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きっと忘れない

岡本光(おかもとこう)のブログです。オリジナル短編小説等を掲載しています。

短編小説 (ショートショート)「星の丘で」

2011年03月06日 | 小説 (プレビュー版含む)
 人という種が、大地を覆いつくしていた時代があった。

 今のように、地表のごく一部に張り付くように生きるのではなく、この星の覇者として陸と空と海を行き交い、全てを手にしていた時代。それはもう、何千年も前の事だ。
 
 ニイナは、星を見つめながら、本当にそんな時代があったのだろうか、と一人考えていた。人が、他の生物に命を脅かされる事も、空から降り注ぐ黒い灰に怯える事もない時代。彼女には、とても想像のつかない情景だった。

 今、人は、正常な環境を僅かに残した土地に集落を作り、死に向かう命を継ぎ足すように生き延びていた。ニイナが生まれた頃、既に集落は数百人の単位まで人口を減らし、滅びを待つだけになっていた。他の集落と行き来する手段は既に失われ、消え去った技術を復興させる手立ても存在しなかった。

 ニイナは、生まれてからずっと大人達の絶望と共に育ってきた。種の絶滅に立ち会う事になった、最後の世代。それが彼女の唯一の存在意義だった。

「こんなところにいたのか。もう夜だ。灰が降る前に戻らないと」

 丘の上に佇むニイナに、遠くから少年がそう呼びかけた。集落で、彼女に一番年の近いウルベだ。背の高い彼の姿は、離れていてもはっきりとわかった。

「でも夜にならないと星は見えないわ」

 ニイナはウルベに告げ、不満そうに顔を曇らせた。

「灰の毒で身体を痛めてはどうしようもないだろう」

 ウルベはニイナの手を取り、彼女に戻るように促した。

 本当はもうすこしここに居て、灰の降る星空を見てみたいのに。そう思いつつも、流石にそれを口に出すことはニイナには出来なかった。ウルベが本気で心配してくれている事がわかっているからだ。

 ウルベはいつも優しい。だから、絶望を口に出すことは出来ない。
 
 丘を降り、もう一度振り返り、ニイナは空を見上げた。かつてはこの土地にも、何千何万という人間が溢れ、数え切れないほどの足跡を残し、生きていた。気の遠くなるほどの時間を掛け、少しづつ滅びの道を辿っていった人々。彼らは何を思い、生まれ、死んでいったのだろう。そして、自分たちが最後に生き残った意味は何なのだろう。もはや未来など存在しないと分かっていて、それでも生きる理由はなんなのだろう。

 集落の灯を見つめながら、ニイナは心の中で何度も繰り返したその疑問を、また自分自身に問い掛けていた。その答えが決して見つかることがない事を知りながら。

短編小説 (ショートショート) 「夢の続き」

2010年10月23日 | 小説 (プレビュー版含む)

 繁華街の片隅で、小さな赤い「貴方の夢を叶えます」と書いた看板を見たとき、私は無意識にその看板の横にある小さな店の扉をノックしていた。

 入り口から出てきたのは、上品そうな白い服を着た女性だった。

 受付の担当者が自分と同性が受付だった事で、私は少し安心した。そして

「あの、このお店はどんな事をするお店なんですか?」

と遠慮がちに尋ねてみた。もしこの店が何か、いかがわしい事をする店だったら、すぐに立ち去るつもりだった。

「ご説明いたしますね。千円で十分間、素敵な夢をご提供します。ただし、叶える夢は、あなたの『過去』か『未来』に『経験した』夢のような時間限定です」

 私には、受付の女性が何を話しているのか、ほとんど理解できなかった。

「もちろん、あやしい催眠術や霊感商法ではないのでご安心を。リアルな3D映画のようなものとお考え下さい。ただし、上映できるのはあなたの心の中だけ、ということで」

 どう考えても怪しい説明にもかかわらず、私は、その店の受付カウンターから離れる事が出来なかった。そして、気がつくと財布の中にある五千円札を取り出し

「これで、少しの間だけ、素敵な夢を見させてください」

 そう頼んでいた。受付の女性はやさしく微笑んで

「途中でキャンセル等できませんが、初回から五十分でよろしいですか? それと、叶える夢の種類は選べませんので、ご了承下さい」

 と私に確認してきた。

「かまいません。お願いします」

 私は五千円札を受付カウンターに置き、そう答えた。

「では、こちらに」

 女性の声に導かれて、私は店の奥へと進んで行った。店の通路は暗くて狭く、どこまでも続いているようだった。





 そして一時間後、私は、繁華街の路上で声を上げて泣いていた。いきかう人達の目も気にせず、ただひたすら、涙を流し続けていた。





(了)



