「徒然 雑記」 (こころ のままに…)

日々 感じたり・考えたり・創作したものを気ままに綴る…雑記です!

自叙伝を書いてみようかな Part.4

2009-02-11 11:38:54 | Weblog・ブログ(日記)・つぶやき
「自叙伝を書いてみようかな!」は、
意味もなく勿体(もった)いぶってしまい Part.4になってしまいました。
ここで、私が「日本一」ではないか?
と思われる「自慢話?」をさせて頂きます。
それは…
私が、小学校1年生の時の思い出なのですが、
実は、私は小学校の一年生の頃、学校に6時半には登校していたのです。(2番目の人は、7時半過ぎでしたか…)
現在とは違い凄く早起きでした。
当然 学校の「げた箱」の入り口は、閉まったままです。
7時にならないと用務員の叔母さんは、鍵をあけに来ません!
入り口の前で座って待つ事30分位で、やっと「青っ鼻汁」を連想させる容貌の用務員さんが開けにきました。
普通なら、「向学心」により早い登校と考えて貰えるかも知れせんが…。
私の場合は、当時流行(はや)っていた「ドッチボール」の場所取りと権限の為です。

小学校一年生の私は全校生徒の中で一番先に登校し、校庭のド真ん中に「場」を張る事が出来たのです。
先占(せんせん)?を先輩の方も認めてくれて、トラブルになる事は一度も有りませんでした。
また「場」を構えた人は、参加者を選定出来るのです
当時私は、ワンマンでしたから、同級生や先輩にまで気に入らない奴は、混ぜない(仲間入りさせない)と言う権限を持ちました。
それは、最初に登校し、「場」を張った私の権限となっていたからです。
私に参加を拒否された同級生は、砂場・鉄棒・パラレルパーで始業時の8:30まで、除け者のように遊ぶしかなかったのです。
この件は、あくまで始業前の事であり、放課後とかは、自分も砂場・鉄棒・パラレルパーでも遊びました。
特にパラレルパーは、高速回転する円形の枠にしがみついて一緒に回転する遊技機で、
今考える「よく怖がらずに遊んだものだ!」
と思えるものです。
まぁ全校生徒のうち、いつも10人ぐらいしか参加しない遊びでしたが…。
このパターンは、小学1年生の夏休み頃まで、続きました!


私は普通と違い、近所でなくても先輩・後輩のかなりの年齢層の遊び仲間がいました。
「今は昔」ですが、私を覚えて呉れている先輩・後輩は、凄くいっぱいいるだろなぁ!
「変わった奴だった!」とか
「面白い奴だった!」とか覚えて呉れている先輩・後輩の方も多いでしょう。
学級委員長になったり…。
全校生徒の前で表彰されたり…
業間体操の時間は、児童委員会の委員長をしていたので、朝礼台の上でマイク片手に全校生徒の前で、指揮をしたりとか…
校長室には、何故か?
図工の時間に私が造ったブロンズ像(手を握り締めたもの)、当時飾ってあったり…。

それでいて、「黒板消し」を教室の入り口の戸に取り付けて、担任の先生が戸を開けると頭に落ちる仕掛けをする程度の悪ふざけをする小学生でした。
ただ担任の先生に信用はあったようで、小学4年生の時は、放課後に先生の変わりに自分以外の生徒のテストの採点をしたり…。
6年生の時は、担任の先生に昼休み時間に煙草(タバコ)を買いに行かされたり…。
特異な体験もあります。
そんな小学生は、全国中いないだろうなぁ!


自叙伝…云々(うんぬん)より、
そういった自分の思い出を辿(たど)れるのもいいね!


次は「初恋編」
かなぁ!!


これがまた特異なんです!


2つ年下の派出所勤務〓の娘さんの転校生で…。
よく、「交番」に遊びに行ったっけ…。



(尚、私の
「自叙伝を書いてみようかな!」は、
いい思い出の?
(そうでもないか!)
の一部(抜粋)であり、創作は一切ありません!
もし、本腰を入れて自叙伝を書く場合は、
ある一つのキー・トーンの「意識の流れ」!

出来れば…
芥川龍之介の
「大導寺信輔の半生」
のようなものに!

でも、
「或阿呆の一生」
のような「超越者」の
詩的アフォリズム!!
には出来ないだろうなぁ!
今は、単なる余興版…!?
言ってみれば、
Part.1~Part.4は、2~3行で叙述して流す部分かも!)

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