そんなことやら、あんなことやら、
考えているときも、
仕事はあったりした。
5月4日と7日、仕事をしてきた。
試食販売に復帰して、約半年。
こんなに大きなブラックホールにはまったのは、
初めて。
★
4日は、ケーキバイキング。
前のことを思い出せば、
最初から嫌な予感はしていた。
……予感以上に予感的中。
もうね、細かいことは思い出したくないので省略するけど、
お客さんが殺到したとき、
ヤバイと思って、
余っているトレーとトングを出して、
お客さん自身に、「取りたい方は、どうぞ」と、
したのだけれど、
待っている順番を抜かされたと勘違いをした(←少なくともそう私は認識している)
ある女性のお客さんが、
並べてあるケーキを手づかみして、
トレーに置いていたので、
慌てて、自分の手元の余ったトングを渡したら、
そのトングを「ガチャン!」と投げ捨てられて、
何もなかったかのように、
そのままケーキを手づかみされ続けた、
なんてことがありまして。
そのトングを投げ捨てられた音が、
恐ろしいほどに胸に張り付きまして。
その日の晩の夢にまで出てきて、
次の日東大阪歌会だったのに、
全然眠れなかったりして。
★
そしてそんなことがあった数日後の7日に、
食パンの試食がありまして。
一応、こっちは、
接客上は滞りなく終わったと、
そんな認識でいたんだけれど。
昨日(9日)その食パンの試食販売の翌日(8日)に、
留守電が入っているのに気がついた。
聞くとその声は、派遣元の一番の責任者。
「ケーキ、ぐぢゃぐぢゃだった!!」とかの、
クレームでもあったんだろうか、と、
胃が痛くなる。
が、しかし、
電話をしてみると、
ケーキバイキングのことではなかった。
が、私は救われない。
クレームであったことには変わりなかったから。
ケーキではなく、食パンの試食のほうだった。
そのスーパーの投書箱に、
「試食販売の人が直接子どもに『ありがとうは?』と聞いてきた。
あれは親が言うべき言葉なのに」
という内容のことが匿名で投函されていたとのことだった。
「思い当たる節はある?正直言って、
私からはなんとも言えない内容なんだけど……」
と、派遣元の責任者は言う。
お客さんと
そのことでこじれた場面があったかといわれたら、
ないとしか言いようがなかった。
その場で波風を立てる人はいなかった。
が、
Bさんにも以前、
「子ども嫌い?子どもに慣れている言い方じゃないから、
注意しないと『信じられない親』がおるから、
とんでもない目に遭うで」と注意されていたから、
自分の言い方には、意識はしていたけれど、
いつか、こんなことがあるかもしれないとは覚悟していた。
微妙な年齢の子どもだったのかもしれない。
親が代わりにいうべき幼さだと、
親が判断していれば、そういう考え方にはなろう。
投書箱の文章を読んでいないので、
その非難の強さがわからないけど、
『信じられない親』というよりは、
『価値観の違う親』という印象を受けた。
本質的なところで反省する気にはなれなかった
(↑とは派遣元の責任者には言わないけれど)。
むしろ、スーパーや派遣元に対して、
深く謝罪する気持ちがあった。
話を聞いた結果、派遣元の責任者は、
私を解雇するということは、しなかった。
そのかわり、
仕事場として、そのスーパーは、出入り禁止という
処分を受ける。
お客さん、これで気が済みました?という気分。
★
多分、クレームだけだったら、
「ちぇ!」ぐらいな気持ちで、
終わるのだけれど、
その前に、
『トング投げられ事件』があったので、
もうどうにもならないくらい
強烈な連打で落ち込んだ。
何も思わず。感じない。
真空状態に心がなった。
こういう状態のときが、
怒ってたり、泣いてたりする時より、
一番自分が深刻な状態だ。
ただ、今回のふたつの出来事は、
幸いにも、
他の人々のフォローがちゃんとあった。
『トング投げられ事件』では、
殺到した人々の潮が引いて、
一番最後のお客さんのオーダーを聞きながら、
ケーキを箱詰めしていたら、
「あの……、あんまり気にすることないですよ。
さっき、『ガチャン!』といわせた人。
あんな怒り方することないのにねぇ」
と、慰めの言葉をかけてくださった。
ぜんぜん心に入ってこなかったけど。
また、クレームのことでの電話の後、
実際にお給料を取りにいったら、
朝礼か昼礼かで、社員さん全員に報告されていたらしくて、
「クレームもらったんだって?どんなの?……えぇ~!
