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笑わぬでもなし

世相や世情について思いつくまま書き連ねてみました

たまや、かぎやの声何処

2005-07-29 | 歳時記
大川の花火大会である。一頃、その近辺のマンションの購入者が、さも特権階級の如くもてはやされていたが、今ではヒルズとやらにおされ気味である。で、大川、隅田川の花火大会である。花火は角度によって、立体感の増す姿と平面的にしか見えぬ姿がある。花火の絵といえば、棟方志功、ヒロヤマガタぐらいしか思い浮かばぬが、いずれも平面的に描かれていて、あの壮大な球体の美を描いたものにであった経験がない。美の世界に暗愚なゆえかもしれぬが、花火を下で見たときの立体感はなんともいえない。なるほど花火師と言われる職人が色だけでなく、広がり、火の粉の落ち方まで苦心惨憺して、尺球といわれる球体に火薬を配置するのかと感じ入ったものである。
 花火を見て掛け声を聞く姿も見かけない。俗に玉やの声が有名であるが、江戸の花火師には玉やと鍵やの二軒が技を競った。鍵屋による出火が原因で江戸に大火事が起こったことから、鍵屋は取り潰されてしまった。つむじ曲がりの江戸っ子は、なくなった鍵屋を惜しんで、掛け声だけでもと、残したが、いつの間にか玉屋だけになってしまった。今では、玉屋も危ういかも知れぬ。
 今、どれだけ人が出るのかわからないが、この日は歩くことを覚悟して行った方が賢明であろう。なにせあれだけの人混みだもの、帰宅する際は、銀座線の駅を2駅ほど歩くつもりで、そうすれば改札での混雑を避けることは出来るはずである。

蝉の声

2005-07-16 | 歳時記
蝉の声を聞いた。空耳とは思えぬ。近隣には大きな公園があり、樹木も豊富で、鳥もたくさんやってくる。23区内にも関わらず、大雨の晩なぞ、ヒキガエルが道の真ん中に鎮座して迎えてくれることもある。たまに、古いアパートの壁を見るとやもりが這っていることもある。
 関東で蝉の声と言えば、にいにいぜみ、油蝉、みんみんぜみであるが、関西方面ではクマゼミが主だったものである。原爆文学と言われるものや漫画などで、蝉時雨などの文言を見つけたときに、てっきりみんみんぜみ、油蝉を思い浮かべていたが、実はクマゼミの「しゃあしゃあしゃあ」という鳴き声だと知って、驚いたことがあった。実際、蝉時雨という言葉とクマゼミの鳴き声を重ね合わせると、いかにも雨のような気がする。
 ひぐらし、あぶらぜみ、みんみんぜみ、にいにいぜみ、つくつくほうし、今年は何種類の蝉の声を聞けるのだろうか。
 

お盆

2005-07-13 | 歳時記
  気がつくと、今日からお盆である。近所では軒先で迎え火を焚いている。日頃おめかしで忙しい向かいのお嬢さんも、祖母、母と三人で炎を見つめている。近所の八百屋には、藁で拵えた馬が売っていた。ナスの牛、その上にうどんを乗せて仏壇に飾るのが我が家の地方の風習である。
  八月の中旬、すなわち旧暦の七月十三日に、世間ではお盆と言うが、養蚕を行っている地方では、来週あたり、さもなくば八月の末になるのではなかったか。精霊流しをする地方もある。明らかに風物詩になってしまったのが、長崎、広島である、一時は神戸もこれに加わった。今年はどうなるのか知らん。件の都市の精霊流しの本当の意味は奈辺にあるか。恐らくは六十周年という記念式典に飲み込まれてしまうのであろうが。
  地方の盆踊りは知らないが、東京音頭と盆踊りは、以前この稿に書いた。東京音頭は作詞、西條八十、作曲中山晋平で、昭和8年の作品である。ふるさとへ帰れぬおのぼりさんは、この音頭に飛びついた。ために、東京の公園で夜通しこの音頭が鳴り響いたという。永井荷風の墨東綺譚の中に、「東京では江戸のむかし山の手の屋敷町に限って、田舎から出来た奉公人が盆踊をすることを許されていたが、町民一般は氏神の祭礼に狂奔するばかりで盆に踊る習慣はなかったのである」と出ている。夏祭りなら富岡である。
  軒にゆれる炎をみると、お帰りなさい、おかげさまで今日も無事過ごしておりますと声をかけたくなった。
 

