ハチの家文学館

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10年日記

2015年04月23日 11時03分18秒 | ハチパパのひとり言

1992年(平成4年)4月30日(木) 

長男の初月給。今日大倉山へ寄ってきてお金をあげて来たとのこと。我が家でも祖母、K、私へと祝のし袋に入れて感謝してくれた。Kには我々二人分で長男の口座をつくっておくことを提案、さくら銀行に明日入金することとした。お酒飲んで帰るのを控えようと思う。

《長男は3才で実母を亡くしている。その実母の実家が大倉山にある。律儀な奴だ。お酒を控えるなどとは真っ赤なウソ、未だに私のアルコール依存症は治らない》

1993年(平成5年)1月21日(木)

オードリーヘプバーンが20日に結腸がんで死去のニュース。63才。スイスの自宅で大好きな雪を見て命を引き取ったとのこと。TV各局の追悼番組、「ローマの休日」「ティファニーで朝食を」など、思い出多い映画がずらり。晩年はユニセフ親善大使としてソマリアなどを訪問していた。美しい人を失った。 

《今でもヘプバーンが世界で一番美しい女性と思っている》     

1995年(平成7年)4月30日(日)

浜松支店開店40周年パーティスライド準備のため、納戸の古いネガと写真をチェック、結構たくさんある。二男大倉山に寄ってくると、いいとこある。ごちそうになって来る。夕食は二男が初月給でご馳走してくれるということで、親子4人で戸塚西口「太郎丸」で寿司。もっと高いところでもよかったのにと言うから、「じゃ次もおごりで」「いいよ」。                                                          

 《長年勤めた銀行の浜松支店は今年60周年。開店記念日の5月23日に昔の仲間30人近くが集まり、「浜松支店を懐かしむ会」を幹事役で開催する。二男は生みの親のおっぱいを一度も飲むことなく、生後4ヶ月で実母を亡くした。しかし長男同様立派に育ってくれた。私の母が二人の息子を釈迦力面倒見てくれたおかげである。天国の母に感謝》

1997年(平成9年)1月8日(水)

結婚5周年。K と横浜高島屋前18時待ち合わせ。ランドマークタワー70階「シリウス」にて100万ドルの夜景を見ながら祝い酒と食事。Kにこれからもよろしくと感謝。冬の風が強く、キラキラ輝くネオンや灯りがきれいだ。

《ランドマークタワー建設中に今のカミサンと出会った。当時勤務していた関内の銀行支店が、50余年の歴史を閉じてランドマークに移転するため担当課長として最後まで携わった。ランドマーク工事中何度も高速エレベーターで見ていた外の景色が懐かしい》

1998年(平成10年)1月1日(木)

安曇野「せきえい」でおせち料理。Kの姉寿子さん夜中の2時ごろより具合悪くなったようで、おせち料理にまったく手つかず。昼夜何も食べず飲まず。K寿子さんと和室に寝る。                                                          

《来月半ばカミサンが九州へ里帰りする。その5日後にお姉さんと我が家に帰ってくる。お姉さんは乳がん手術後もう少しで5年になる。健康でいつまでも姉妹仲良く長生きしてほしいと思う》

1999年(平成11年)1月16日(土)

シャトー山中湖~早朝の忍野の写真撮影。雪景色が素晴らしい。-13°Cでシャッターおりず(ニコンF4)、指先凍てつく。シャトーへ戻り、東富士バイパスから富士霊園墓参り。ハチ初めて。                                                                      

《ハチは生後6ケ月。この頃からハチと一緒にパジェロに乗って、日本中を駆け回った。そのハチも昨年秋に逝ってしまった》

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1992年1月、Kとパリで結婚式をあげた。これから新しい人生が始まるからと、一念発起して10年日記を買ったものの三日坊主。空白だらけの10年日記であるが、そのまま捨てるわけにも行かず、その中からいくつか書いてみた。いい伴侶といい子供たち家族に恵まれて幸せである。

ちなみに、1965年(昭和40年)から手帳を使い続けており、小さな日記にもなっている。記憶は遠のいても、記録は追憶のツールとして活かされている。

 

 

 

 



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