短編小説 「自由研究」

2010年07月26日 | 小説 (プレビュー版含む)
 『短編小説 自由研究』 (プレビュー版)


 今からもうずっと昔、僕が小学五年生の頃。一学期の終了式が終わったあと、僕は隣のクラスの歩美に、渡り廊下でいきなり声をかけられた。

「タカシ、夏休みどっか行く?」

「行かない。てか、いきなり声かけたりするなよ」

 当時は男子と女子が立ち話をしているだけでも、付き合っているだのエッチだのと周りに冷やかされる時代だったから、僕は大あわてで歩美にそう返事をした。

 歩美と僕は一歳の頃から知り合いだった。でも、学校で同じクラスになったのは二度だけだ。小学校に上がってからは、ことさら意識して僕のほうから声をかけないようにしていた。それでも歩美は、気紛れに僕に声をかけては、僕を振り回していた。幼馴染みなんていうものは大抵そんなものなのだろうと、当時の僕は思っていた。

「タカシ、もし夏休みヒマだったらさ。土ころび探すの手伝ってくれない? 今年の夏休みの自由研究にするから」

 歩美は、僕の返事などおかまいなしに、大きな声で話を続けた。短いジーンズを履き、髪を短く切っていた歩美は、離れて見ると男子とほとんど見分けがつかなった。背は低いほうではなかったけど、彼女の胸はまだほとんど膨らんでいなくて、話し方も声も男の子っぽかった。もしかしたら通りかかった他の生徒からは、男子が二人で夏休みの予定を話しているように見えていたかもしれない。

「とりあえず話だけ聞くからさ、一旦帰ってからにしようよ」

 僕は小声で歩美にそう告げると、肩に下げたランドセルを背負い直した。

「だったら、帰りながら話せばいいじゃん?」

 まったく空気を読まずに、歩美が言った。そういえば彼女は、前に僕と同じクラスになった時、合唱のコンクールの練習の時間に

「この歌はキライだから歌いません」

 と先生とクラスメイトに宣言して、結局、その後一度もその歌を歌わなかった。空気を読まないというよりは、自分が納得出来ない事には流されたくないのだろう。今だってきっと彼女は『つちころび』の話をしたくて仕方がなくて、他の生徒の目などどうでもいいのだ。僕はため息をついて、目立たない学校の裏門から歩美と肩をならべて、二人で家路についた。

「土ころびっていうのはね、妖怪の一種なんだって。サッカーボールくらいの大きさで、毛がモサモサはえてて、山奥でゴロゴロ転がるんだって!」

「それ、何の本に書いてたの?」

「おじいちゃんが死ぬ前に言ってたの。山奥で土ころびを見た事があるって!」

「歩美ちゃん、おじいちゃんのホラ話に騙されてるんじゃないの?」

「でも、おじいちゃん、私にウソついたことないもん!」

 そんな会話を交わしながら、僕と歩美は学校の横の坂道をひたすら歩いて上った。


「続く」


※同小説「自由研究」の続きは、下記のサイト「erased memories」で掲載致しております。


篠原コウ 小説作品掲載サイト 「erased memories」

不器用なフリッパー

2010年05月02日 | 小説 (プレビュー版含む)

 

 

 

 これはもうずっと昔、まだゲームセンターと言うものが街の隅でひそかに、しかし元気に輝いていた、1990年代のお話だ。何十年も前の昔話。ゲームがまだネットに繋がらない、シンプルな娯楽だった時代。僕らは確かにそこに居た。