七夕

2005-07-03 | 歳時記
来たる、七月七日は七夕である。当今、笹の葉を立て、短冊を吊るす家庭を見なくなった。これも少子化の影響か、都会には笹はないのか。縦令あったところで、七夕が終われば、あれは燃えるごみとして捨てなければならないのだろう。為に笹なぞ飾る余裕が何処にあろうかという始末か。七夕送りなぞ毛頭出来ようはずがない。うっかり近所の川に捨てようものなら、忽ち流れくる粗大ごみを塞き止めて、周辺悪臭の元になりかねぬ。無粋なことを書き連ねたが、短冊に願いこめて書いたのはいつのことか。
 短冊のほかに、折り紙で作った網、提灯を飾った記憶がある。手先が美器用なためいびつな輪ができたこともあった。散歩がてらに、いつもの喫茶店に立ち寄ると、短冊を客に配り願いごとを書かせていた。面食らう客もいたが、めいめいが童心に帰りそれぞれの思いを短冊に込めていた。
 店主に後始末はどうすると聞けば、皆さんの願いを読んで、叶えられそうなもののみ、メモにしたため東奔西走するという。ならば、十日に一度は、珈琲が只で飲めますようにではダメかと聞けば、店主返して曰く、十日に一度、チップを弾む客が現れますように。カウンターを挟んで二人で莞爾とした。
 逢えぬのは、彦星、織姫だけではあるまい。テレビ電話、インターネットの時代と言えども、直に顔合わせぬこともままならぬ人もいよう。笹は手に入らずとも、短冊一つ拵えて、願いの二つや三つ書いてみるのはいかがか。
 
 

入梅

2005-06-12 | 歳時記
 昨日は、無断休載致しまして誠に申し訳ございませんでした。例によってアクセス戴いた方々にはご迷惑をおかけしました。
  去年は、入梅宣言が出来なかった。季節外れの台風上陸で梅雨前線と入り乱れ、入梅が不明になった。果たして、今年はと思っていた矢先に気象庁が入梅宣言を出した。鬱陶しいのは雨ではなく、傘を持ち歩く手間と鞄の重さである。折りたたみを鞄のそこにいれ、少々膨らみで不恰好になった鞄を持ち歩くのが難儀である。四季のある国に住んでいるのだからとは使い古された言葉であるが、にしても、雨よりも傘の重さが恨めしいと感じるのは歳のせいか。
 雨の日には我が家の前には小さな傘の花が咲き乱れる。赤や黄色、青、ピンクと色とりどりの花が右に左に流れていく。時にくるくると花弁を回し、時に助六ばりに傾けたり、その姿は水面を流れる花の列の如くである。どこからあれほどの色の傘が出てきたかと目を細め、暫時雨の音を楽しむ。
 「あめふり」は迎えに来る母を楽しみに待つ子の姿を歌った。平成の御世にお迎えはと訝しがっていたが、過日、立派にお迎えがあった。相並んだ二つの花の下から聞こえてきたのは、その日の出来事。誰ちゃんと誰ちゃんが喧嘩して云々かんぬん。会話は時に傍らを通る車の音で遮断されたが、道々続いていた。
 傘の花のほかに、長靴の音がある。ぽこぽこと音を立てて、ゆっくり消えていくもの。勢いよく消えていくもの。たまに音が途切れるものがある。ふと気になって窓を開けて見下ろすと、軒の紫陽花、ジャスミンの前で傘が揺れている。おかげで音が途切れる場所には、見当がつくようになった。
 梅雨の鬱陶しさが吹き飛ぶひと時である。
 長靴も履かなければ、可愛い傘も持てなくなった。爾云。

菖蒲湯

2005-05-01 | 歳時記
近所の踏み切りで、老女に手を引かれて電車を眺める幼子を見かけた。電車の来し方、行く末を目で追い、次の電車を待つ。上りと下りが行き交うだけでなく、更に別便の上りが後から来る。警報機は鳴り止まず、踏み切りに車の列、人の列が出来てくる。幼子は、周りを意に介さず、鳴る音に耳を傾け、左見右見しながら列車を待つ。走り行く列車を見上げる幼子の眼には、何が映るのだろうか。
サンテグジュペリは、走り去る電車を眺める子に、あの中にいる人たちは自分が本当はどこに行くか知らないんだと書いた。
 電車に乗ると、車窓から外を見たがる幼子がいる。生憎、座席は塞がって、望みはかなえられそうにない。手を引いた親は、仕方がないねと言いたげに車内の奥へ連れて行こうとする。目敏い子供は、ドアの側の手すりの一角があいているのを見つけ、陣取ることができた。無事を了とし、親に向かって莞爾とする。幼子は飛んでいく光景に何を見出すのか。と考え、はたと手を打った。見上げる子供は、車窓を眺める子を探し、車窓を眺める子は見上げる子を探しておるのだ。
 以心伝心ではないが、俗に相性がある。子供同士、見えぬアンテナを張り、相手を探り、自らの力量を考え、合う合わぬの算段をしてる。我を眺むる人は、肉親以外にありはないかと不安と期待で目を走らせる。過ぎ行く電車は何本もある。今度はいやしまいか、今度こそいやしまいかと思いを巡らし、無事、車窓に顔寄せる相手を見つけられれば、瞬時に心を走らせる。相性や望みありの覚えあれば、消え行く互いの姿に愛惜を浮かべ、望みなしの覚えあれば電車は一個の無機物と化す。
 人は三歳にして人なりとは古人の教えである。別に、三歳の子でも道理を説くもある。歳こそ違えど、若桜藩主の娘、露姫は満五歳、疱瘡で死んだが、立派に遺書を残している。遺書の内容は「おとうさん、私が死んだら、お酒を飲まないで」とものの本で読んだ。子供だと侮るなかれ。踏み切りで電車を眺める子供も立派な人なり。と書いて、わが身に戻して、あの折探した顔が今の友人か。
 菖蒲湯に入りたいのは、子供だけではない。来る5日は重五と今更ながら言う。 

