奥武蔵の風

90 飯能戦争の主舞台:能仁寺

 戊辰(ぼしん)戦争は、明治新政府に抵抗する旧幕府軍と新政府軍との間で、各地に起こった内戦の総称です。上野、会津、函館のように歴史の教科書に載るものもあれば、歴史ファンだけが知るマイナーな戦いもあります。

 「飯能(はんのう)戦争」は、上野の彰義隊から分裂した「振武軍」が、武蔵国 高麗(こま)郡 飯能村(現 埼玉県飯能市)で新政府軍と戦った戊辰戦争の一つです。振武軍のリーダーは、渋沢成一郎(喜作)、尾高惇忠、渋沢平九郎と、いずれも渋沢栄一(当時 訪欧中)の縁者でした。

 その振武軍が本陣を構えたのが、天覧山の南麓に位置する「武陽山 能仁寺(のうにんじ)」です。残念ながら、振武軍は新政府軍の猛攻を受けて敗北。彼らが陣を置いた能仁寺をはじめとする周辺一帯4つの寺院は焼け落ち、渋沢成一郎、尾高惇忠は逃れて 後に明治期の産業近代化に貢献することになりますが、渋沢平九郎(渋沢栄一の養子で、尾高惇忠の実弟)は黒山村(現 越生(おごせ)町黒山)で自刃しました。

 というわけで、現在の能仁寺の伽藍(がらん)は、その後に再建されたものですが、歴史にふさわしい風格の寺院であることは間違いありません。3年前の2020年10月に、敷地の一角にピックルス ホールディングスが運営する発酵食のレストラン「OH !!!」がオープンし、地元や天覧山へのハイカーの間で人気です。

 ところで、能仁寺は数年前にご住職が亡くなり、しばらく正式な住職が不在であったようですが、今月下旬に新住職の就任を祝う晋山式(しんざんしき)が挙行される予定です。

 

 

(写真上)© 能仁寺山門。晋山式当日の一般者の「参拝不可」を告げる立札が見られます。

(写真上)© 巨大な石灯籠が立ち並ぶ参道。

(写真上)© 冠木門と鐘楼(左上)

(写真上)© 中雀門

(写真上)© 大書院

(写真上)© 能仁寺本堂(東寄りから撮影)

 

(写真上)© 本堂の扁額。御本尊は「毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)」。 合掌

 

(写真上)© 本堂(西寄りから撮影)

(写真上)© 開山堂

(写真上)© 不動堂

(写真上)© 渋沢平九郎の死を悼む「節死義唱」の石碑。

(写真上)© 飯能戦争についての説明板。

(写真上)© 天覧山への登山道の脇に立つ「東参道」の案内碑。

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