 僕がそのゲームセンターを時間潰しの場所に決めたのは、別に、たいした理由があるわけじゃなかった。

 しいて言えば、通っている大学の講義が限りなく退屈だったからだ。四流大学生の僕の将来なんてたかが知れている。だから真剣に学問にはげむつもりはなかったし、かといって他の学生たちのように、適当なサークルに参加して恋愛ゲームを楽しめるほど僕は器用でもなかった。そりゃあ、そうしたサークルに所属している可愛い女の子の一人や二人は気にしてもいたけれど、その子たちにはすでに彼氏がいたり、僕のことなんておかまいなしにイケメンの先輩を追い掛け回していたりした。なんにせよ、大学内に僕の居場所はなかったのである。

 だからといえば言い訳になるのだけれど、大学から自転車で十五分ほどの距離にある場末のこのゲームセンターで、僕は時々、意味の無い時間つぶしをしていた。店員のおばさんは毎日カウンターの奥に引っ込んでテレビを見ていたし、平日の昼間から場末のゲーセンに来る奇特な人間は、当然ながらごく少数だったので、僕はほとんどの時間、店を貸しきり状態で使っていた。

 店内には、テープル筐体が十数台、レースゲームが二台。それに、どこから仕入れたものか、時代遅れのピンボールマシーンが一台、壁際に据え付けられていた。

 大学に入学してから少し経った五月頃、格闘ゲームやレースゲームをやる気なさげに攻略しながら、僕は「ここでこんなことをして、どんな意味があるのか」と自問自答を繰り返していた。時代遅れのゲームのBGMは、僕のダサい服装によく似合う気がして少し心地よかったけど、だからといって何か素敵な出来事が起こる訳でも、逆に何か不幸な出来事が起こる訳でもなかった。レースゲームのハンドルを握り、モニターの向こうのどこにも繋がらない世界で、危機感を感じる事もなくただコースを走る。その行為に暇つぶし以上の意味なんてないんだろう。

 そんな風に僕がこの店で過ごすようになってから数ヶ月。僕は、ある日ちょっとした事に付いた。店の片隅のピンボールの筐体の右側に、小さな傷が増えているのだ。それは、本当に微妙な変化で、おそらく毎日のようにここに通う僕以外は、誰一人として気が付いていなかっただろう。

 その傷は、どうやら百円玉でつけられたものらしかった。微妙な引っかき傷。筐体の側面に、ごく遠慮がちに、数本の筋が刻まれていた。その数本の傷跡は、古いものは擦れ、新しいものは、ゲーセンの光を反射して鈍く輝いていた。

「…どっかの悪ガキの仕業かねぇ」

 僕は、そう独り言を呟きながら、なんとなく気まぐれにピンボールの筐体にコインを入れた。二本のボタンで、フリッパーを操作してボールを弾く。ただそれだけの単純なゲームだ。ボールがターゲットに当たると、大げさなファンファーレが鳴り響き、デジタルのスコア表示が更新されていく。

「面白いのか? これ…」

 ゲームは十分ほどで終わった。手持ちの玉を使い尽くし、ゲームオーバーの表示と悲しげな音楽が、ほんの少し、軽く僕を打ちのめした。ただ、何故かその打ちのめされた感覚は、悪い気分ではなかった。

 その日から、僕の暇つぶしのローテーションに、ピンボールが新たに加わった。フリッパーを上手く操作すれば、ゲーム時間は延びていく。数週間後には、僕はひとつのコインで三十分ほど、時間をつぶせる程度の腕前に上達していた。
よく観察してみると、それぞれのターゲットには意味があり、筐体全体としてのテーマが決められているようだった。残念ながら、英語で記載されたゲーム解説は、僕にはほとんど読めなかったのだが。

「よく分からないエイリアンがよく分からない敵と銀の玉で戦っている…どんな世界観なんだ??」

 そうブツブツと呟きながら、ハイスコアを狙いつつ複数のターゲットに上手く玉を当て、ランプを点灯させる。どうやら全てのランプを点灯させれば、何かイベントが起こるらしい。

