私、水廼舎學人です

久保憲一のプライベートな世界。なんでもありです。

榊塚(お祓塚)

2007年10月15日 | 郷土
                   榊塚(お祓塚)


国道166号線、旧作滝村と旧赤桶村の境界に「立て道」が通っています。

この道の延長線上に「お祓塚」と呼ばれる塚があります。
他にもう一つ※「お休み塚」という塚もあります。



そのまた延長線上の川中に国分け伝説の「礫(つぶて)石」があるのです。

これらを結ぶ線が昔々伊勢神宮領と大和領間の国境だったのです。

おそらくこのお祓塚でお祓いをして神宮領と大和領を行き来したのでしょう。


この辺一帯は「久保切」と言い、私の先祖が住んでいたとも言われています。
亡父は此処から多くの土器やヤジリを収集しました。

今この一帯は縄文遺跡「宮の東遺跡」とも呼ばれています。


この「お祓塚」は別名「榊塚」とも言われており、どうやら明治の末頃まで榊の大木が繁っていたそうです。
もはや榊の木はなく、茶の木が塚を覆っています。



‥‥‥‥「榊」の語源は「逆木」であった、というお話‥‥‥‥

柳田國男「日本の伝説」(昭和15年12月20日、三國書房)によると、

30年ほど前までは、この男石(礫石のこと)の近くに、古い大きな榊の木が、神に祀られてありました。
 
伊勢の神様が神馬に乗り、榊の枝を鞭にしておいでになつたのを、ちよつと地に挿して置かれたものが、そのまま成長して大木になつた。

それ故に枝はことごとく下の方を向いて伸びてゐるといひました。

この木を「さかき」といふのも、逆木の意味で、ここがはじまりであつたと土地の人はいつております。



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