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ラジオ深夜便30・・・ミッドナイトトーク「ラジオと私」加山雄三さん

2011年05月04日 01時36分24秒 | ラジオ深夜便

NHKラジオ深夜便、ミッドナイトトーク「ラジオと私」俳優 加山雄三に聴き入る。アンカーは須磨佳津江さん。加山雄三さんは作曲家弾厚作としても有名である。

加山さんがラジオ人間だと初めて知る。ラジオ深夜便のファンだそうだ。ラジオは映像がない分、想像力をかき立てて自分の世界が広がるところも魅力だという。そして深夜便で紹介されるリスナーからの様々な便りを聴いていると、その人その人の苦労や悲しみなどが伝わってきて共感を呼ぶことも多いと言っていた。まったく同感である。

今夜の加山さんのトークぶりと声を聴いていて、とても74歳とは思えない。あの若大将がもう74歳になっていたなんて想像できない。いろいろ苦労もあったようだが、あの若々しい姿と笑顔は今も変わらない。66歳で年寄りじみている自分が恥ずかしい。トークを聴いていて、人間としてもとても魅力のある人だとわかった。「今が大事、この瞬間が過去となり未来につながる」と強調していた。

今夜のトークの中で、東日本大震災の被災者のおばあちゃんが語った言葉に涙が出たと言っていた。おばあちゃん今何が欲しいですかの質問に、「お水です」「次に情報です」「その次に歌です」と答えた。ラジオ人間の加山さんにとって情報はラジオであり、人生最大の危機に歌が欲しいと言われれば、歌手冥利に尽きるというものであろう。

映画に音楽に今も大活躍の加山雄三さん、番組の中で彼の歌「旅人よ」が流された。昭和41年に作詞岩谷時子作曲弾厚作(加山雄三)で発表された名曲である。加山さんがあるとき、千日修行を終えた大阿闍梨のお坊さんに、「旅人よはいいですね、チベットのようだ」と言われたそうだ。

昭和41年は、家出していた私が浜松から東京に21歳で転勤した年である。なぜこんなに早く転勤したか不思議に思ったが、後年当時の支店長から、「君のお母さんが転勤させてくれと頼みに来た」と聞かされて驚いたことがあった。旅人よの歌詞の中に、「遠いふるさとにいる母の歌に似て」というのがあるが、当時の私は都会に出たばかりで、家を出ていた母親を思わずにいられない時期でもあった。飛躍した言い方であるが、その瞬間が過去となり、先妻の死がきっかけで母は私と同居し、二人の孫を育てる未来へと繋がっていったのである。

番組のエンディングに加山さんのリクエスト曲「喜びも悲しみも幾年月」が流れた。海洋船が好きな加山さんにとって、灯台は航行の命綱であり、灯台守の悲哀がたまらないという。私の人生も、母の人生も、「喜びも悲しみも幾年月」であった。

 



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