ぐらいで、大家さんに言われて、ご近所のお宅に引き取って頂く事になりました。
短い間でしたが、仔猫は育ち盛りで、面白いエピソードをたくさん残してくれました。こんなことがありました。
ある晩、お皿にご飯を盛ってやると、それに一瞥だけして、クルリと向きを変え、私のいる方へスタスタとやって来て、お膳の上に前足を乗せて、私のお茶碗をのぞき込んだのです。そして、その中にある物を一瞥すると、私の方へは見向きもしないで、また自分のお皿の方へ戻って、自分用のものを食べ始めました。
要するに、私が自分だけ、何か美味しい別の物を食べているのではないかと疑って、それを確かめに来た、ということらしいです。で、見てみると、結局、飼い主の私も、猫とまったく同じネコメシを食べていることが分かって、納得して、自分の食事に戻ったということなんです。ちなみにその時の私は、ご飯にかつを節をのせて、醤油をかけたものを食べていたんです。
その時、もし私だけ、もっと別の、何か盛り沢山な物を食べていたら、ネコくん、どんな態度をしたでしょうね。考えるだけで可笑しくなります。
で、タイトルの「エアキャット」ですが、これは私の造語です。エアギターという言葉を聞いたことがありますが、ギターを手に持っていないのに、まるで持っているかのように弾き真似をする遊びがあるそうで、それの言わば猫バージョンですね。猫が居ないのに、手に猫を抱いているかのように妄想するわけです。
いまだにその当時の、ネコくんを膝に抱いて、甘やかしていた時のことを思い出すと、何かとても甘い思いが蘇って来て、自分としては、愛が高まる気がします。これも波動の高まりの一種(?)なのではないでしょうか。
人によっては、猫嫌いもおられるでしょうし、べつに抱くのは、猫でなくて犬でも、赤ちゃん時代の我が子でも、いいと思います。何か、ご自分の愛の対象を、思い描かれて見られてはいかがでしょうか。
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