「あと一個…右のターゲットを墜とす!」

 玉は空しくそれて、アウトゾーンに吸い込まれていった。もう一回だ!と思ったときに、僕は気付いた。もしかして…。

 僕は、持っていたコインで、筐体の側面に傷をつけた。なるべく目立つように。僕の予想が正しければ、きっと何かリアクションがあるはずだ。

 そして、僕のその予想は数日後、的中した。僕のつけた傷の上に、ご丁寧に黄色の小さなふせんのメモ書きが貼り付けてあったのだ。

『マネをするな。バカモノ』

 愛想のない内容だが、随分と丁寧な文字だ。やっぱりな、と思いながら、僕はそのメモを剥がして、店のカウンターの奥にいるおばさんの所に行った。おばさんにメモを見せ、気付いてました? と尋ねると

「ああ、そりゃピンボール台の常連の子だね。夕方からよく来る…なんて言ったっけねぇ」

 おばちゃんは、テレビの昼ドラマの展開が気になってしかたがない様子だったが、貴重な常連客である僕の質問には、一応親切に答えてくれた。

「学校と塾の合間にね、来てるみたいよ? なんかおかっぱ頭で背が低い…不思議な子でねぇ。他のゲームには見向きもしないのよ」

 そこまで話して、おばちゃんはメモをしげしげと見つめ

「こんな字を書く子なんだねぇ」

 と見当違いな感想を述べ

「それじゃワタシは忙しいからこれでね。いま冬彦さんが大変な事になってるんだよ! テレビから目が離せないよ?」

 と奥に引っ込んでいった。まったくもって、何故このおばさんが店番をしているのはわからないが、何か深い理由があるのだろう。多分。

 ともかく、ピンボール筐体の傷の謎は、ほんの少し解明した。たまにこのゲームセンターに立ち寄っては、ハイスコアの更新のたびに、筐体にひっかき傷をつけるおかっぱ頭の不思議な子。その風景を想像して、僕はちょっと微笑ましく思いつつ、メモを筐体に貼り付けなおした。

『マネしてゴメン。今度からは、左側にするよ』

 そして、少しづつ筐体のハイスコア更新を記録する傷は増えていった。右側と左側に、本当にほんの少しづつ。当然の事ながら、僕のピンボールの腕が上がるたびに、ハイスコアのハードルも上がり、更新の機会はその分、減っていった。

 右側の、もう一人の常連のためのスペースにある傷も、次第に数が減っていった。店のおばさんに一言尋ねれば、その理由はたぶん分かるのだけど、僕は何故かそれはルール違反のような気がしていた。そして勝手に、おかっぱのその子も自分で決めたルールを守っているのだろうと、そう根拠もなく空想をしていた。

 冬になり、僕は帰省のため、数週間ピンボールから離れていた。正直、実家の両親の顔など見ても見なくても気にならないのだが、毎月律儀に仕送りを送ってもらっている手前、年に一度くらいは里帰りをしなくてはならない。そうして、コタツでミカンなどを食べながら、くだらないテレビ番組を見て、年末年始をすごすのが、一人息子の義務なのだ。

 つまらなくも平和な年末年始を過ごした後、僕は久々にゲームセンターに訪れた。ピンボール筐体は相変わらずそこにあり、そしてその右側面には、誇らしげに大きな傷が刻まれていた。一枚のメモ書きと共に。

「推薦で大学受かりました! ヤッタネ!」

 僕は苦笑しながら、筐体にコインを入れた。ファンファーレが鳴り響き、玉が勢い良く飛び出す。僕のハイスコアの更新は、まだ先になりそうだ。

 フリッパーを弾きながら、僕は想像する。おかっぱ頭の、負けん気が強くて、そして多分孤独な、背の低い学生。その子が、一人で、この筐体にコインを入れ、フリッパーを弾く姿を。

 僕と同じように悩み苦しみながら、ほんの少し、この筐体に愛着を感じて、傷を確かめる誰かがいる。そんな想像を。

 ピンボール台の全てのランプが点灯する。ビッグボーナスのチャンス。僕はフリッパーを弾く。ボールは、最終ターゲットを見事に捉らえ、そして… ファンファーレが鳴った。

「グランドスラム…初めて見た」

 僕の後ろから、遠慮がちな、でもよく通る、女の子の声が聞こえた。振り向くヒマはない。ゲームはまだ続いている。フリッパーは、ターゲットから新たに発射された三個のボールを次々と弾いていく。

