白内障手術をしたからってメガネのない生活は落ち着かない。目の前の目薬を差そうとするとき、メガネをはずそうとして、目と耳の間につい手が動いてしまうのである。60年もの長きにわたって染みついた習慣はなかなか抜けないもので、メガネは私の体の一部になっていた。
鏡を見ても自分の顔はメガネありきで、他人の顔のように思えたりする。術後2ケ月ぐらいで視力が安定したら、検眼してもらって必要とあらばメガネを作ろうということになってはいる。
男兄弟5人で育ったが、メガネをかけたのは私一人である。父も二人の息子も近眼ではなかった。高校受験を控えた中学生のころ、2畳の暗い部屋で勉強したことが視力を悪くさせた記憶がある。その後とくに左目の視力が極端に落ちて行った。
ちなみに、右耳も難聴である。小学生のとき中耳炎にかかって手術を勧められたが、放置しているうちに治ったと錯覚した。日常の会話に支障はないが、右隣に座った人との話し声は聞こえにくいことがある。
それから小学生の頃だったと思うが鼻も悪かった。蓄膿と言うやつでこれも放置したまま治ったと思っていたが、11年前に脳のMRIを撮った時、医師から開口一番副鼻腔炎(蓄膿)があると言われた。いつのころからだったか匂いに鈍感になり、自称嗅覚障害者である。コロナに感染すると匂いが分からなくなるというが、私には判断がつかない。
人間、顔にある目、耳、鼻、口いずれも大事な感覚器官であるが、一番つらいのは眼が見えない視覚障がいだと思う。研ぎ澄まされた聴覚、嗅覚、触覚で、真っ暗闇の中で生きる視覚障がいの人たちに、光を差しのべる画期的な人工眼の発明はないだろうか。
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