
本格的な雨の朝になってます

今日のお昼には商工会議所祝賀会の
参加予定になってます

昨夜の五条、お顔見知りどうしの
お客様が3組
新年のあいさつから始まって
横繋がりのお話も飛び交い
楽しい雰囲気の美味しい時間
過ごして頂けたみたいです。
『幸せを味わって貰えたでしょうか?
ありがとうございました』




ある読み物をしていたら こんな事が
綴られていました。
とても共感できる文章で
ご紹介したくなったので 載せさせて貰いますね^^
少し長めなので お暇な方はご覧下さい

人の人生を「木」に例えてみましょう。たくさんのおいしい果実がたわわに実る大きな木は、幸せな人生の象徴です。この木において、地面から上の目に見える部分、幹や枝葉、花や実は、人生の実り、仕事の成功や幸せな家庭、生きがいや持てる財産などを表しています。一方、木には目に見えない部分もあります。土に隠れた根っこの部分です。根は、見えないところで木を支え、実りのための十分な栄養を土から吸収して木そのものの命を支えます。
人生に大きな幸せを生み出したいと考えた時、つまり大きな木に実をたわわに実らせたいと思う時、私たちは丈夫な根っこを育て、大地に深く根を張って十分な栄養を吸収しなくてはなりません。根っこが貧弱だと、毎年実をつけることが難しいし、台風が来たらあっという間に倒れてしまうかもしれません。しかし、多くの人は人生そのものを何とかしようと必死です。これは、根っこはそっちのけで葉っぱを磨いているようなものです。
「何かを得たら幸せになれる」という考えは、一見正しいように思えます。しかし、外側で得た「何か」は、得た後必ず失われる運命にあります。最愛の人もいずれ離れる時がきます。お金も減ることもあるでしょう。得たものは永遠ではないのです。ですから得ても幸せであり続ける事は、実は難しいのです。それどころか得た瞬間から失う不安が生まれます。
叶えたい事や得たい物=木の幹や枝葉や花や実は、私たちにとって「幸せの象徴」に過ぎません。「お金を得たら、もしくは結婚をしたら、さぞ楽しくて幸せな毎日を送れるにちがいない」こう考えたからこそ「お金が欲しい」「結婚したい」と思ったわけです。ですから本当にほしかったのは、「お金」そのものではなく「楽しい気分」や「満足感」「安心感」が欲しかったのです。私たちが本当に欲しいものは、それを得た後に感じられるであろう「満足感」「幸せ感」「充実感」などの快い感覚なのです。
形なきものを求める気持ちも同じです。「あの人に好かれたい」「認められたい」などのように自分がどのように見られるかという望みも究極的には、心地よい満足感を求めているのだということに集約されます。なんとかして「心地よい感覚」「満足感」「充足感」を感じたいとみんな必死なのです。ある人は夜な夜なクラブに通い、ある人は成功を目指して必死に働き、またある人はだれかに認められるよう頑張っています。
しかし、よく考えてみてください。私たちが真に欲しているのは「心地よい感覚」なのです。ならば、努力の果てに夢が叶うであろう遠い未来を待たなくても「今、この瞬間」にもそれを感じることができるはずです。そしてこれらの感覚をたくさん味わうことこそが根っこを育てることになるのです。
内面で「幸せ感を感じること」が先で、結果として外側に「幸せな出来事や状況」がやってくるのです。
「幸せ」は、何かを得たらやってくるものではありません。あなた自身の心がより多くの瞬間に「幸せだなぁ」と深く実感し味わう事によって作られるものなのです。
「毎日の生活の中で、いかに根っこを育てることができるか」これがあなたの人生に幸せを作り出すための大事なコツなのです。
(PHP研究所)より
この文章を読んでいたら、私の頭の中の靄が
少しだけ 晴れたような気になりました。
いつも「実りある事をしたい」と考える中
思うように進まないと悩むこともあるけど、
瞬間、瞬間には「幸せ」を実感し味わっているから
毎日、頑張れるのかなぁ?って思えてきました。
でも、やはり根っこの部分の成長が未熟なので
常に不安がともなっているのかなぁ?とも・・・。
今年の抱負として 一つ
目に見えない根っこ育てに
今更、この歳になってですが、
力を注ぎたいなぁ?
そんなことを思ったのでした