「トリプルか。すごいね。でも…すぐ追いつくからね?  ただの偶然ってこともあるし」

 僕の背中に、そんな声が投げ掛けられる。僕は一瞬油断し、そしてその十数分後、ゲームオーバーの表示が点灯した。

「ハイスコア更新、おめでとう」

 振り向いた僕に、おかっぱ頭の、そして想像より幾分か派手な顔立ちの女の子が、笑顔で告げた。

「はじめまして。メモ読んだよ。おめでとう」

 僕は、そう、彼女に応える。目の前に立っている人物の意外な姿に驚きながら。

「うん、ありがとう。これからもよろしく」

 はにかんだ笑顔で、でも確かに、彼女は微笑んで、僕の腕にそっと手を伸ばした。

 僕の背中では、ピンボールの筐体が、相変わらず賑やかなBGMを鳴らしながら、百円玉を欲しがっている。

 仕方がない。もうちょっと、このおんぼろ筐体と付き合ってやろうか。

 彼女と、僕と。二人で一緒に。


(了)






窓の中、碧い世界 (後編)

2010年04月03日 | 小説 (プレビュー版含む)
(6)


夏がきた。



兆候は、穏やかに始まった。遥か東にある王都が、隣国に攻め落とされたという知らせが、旅の商人から届けられた。彼はありったけの荷物を荷馬車に詰め込み、足早にこの村を去っていった。西へ逃げろと言い残して。





秋がきた。




東からの風に、血の匂いが混じった。村人たちは、一人、また一人と姿を消していった。ある者は東へ行ったきり戻らず、ある者は西へと逃げ、ある者は数少なくなった村の守り手としての使命を果たし、死んでいった。




冬がきた。



アインも、フィアも、ゼクスも、少なくなった大人たちに混じり、それぞれの仕事をこなすようになった。私たちの授業で繰り返し繰り返し学んだ技で、彼らは獣を焼き払い、切り裂き、爆ぜさせていった。そして私も、この村と子どもたちの生活を守るため、巨人や亜人間を狩った。追い払うなどという悠長なことをする余裕は、もう村にはなかった。私の剣は血で汚れ、欠け、そして磨り減っていった。




ある日、本当に久しぶりに、新しい冒険者が村を訪れた。
バニィと名乗るその若者は、青いローブを被った黒髪の若い青年だった。




「東の王都は、完全に崩壊しました。黒い鎧を来た兵士の一群が、あっと言う間に城を焼き払って…」




バニィは悔しそうに目を伏せ、私たちにそう言った。




「ここまで逃げてくるのが精一杯でした。仲間もばらばらになってしまって…。おそらく、もう…」

村長の提案で、バニィはこの村の自警隊の一人として組み込まれることになった。彼は氷の術の使い手だった。この世界では、あまり見ないタイプの術なのだが、彼曰く、その術はどんな敵をも凍らせ、一瞬で砕く…らしかった。村は今、ひとりでも多くの手を借りなければならない状況だ。自警団に魔法の使い手が増えるのはありがたかった。

バニィの魔法は、私たちの予想より遥かに強力だった。氷の嵐が敵の動きを止めることで、私たちの仕事は遥かに楽になった。私は、凍りついた亜人間の身体を剣で砕き、足で蹴りつけた。動けない敵を相手に、私の身体は身軽になり、手足は確実に敵を捉えた。