そんなん全然稲田さん(ここでは仮名)悪くないよ!」
と、次から次へと声をかけられて。
「まぁねぇ。まぁねぇ」と
受け流すことすら、しんどくなりながら。
今は何を聞いても、何を言われても、
全然耳に(心に)入らない状態ではあるけれど、
自分が時間薬で回復していくと共に、
これらの事実は、
この仕事を続けていく上で、支えになることだけは、
頭でわかっている。
辛い感情は忘れて、
振り返るたびに、
「直後は実感なかったけれど、あれはありがたいことだったんだ」と、
感謝の気持ちを
未来から注入しつつ、
教訓として記憶にとどめておこうと、
漠然と思う昨日でした。
(※これを書いている10日の今は、回復の兆しが見えてます。ご心配なく)
考えているときも、
仕事はあったりした。
5月4日と7日、仕事をしてきた。
試食販売に復帰して、約半年。
こんなに大きなブラックホールにはまったのは、
初めて。
★
4日は、ケーキバイキング。
前のことを思い出せば、
最初から嫌な予感はしていた。
……予感以上に予感的中。
もうね、細かいことは思い出したくないので省略するけど、
お客さんが殺到したとき、
ヤバイと思って、
余っているトレーとトングを出して、
お客さん自身に、「取りたい方は、どうぞ」と、
したのだけれど、
待っている順番を抜かされたと勘違いをした(←少なくともそう私は認識している)
ある女性のお客さんが、
並べてあるケーキを手づかみして、
トレーに置いていたので、
慌てて、自分の手元の余ったトングを渡したら、
そのトングを「ガチャン!」と投げ捨てられて、
何もなかったかのように、
そのままケーキを手づかみされ続けた、
なんてことがありまして。
そのトングを投げ捨てられた音が、
恐ろしいほどに胸に張り付きまして。
その日の晩の夢にまで出てきて、
次の日東大阪歌会だったのに、
全然眠れなかったりして。
★
そしてそんなことがあった数日後の7日に、
食パンの試食がありまして。
一応、こっちは、
接客上は滞りなく終わったと、
そんな認識でいたんだけれど。
昨日(9日)その食パンの試食販売の翌日(8日)に、
留守電が入っているのに気がついた。
聞くとその声は、派遣元の一番の責任者。
「ケーキ、ぐぢゃぐぢゃだった!!」とかの、
クレームでもあったんだろうか、と、
胃が痛くなる。
が、しかし、
電話をしてみると、
ケーキバイキングのことではなかった。
が、私は救われない。
クレームであったことには変わりなかったから。
ケーキではなく、食パンの試食のほうだった。
そのスーパーの投書箱に、
「試食販売の人が直接子どもに『ありがとうは?』と聞いてきた。
あれは親が言うべき言葉なのに」
という内容のことが匿名で投函されていたとのことだった。
「思い当たる節はある?正直言って、
私からはなんとも言えない内容なんだけど……」
と、派遣元の責任者は言う。
お客さんと
そのことでこじれた場面があったかといわれたら、
ないとしか言いようがなかった。
その場で波風を立てる人はいなかった。
が、
Bさんにも以前、
「子ども嫌い?子どもに慣れている言い方じゃないから、
注意しないと『信じられない親』がおるから、
とんでもない目に遭うで」と注意されていたから、
自分の言い方には、意識はしていたけれど、
いつか、こんなことがあるかもしれないとは覚悟していた。
微妙な年齢の子どもだったのかもしれない。
親が代わりにいうべき幼さだと、
親が判断していれば、そういう考え方にはなろう。
投書箱の文章を読んでいないので、
その非難の強さがわからないけど、
『信じられない親』というよりは、
『価値観の違う親』という印象を受けた。
本質的なところで反省する気にはなれなかった
(↑とは派遣元の責任者には言わないけれど)。
むしろ、スーパーや派遣元に対して、
深く謝罪する気持ちがあった。
話を聞いた結果、派遣元の責任者は、
私を解雇するということは、しなかった。
そのかわり、
仕事場として、そのスーパーは、出入り禁止という
処分を受ける。
お客さん、これで気が済みました?という気分。
★
多分、クレームだけだったら、
「ちぇ!」ぐらいな気持ちで、
終わるのだけれど、
その前に、
『トング投げられ事件』があったので、
もうどうにもならないくらい
強烈な連打で落ち込んだ。
何も思わず。感じない。
真空状態に心がなった。
こういう状態のときが、
怒ってたり、泣いてたりする時より、
一番自分が深刻な状態だ。
ただ、今回のふたつの出来事は、
幸いにも、
他の人々のフォローがちゃんとあった。
『トング投げられ事件』では、
殺到した人々の潮が引いて、
一番最後のお客さんのオーダーを聞きながら、
ケーキを箱詰めしていたら、
「あの……、あんまり気にすることないですよ。
さっき、『ガチャン!』といわせた人。
あんな怒り方することないのにねぇ」
と、慰めの言葉をかけてくださった。
ぜんぜん心に入ってこなかったけど。
また、クレームのことでの電話の後、
実際にお給料を取りにいったら、
朝礼か昼礼かで、社員さん全員に報告されていたらしくて、
「クレームもらったんだって?どんなの?……えぇ~!
そんなん全然稲田さん(ここでは仮名)悪くないよ!」
と、次から次へと声をかけられて。
「まぁねぇ。まぁねぇ」と
受け流すことすら、しんどくなりながら。
今は何を聞いても、何を言われても、
全然耳に(心に)入らない状態ではあるけれど、
自分が時間薬で回復していくと共に、
これらの事実は、
この仕事を続けていく上で、支えになることだけは、
頭でわかっている。
辛い感情は忘れて、
振り返るたびに、
「直後は実感なかったけれど、あれはありがたいことだったんだ」と、
感謝の気持ちを
未来から注入しつつ、
教訓として記憶にとどめておこうと、
漠然と思う昨日でした。
(※これを書いている10日の今は、回復の兆しが見えてます。ご心配なく)