江戸の祭り 東京の祭り (承前)

2005-04-25 | 歳時記
 前回は、回覧板にそそのかされて、祭りについて書いた。読者諸兄には祭りの日まで神輿が見られぬと思う方もおられるまもしれぬ。念のため、富岡の宮神輿は境内に左手に展示してあります。同様に神田も展示していたと思われますが、こちらは自信がないので御寛恕願おう。
 祭りには神輿の他に、てこ舞いがでる。小さな山車に太鼓を乗せて、拍子をとりながら笛の伴奏とともに神輿の前をいく。江戸の昔、神田はそれ以外に四神旗が立ったと聞いたが、いつの頃からかなくなった。土地の古老に四神旗の話を尋ねてみたが、知らぬの一言だった。四神とは東西南北を司る神で、青龍、白虎、朱雀、玄武のことだから、四神旗の色は青、白、赤、黒だったと想像する。
 この色は東西南北だけでなく季節もあらわす、桃井かおりがトーク番組で青春の反意語で、赤秋という言葉を作ったと言っていたが、無知にも程がある。青春の反意語は白秋に決まっている。幻冬舎の由来は玄冬をもじったものかしらん。閑話休題。
 神輿の中には御神体が鎮座しているから、不浄の者は忌み嫌われた。不浄の者とは勿論女性である。しかしながら、担ぎ手の不足から女性も男勝りに担ぐようになった。神輿の上にはのってはいけないといいながらも、景気づけか愛嬌か知らぬが平気で乗るようになった。当然ながら、神輿を上から見ることなぞ言語道断である。が、高層建築と集合住宅のご時世では、にぎやかな声に惹かれて窓を開けてしまうのも無理はないか。
 かくして、神輿の季節が来る。5月の中旬から6月にかけて都内のそこここで、神輿が練り歩く。少しく汗ばむ陽気だが、神輿の後について馴染んだ町の違う表情をご照覧あれ。
  

江戸の祭り 東京の祭り

2005-04-24 | 歳時記
 少々気が早いが、ゴールデンウィークが明ければ、都内各所で祭りが始まる。俗に江戸の三大祭といえば、赤坂日枝神社の山王祭り、神田明神神田祭、富岡八幡深川祭りであるが、人によっては神輿の出ぬ、山王をはずして、浅草の三社祭りを加えるものもいる。
 テレビCMで夏祭りというが、あれは大きな誤解で、真夏にやる馬鹿はいない。真夏にやるのは盆踊りである。そもそも祭りは春先、換言すれば初夏の頃は、今年の豊年を祈願し、収穫があける秋に豊作を感謝して行われるものである。第一、東京の夏は帰省してしまうために人がいない。東京も田畑があった頃はまだしも、明治にはすでに都市住民が増え、ふるさとを持たぬものばかりになった。ために為せぬ盆踊りを為そうと東京音頭が作られたくらいである。夏にでかい神輿を担ぐ馬鹿はいないのが常識というものだろう。但し、富岡だけは夏に担ぐ。富岡の深川祭りは、俗に水掛祭りといって、その日だけは神輿を担ぐものにむかって水を浴びせる無礼講が許される。この日ばかりは小はバケツ、ホースに始まり、大は放水車、消防車も活躍する。夏祭りを深川に結びつけられぬことはないが、CMを作っている輩が深川をイメージしているとは到底思えぬ。
 東照大権現を範とした幕府中興の祖、徳川吉宗は、江戸の三大祭りを三年、四年(正確な数字を失念した)に一度と定めた。その名残かどうか知らぬが、神田、富岡は、本祭りは今でも四年に一回である。本祭りは宮神輿がでるもので、深川の場合は一番大きな宮神輿を筆頭に、総勢二十六基が出る。神田は宮神輿を町会でまわす。三社だけは毎年宮神輿三基を町会で回している。
 神輿の掛け声は、わっしょいである。せいや、せいやは野暮というもの。江戸っ子がせいやなんて眉をしかめるが、あれは戦後、三社が復活した頃、神輿の担ぎ手がいなく求人をしたからだろう。昔は、担ぎ手に祝儀を弾んだものだ。祝儀といえば聞こえがいいが、なに、担いだ手間賃である。そうでもせねば担ぎ手が集まらなかったからである。今でも、深川は本祭り以外ならスポーツ紙に広告を出す。但し、参加費を出せと。三社はせいや、せいやと野暮な声を出している。神田は知らない。深川だけはわっしょいの伝統を守っている。本祭りの年になると、深川近辺では、神輿の代わりに、砂袋を乗せて、みなで練習すると聞いた。
 若葉が眼にまぶしい季節になってきた。今年はうちの町会も本神輿を出すとおふれが回ってきた。大人の神輿のせいやの野暮な声に交じって、子供神輿のかわいい、わっしょいが天保老人の慰みである。