「あなたは、ずっと一人で戦ってきたんですか?」




ある日、バニィが戦いの後、私に尋ねた。

「私? そうね…。一人じゃない時もあったけど…」

あの時は確かに独りではなかった。でも…。かつてのオンラインゲーム仲間たちと戦った日々が、私には遠い過去の記憶に思えた。

「貴女は孤独に強いんですね。村を離れて、他の強いギルドに入って暮らす手もあったでしょう?」

「強くはないです。独りに慣れただけ」

私は、荒く手入れした剣を鞘にしまいながら、無愛想な顔でそう答えた。

「でも」

バニィは笑って言った。

「それでも貴方は強いですよ。僕は王都を追われた・・・負け犬ですから」

「それでも、その負け犬のあなたの力が、村のみんなには必要なの」

私は気弱に笑うバニィに向き直って、まだ幼さの残るその白い顔に、大きな声で告げた。

バニィの瞳には、むこうの世界から来た者だけにわかる、暗い光があった。けれど私は、彼に過去を尋ねる事は出来なかった。私自身と同じように、バニィも何かを抱えて、あの現実の世界から、この世界に入り込んだのだろう。それは、別に私が知る必要のないことだ。・・・けれど。

「それでも、あなたは、強いの。私がそれを知ってる」

そう言って、私は地面を軽く蹴り、バニィに向かって右手を伸ばした。彼の細い右手が、ためらいがちに差し出され、私に触れた。その手は柔らかく、温かかった。私たちは、笑顔で握手を交わした。


(8)


そしてさらに数ヶ月が経ち、王都を襲った黒い軍隊が村を襲った。彼らは一瞬で村の門を焼き払い、なすすべのない村人たちを虐殺していった。数日間、村の外に亜人間退治に出掛けていた私とバニィが戻った時には、村は既に、黒く煤け焼きただれていた。

村に立ち上る黒い煙が、遠い平原から見えた。異変に気がついたわたしとバニィは、村へと駆け、その惨状を目の当りにしてただ呆然とするだけだった。絶望感すら感じないまま、私は、教会に向って歩いた。万が一、もしかしたら、子どもたちだけでも、奴らは見逃したかもしれない。ありえない願いを心の中でつぶやきながら、私は歩みを進めた。

教会の扉は、堅く閉ざされたままだった。

「アイン、フィア、ゼクス!」

扉を開ける。小さな礼拝所には、誰もいなかった。

「…」

バニィが無言で私の後に続く。

「そんな…」

私は、ゆっくりと膝を折り、崩れ落ちた。バニィがあわてて私の肩を支える。その時、かたりと物音がした。

「せんせい?」

幼い声が、礼拝所の壁に反響した。

「せんせい? せんせい!!!」

ぼろ布を身にまとったフィアが、女神像の裏からおずおずと顔を出した。

「フィア! 無事だったのね!」

フィアは、足を引きずり、よろめきながら私たちの元へと進んだ。バニィが駆け寄り、優しく彼女を抱き上げた。

「みんな、みんな、みんな…」

フィアはうわごとのように呟くと、小さく息を吐いた。その息は小鳥のさえずりよりも小さく、弱弱しかった。

「先生? 先生だよな…」

教会の鐘つき台に登る梯子の上から、ゼクスの声が小さく響いた。

私は、フィアをバニィにまかせ、梯子を登った。村を見渡す鐘つき台には、ここ数ヶ月で、見違えるように大人びた顔つきになったゼクスがいた。

「よぉ先生。走ってくるの、見えたぜ」

鐘つき台の床に横たわったぜクスは、擦れた声でそう言った。

「…先生がさ、帰ってきたら、すぐわかるようにってさ。フィアがうるさくてさ…」

ゼクスの顔は青ざめ、額には汗が滲んでいた。

「もう俺とフィアしかいないからさ、俺があいつを守ってやらなきゃって」

私は、ゼクスの頬に手を当てた。…一年前にはあんなにきれいだった桃色の頬が、青黒く染まっていた。

「…がんばったね、ゼクス、がんばったね」

私は、彼を抱きしめることしか出来なかった。

「先生たちが狩りに出ていってすぐに、大きな軍隊が来たんだ…」

ゼクスは、ぽつぽつと語り出した。

「黒い鎧の連中が、いきなり村を襲ってきた。俺たち、必死で戦ったんだ。村長まで剣を取って」

私は、自分の服の袖をナイフで切り裂き、それからその切れ端でゼクスの頬を拭った。

「もういいよ? ゼクス。もういいから…」

「最初に村長が死んで、それから大人たちが総崩れになった。誰も逃げなかったけど、でも、何も出来なくてさ。アインは…」

ゼクスの肩が、びくりと痙攣した。

「アインは、その時、死んだんだ。痛いよ、痛いよって。にいちゃん、たすけてって、そう言って」

ゼクスの頬を涙が伝った。

「俺、何も出来なかった。フィアを連れて、教会の床下に隠れるしか出来なかったんだ。ずっと息を殺して、小さくなって」

「ゼクス…」

「俺たちがずっと隠れてたら、床の上が静かになったんだ。俺とフィアが床下から這い出したときには、あいつらはどこかに消えてた。それから、フィアと二人で、先生を待つことにしたんだ」

