
3月26日に足を骨折して以来、日常の食事の買い物以外、
否応なく家に閉じこもる日が続いた。
最初の頃は、家の中で身体を移動させることもままならなかった。
我が家には有り難い事に、孫が金曜日の夜来てお泊りしながら
こまごまとした買い物や用事をこなしくれて、本当に助かった。
いつも私に甘ったれているのに、今度は私が甘える番になった。
そして殆ど定期的に親戚でもあり、友だちでもあるTちゃんが
週2回くらい来てくれて、家事をしてくれたり話し相手をつとめくれた。
気兼ねがいらない友は有り難い。
この歳になったら、明日は何が起こるか分からない。
「私も最近、ちょっとした段差で躓いたりする。」とTちゃん。
お互いに助け合おうね、と話し合った。
「あなたが骨折するのは、私の足が治ってからにしてね」と頼んだが。
習い事の朗読のコースはは3月中旬で終わっていた。
毎日家に居る。
その間、パソコンは殆ど開かずに、家でテレビゲームをやっていた。
来る日も来る日も、もくもくとゲームを続けた。
気を紛らすのにはちょうど良い娯楽だ。
動き辛い身体に苛つくこともない。
この歳でテレビゲームとは、恥ずかしいので今まで黙っていたが
その内、5月の初め頃だったろうか?
Tちゃんと話している時、名詞がなかなか出て来ないのに気が付いた。
次から次へと話をしたいのに、言いたい名詞が頭に浮かばないので、
話が途中でつっかえる。
名詞を思い出すのに何秒か時間が掛かり、相手を待たせる。
思い出せないで、そのまま話が尻切れトンボに終わることもある。
それを何度も繰り返し、相手も待ちくたびれただろうけど自分も疲れた。
話をしているときに、名詞が直ぐに出ないのはよくある事だが
話が途切れ途切れになるほど浮かばないのはもう病的である。
このまま、どんどん惚けが進むのだろうか?
私は自分にウンザリし、このまま症状が進むのかとゾッとした。
そして5月半ば、5月期の朗読の講座が始まった。
始まる3日前まで、今期は諦めて9月期に振り替えてもらおうかと
迷っていたが、変更願いをするには時期が遅過ぎると気が付き、
松葉杖を突いても思い切って出かけることにした。
私にとってそれは正解だったようだ。
朗読の講座が始まった途端に、あんなに出なかった名詞が滞りなく出て
滑らかにスラスラと話が出来るようになった。
名詞が出ないで四苦八苦したことなど嘘のように、今は話が出来る。
文章を声に出して読む。 出来るならば自分なりに言葉に命を吹き込んで。
好きなことを学んで元気になる。 それが私の場合、朗読なのだ。
新しい人に出会って、新しい先生に教えられて・・
馴染みきった環境は安定していて楽だけれど、新しい環境に身を置いて、
新しい仲間と先生の中に入っていき、自分の場を広げて行くのも
それなりに気苦労(?)はあるけれど、新鮮だ。
この歳でチャレンジ出来るのは幸せだと思う。
成り行きで、自己顕示欲を擽られてちょっと自信を持ったり、
直ぐに打ちのめされて自信喪失したり、と忙しいのだけれど・・
楽しみには、苦しみが着いて、ワンセットなのだし。。
否応なく家に閉じこもる日が続いた。
最初の頃は、家の中で身体を移動させることもままならなかった。
我が家には有り難い事に、孫が金曜日の夜来てお泊りしながら
こまごまとした買い物や用事をこなしくれて、本当に助かった。
いつも私に甘ったれているのに、今度は私が甘える番になった。
そして殆ど定期的に親戚でもあり、友だちでもあるTちゃんが
週2回くらい来てくれて、家事をしてくれたり話し相手をつとめくれた。
気兼ねがいらない友は有り難い。
この歳になったら、明日は何が起こるか分からない。
「私も最近、ちょっとした段差で躓いたりする。」とTちゃん。
お互いに助け合おうね、と話し合った。
「あなたが骨折するのは、私の足が治ってからにしてね」と頼んだが。
習い事の朗読のコースはは3月中旬で終わっていた。
毎日家に居る。
その間、パソコンは殆ど開かずに、家でテレビゲームをやっていた。
来る日も来る日も、もくもくとゲームを続けた。
気を紛らすのにはちょうど良い娯楽だ。
動き辛い身体に苛つくこともない。
この歳でテレビゲームとは、恥ずかしいので今まで黙っていたが

その内、5月の初め頃だったろうか?
Tちゃんと話している時、名詞がなかなか出て来ないのに気が付いた。
次から次へと話をしたいのに、言いたい名詞が頭に浮かばないので、
話が途中でつっかえる。
名詞を思い出すのに何秒か時間が掛かり、相手を待たせる。
思い出せないで、そのまま話が尻切れトンボに終わることもある。
それを何度も繰り返し、相手も待ちくたびれただろうけど自分も疲れた。
話をしているときに、名詞が直ぐに出ないのはよくある事だが
話が途切れ途切れになるほど浮かばないのはもう病的である。
このまま、どんどん惚けが進むのだろうか?
私は自分にウンザリし、このまま症状が進むのかとゾッとした。
そして5月半ば、5月期の朗読の講座が始まった。
始まる3日前まで、今期は諦めて9月期に振り替えてもらおうかと
迷っていたが、変更願いをするには時期が遅過ぎると気が付き、
松葉杖を突いても思い切って出かけることにした。
私にとってそれは正解だったようだ。
朗読の講座が始まった途端に、あんなに出なかった名詞が滞りなく出て
滑らかにスラスラと話が出来るようになった。
名詞が出ないで四苦八苦したことなど嘘のように、今は話が出来る。
文章を声に出して読む。 出来るならば自分なりに言葉に命を吹き込んで。
好きなことを学んで元気になる。 それが私の場合、朗読なのだ。
新しい人に出会って、新しい先生に教えられて・・
馴染みきった環境は安定していて楽だけれど、新しい環境に身を置いて、
新しい仲間と先生の中に入っていき、自分の場を広げて行くのも
それなりに気苦労(?)はあるけれど、新鮮だ。
この歳でチャレンジ出来るのは幸せだと思う。
成り行きで、自己顕示欲を擽られてちょっと自信を持ったり、
直ぐに打ちのめされて自信喪失したり、と忙しいのだけれど・・
楽しみには、苦しみが着いて、ワンセットなのだし。。
どこかで聴いたことがあります。
音読する、これは記憶にもつながるので、
ばーばさんにとっての朗読は水をえた魚の如く、
脳がぐるぐるとまわりだすエンジンのようなものですね。
それにしても、朗読を習うということは大変なことですね。
わたしのようなぐーたらでは、
荒修行のような講座は、とても勤まりそうもありません。(笑)
とても困りますね!
>脳がぐるぐるとまわりだすエンジンのようなもの
春さん、よくぞ言い当てて下さいました。
私にとって朗読は、身体や脳に潤滑にオイルが回り、始動するエンジンの役目を果たしているのですね。
・・と改めて気が付きました。
先生は、中学時代に「教練」を受けたと言ってましたから
80歳過ぎていらっしゃるかもしれません。
年配の男性も2人、受講していますが同じくガミガミ叱られながら学んでいます。みんなマゾ入っているかも(笑)