ICCに行ってきた。
ICCに行くのはルアン・グルッパのアデ・ダルマワンと行ったとき以来だ。
あのときもこのぐらいの時期でこれぐらい寒かった。
英語も喋れない僕は無言で、ときたまジェスチャーで彼を案内したものだ。
ICCに関しては、それぐらいのことしか思い出せない。
特に思い入れはないといえる。
『Passible Futures.
Japanese postwar art and technology
アート&テクノロジーの過去と未来』
正直な感想をいえば、展覧会としては全く面白いと思わなかった。
様々な作品が「ただ陳列されているだけ」という風にしか思えなかった。
日曜ということもあり、子供連れや、カップルが多かったことは良いと思うが、
芸術をやっている人間にしてみれば物足りない内容だったのは否めない。
いや、違う。
個々の作品は興味深いのだ。
ただ、それを羅列するだけで「良し」とする主催者側に苛立つのだ。
個人的に惹かれる作品はあった。
それは松本俊夫と飯村孝彦と岩井俊雄。
松本俊夫と飯村孝彦に関しては日本実験映像界の重鎮たちであり、
今さら語るに及ばない。
この人たちの作品は次回の作品を制作するうえで参考になるものだった。
岩井俊雄の作品は純粋な楽しみがあって良かった。
それ以外のところは正直良くなかった。
良いとは思わせてくれなかった。
何より不満だったのは映像作品が展示されていたことだ。
10分以上ある作品を立ったまま見る人間など稀だろう。
写真や絵画と同じように、壁面を彩る要素のひとつとしてそこにあることに、
いや、勿論、映像は色彩の変動と変化によって表現されているが、
時間軸を無視した展示方法にはガッカリした。
これは、ICCの展示計画のいい加減さを物語っているのだろう。
せめて椅子ぐらい用意しなければダメだ。
僕は写真展でも見に行った方が断然良かった、と思った。
ICCが今回の展覧会で、その活動を終えるだろうと噂されている。
実際はそれが噂でもなんでもなく、事実なのだろう。
『アート&テクノロジーの過去と未来』
ICCに未来がないように、今回の展示にも未来を感じなかった。
有終の美を飾るにはこれでは寂し過ぎる。
by shin
ICCに行くのはルアン・グルッパのアデ・ダルマワンと行ったとき以来だ。
あのときもこのぐらいの時期でこれぐらい寒かった。
英語も喋れない僕は無言で、ときたまジェスチャーで彼を案内したものだ。
ICCに関しては、それぐらいのことしか思い出せない。
特に思い入れはないといえる。
『Passible Futures.
Japanese postwar art and technology
アート&テクノロジーの過去と未来』
正直な感想をいえば、展覧会としては全く面白いと思わなかった。
様々な作品が「ただ陳列されているだけ」という風にしか思えなかった。
日曜ということもあり、子供連れや、カップルが多かったことは良いと思うが、
芸術をやっている人間にしてみれば物足りない内容だったのは否めない。
いや、違う。
個々の作品は興味深いのだ。
ただ、それを羅列するだけで「良し」とする主催者側に苛立つのだ。
個人的に惹かれる作品はあった。
それは松本俊夫と飯村孝彦と岩井俊雄。
松本俊夫と飯村孝彦に関しては日本実験映像界の重鎮たちであり、
今さら語るに及ばない。
この人たちの作品は次回の作品を制作するうえで参考になるものだった。
岩井俊雄の作品は純粋な楽しみがあって良かった。
それ以外のところは正直良くなかった。
良いとは思わせてくれなかった。
何より不満だったのは映像作品が展示されていたことだ。
10分以上ある作品を立ったまま見る人間など稀だろう。
写真や絵画と同じように、壁面を彩る要素のひとつとしてそこにあることに、
いや、勿論、映像は色彩の変動と変化によって表現されているが、
時間軸を無視した展示方法にはガッカリした。
これは、ICCの展示計画のいい加減さを物語っているのだろう。
せめて椅子ぐらい用意しなければダメだ。
僕は写真展でも見に行った方が断然良かった、と思った。
ICCが今回の展覧会で、その活動を終えるだろうと噂されている。
実際はそれが噂でもなんでもなく、事実なのだろう。
『アート&テクノロジーの過去と未来』
ICCに未来がないように、今回の展示にも未来を感じなかった。
有終の美を飾るにはこれでは寂し過ぎる。
by shin