風に吹かれ、教会の鐘がカランと鳴った。

その音を聞いて、ゼクスの表情が、一瞬、一年前出会ったときの子どもっぽい笑顔になった。

「先生、俺、剣も魔法も下手だけど、頑張ったんだ」

「えらいね、ゼクス」

私は、精一杯の笑顔を作った。笑わなきゃいけない。彼のために。今だけでも。

「俺さぁ…先生が帰ったら、言おうと思ったんだ。ありがとう、って」

ゼクスは静かに目を閉じ、ほんとうにかすかに、息を吐いた。

彼の左足は、膝から先が失われ、血だらけの布が巻かれていた。きっとフィアが巻いたものだ。

「ありがとな。先生が教えてくれたんだ。戦い方を全部。剣の振り方も、盾の持ち方も」

彼の肩が揺れる。私には、もう何も出来ることはなかった。

「ごめん、ゼクスは一生懸命がんばったのにね。私がもっと…」

「フィアが」

ゼクスが、かすかな声で呟く。

「フィアが下で」

彼の声は、その言葉を最後に、途絶え、失われた。私に、その続きの言葉を聞く事は、もう出来なかった。

教会の鐘が、もう一度だけ、カランと鳴った。わたしは、大切な何かを、また失った。


(9)


教会を後にし、バニィとフィアと一緒に、ゼクスの亡骸を裏庭に埋めた。アインの遺体は、いくら探しても見つからず、私たちは、彼の大切にしていた練習用の剣をゼクスのとなりに埋め、墓標代わりの小さな石を二つ、彼らの眠る土の上に置いた。

