白百合台という美しい名前の自治会創立50周年記念誌に掲載される歴代会長寄稿文の締め切りが今日だった。一応原稿用紙2枚程度の拙文を書き上げていたものの、親しくしている自宅前のIさん夫婦に感想を聞かせてもらい、何とか締切に間に合った。
タイトルは「ハチの家」。拙文の書き出しと末文は、「昭和四十六年暮れに二十七才でこの地に自宅を購入してから四十年になります。当初は横浜のチベットと言われるほどの劣悪な道路・交通環境でした。自治会との関わりは、平成四年に文化体育部長、平成十九年に自治会長を拝命、保健活動推進員十五年のカミサンと共に、地域活動に携わることが出来ました。」(中略)「数年前、サラリーマン定年退職を機に、カミサンと柴犬ハチと一緒に仏像写真家目指して全国行脚、地方の古寺・古仏を訪ねてきました。そのハチも十四才になり、人間でいえば七十二才の老犬ですが、自宅に開設したギャラリー「ハチの家写真館」とブログ「ハチの家文学館」の看板犬として活躍しています。「ハチ元気?」と言われる我が家へのご挨拶に、いつまでも「ハイ」と返事ができるよう願ってやまない今日この頃です。」
今日6月15日は先妻の祥月命日。自治会50周年風に言えば40周年ということになる。40年前の私は27才、人生最大の危機だった。恋愛結婚して3年半、子供も二人生まれ、家も買った。仕事も自由が丘から日本橋の大店舗に転勤して、これからやるぞ!というときに、妻が余命1ヶ月のがん宣告。4ヶ月の闘病生活の果て、3歳とゼロ歳の二人の息子を遺して27歳で逝ってしまった。幸せの絶頂から奈落の底へ突き落された失意の年だった。お墓まで買ってしまって、人が一生かけてやることをわずか3年半でみなやってしまった。
先妻を亡くして20年後、今のカミサンと再婚した。再婚してからずっと嫌な顔ひとつせず、きれいな花を絶やさず毎日仏壇にご飯とお茶とお水をあげてくれている。亡くなったおふくろが毎週3回人工透析に通っている頃、早朝の保育園勤務から帰ってすぐに病院へ連れて行ってくれた。血の繋がりがなくても、息子たちも孫たちも今のカミサンに感謝して懐いてくれている。今年1月、カミサンとハチと一緒に再婚20周年を記念して箱根のホテルに行ってきた。
今私は、家族問題の調整のような仕事をしているが、夫婦、親子が平凡でも仲良く暮らせるのが、いかに幸せなことかしみじみ感じている。親子は一世、夫婦は二世と言われるように、夫婦は来世まで一緒であるということを信じてやまない。いずれ老々介護の日々がやってくるかもしれない。今日の午後、ジェンダーバイアス(男女の性差別)についての研修に参加してきたが、仕事でも家庭でも、男女の差別をなくしてお互いを尊重できる雰囲気を互いに労わりあう気持ちで醸し出したいものである。
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