鉄道や航空機の事故原因について、解明はできなかったが、とりあえず、運転や飛行の再開を
許可しておいたということは、ありません。鉄道や航空機の歴史は事故との闘いの歴史である
からです。日本軍によるハワイ真珠湾攻撃、米軍による原爆投下、1946年の新憲法公布に
ついて、いまだ解明されていない多くの疑問があります。その一つとして、昭和天皇が怒りを
コントロールできなかったために、ではなかったかと思われる面もあります。
アメリカ合衆国義勇軍American Volunteer Group,通称、タイガー部隊の活躍です。この AVG
部隊は、盧溝橋事件の2か月前の1937年5月1日、中華民国が、米国の陸軍航空隊の大尉
だったクレア L. シェンノートを軍事顧問として雇い入れたことに始まります。タイガー
部隊は、フランクリン D. ルーズベルト大統領の後ろ盾を得て、中華民国軍に入隊し、戦闘
機であるカーチスP-40C の組み立てをラングーンの北のキェダウ航空基地で、1941年
11月に開始した。タイガー部隊による、一撃離脱戦法は、相当な戦果を挙げた。中国に
おける戦闘を思うように進めることが出来ない昭和天皇が怒りを抑えきれず、とうとう
日本軍を真珠湾に突っ込ませたのではないか。杉山陸軍大将を激しく叱責する昭和天皇が怒り
を抑えきれなくなったのではないだろうか。真珠湾攻撃時の暗号文 トラ・トラ・トラ
は、タイガー部隊に対する怒りを意味しているのかも知れません。これが動機かも知れませ
んが、総じて、「終わり良ければ総て良し」「江戸幕府」「明治新政府」「戦後日本」