彼らの埋葬を終えた私の頭上には、いつもと変わらない、青い空が広がっていた。その色は限りなく青かった。私は、大きく息を吸った。村の空気は血と煤の匂いがした。

どこかで、小鳥の鳴く声がした気がした。






「せんせーフットサルってさー」

記憶の中のゼクスが私に笑いかける。

「キーパーがどうしてもボールをとめれないときは、どうすんだ?」

フィアとアインは、無邪気に歓声を上げながらボールを追いかけている。

「強いシュートとか来たとき?」

わたしはしばらく考えて、こう言った。

「怪我するから、逃げなさい」

「いいのかよ? 点数はいっちゃうぞ?」

「いいのよ、怪我するくらいなら逃げていいんだから。フィアにもアインにも、そう教えなきゃね」

私は、ふと思いついたように言う。

「…そうね、そうだ。授業で剣も魔法も教えてるけどね」

ゼクスの目をじっと見て、私は言う。

「もし私が居ない時に強い敵が来たら、すぐ逃げて。フィアとアインを連れてね」

ゼクスは少し首をかしげて考えてから、ゆっくりと答える。

「そっか…みんなを怪我させちゃいけないんだな?」

「そう、正解。いい子ね。約束よ」

わたしは、満面の笑みで、そう答えた。遠い日の、記憶。暖かな夏の日の出来事。





思い出に浸り、ただ立ち尽くす私の顔を、フィアが心配そうに覗き込む。

「せんせい、だいじょうぶ?」

彼女の身体には、大きな傷はひとつもなかった。ゼクスは、私との約束をきちんと守ったのだ。

「うん、大丈夫よ」

私は笑う。ゼクスが私との約束を守ったこと、それがフィアを救ったのだ。ならば、私は、2人のために、笑わなければならない。何がなんでも。

「大丈夫。フィア、あなたは私が守るから」

笑顔でそう告げる。

「…どうします? これから」

バニィが途方にくれた顔で呟く。

「そうね、とりあえず山側の道を…」

言いかけて、私は大きなめまいを感じた。バニィの身体が薄く、霞のようにゆらめいていた。

「…さん、サーバーが不安定で…不具合が…」

バニィの声が途切れる。彼だけではない、私自身の身体も陽炎のように揺れ、次第に色を無くして行く。

「…んせい? せんせい!」

フィアが叫ぶ。…まだダメだ、私は、まだ、彼女を。祈るように、手を伸ばす。

「フィア、わたし…」




「サーバーエラーです。回線を中断します。復旧は未定です」




機械的な音声が私の頭の中に響き、世界は黒く閉ざされた。私の身体から重さがなくなり、フワリとどこかに投げ出されるような感触が、一瞬だけ私を包んだ。

世界が終わる、プツンという音が、小さく響いた。







その画面の向こうには、果てしない暗闇が広がっていた。

小さな部屋の片隅、背中を丸めて、私はモニターを見つめていた。

もう一週間もお風呂に入っていない。私の長い髪は縺れて、歪んで、小さな胸の先で揺れている。

…気にしない。何も気にしない。私はもう「私」ですらないんだから。

マウスをクリックし次のサイトを探す。私の生きている場所。本当の自分のいる世界。わたしは、それを探し続ける。

そして、私は見つけた。見慣れたトップページに記載された、見慣れない文字を。

【サービス終了のお知らせ。オンラインRPGブルーワールドは4月1日をもって全サービスを終了致しました。ご利用ありがとうございました】

しばらく呆然としていると、パソコンの画面の隅に電子メールの着信サインが光った。反射的にメールトレーをクリックする。

(こんにちは、バニィです。リアルでは初めまして、ですね)

意外な相手からのメールに、私は驚いた。

(手短にお伝えします。あなたがサーバーダウンで消えた後、僕は、もう少しだけあの世界に留まることが出来ました。その間に僕は、フィアさんに僕の杖と魔道書を渡し、西の商都の孤児院まで送り届けることが出来たんです。あなたの言うとおり、僕は強くなれた。フィアを守り通せるくらいには)

彼のメールをリアルで読むのは、なんだか奇妙な感じだった。全てはゲームの中の出来事のはずなのに。

(ゲームサービス終了直前でしたが、フィアからあなたへの伝言を預かりました。お伝えしておきます)

フィアは、今はもうどこにも存在しない。消えてしまった、0と1との電気信号とプログラムソースの塊でしかない。それなのに何故、こんなに胸が痛むんだろう。フィアのやさしい笑い顔が心に浮かぶ。

「先生は、いまどこにいますか。私は、大丈夫です」

大丈夫な訳がない。たった一人で。西の商都までは、何ヶ月もかかるのに。商都だって、いつ襲われるか分からないのに。なにより、その商都はもう存在しないのに。

「先生。教えてくれたこと、いっしょうわすれません。ありがとう」

どうして? 彼女の一生は、プログラムの中にしかないのに。そのプログラムは、もう消えてしまったのに。

「この村からどこか別の場所に行ってしまっても、ずっとずっと、みんなのいい先生でいてください。大好きです。ありがとう」

私は、モニターの前で、大声を上げて泣いた。

私は、無力だ。どうしようもなく。




そうして何時間か泣いた後、私は顔を上げた。

私は無力だ。

…でも、それでも、もしかしたら、私は。

あの金髪の、背の高い戦士のように。あの世界の「私」のように。

このリアルの世界でも大切な何かを見つけ、そして今度こそ、守り通すことが出来るのかもしれない。

バニィからのメールに「ありがとう。またメールします」と短い返信を送り、マウスをクリックしパソコンの電源を落とした。壁に掛かった時計が、かちりと音を立てる。午前7時、これから長い一日がはじまる時間だ。

(さて、何からはじめてみようかな。運動でも、してみようか…)

そう考えながら、私は、椅子から立ち上がり、背筋を伸ばし、小さく伸びをした。

私はあの世界に確かに居た。そして、あの世界の人々は確かに生きていた。暖かい日差しの中で。

だから、私は、今日、立ち上がるのだ。例えこれから何度、剣を折られたとしても。


(了)