「徒然 雑記」 (こころ のままに…)

日々 感じたり・考えたり・創作したものを気ままに綴る…雑記です!

「酔いどれ日記」Part.1 ~「中央と地方の格差」考察~

2009-05-16 20:11:25 | Weblog・ブログ(日記)・つぶやき
ある意味「中央と地方」の格差は、商売での最終消費の立地条件をのぞいてゼロに近づいたたのかも知れません!
最低限「図式」的には、…。
それこそが、明治維新以来の欧米を模した地方に対する「国家の役割」の一部だったのでしょうから…。
そして、将来的「道州制」への礎(いしずえ)となることでしょう。
何故そう言えるかと言えば、飽くまでも「図式」的ですが、地方に必要なのは、自立できる地方地盤の「産業」と「人材」の2つだけです。

(これは、日本の経済的発展そのものかも知れません!
「生糸」生産が国家の基幹産業だったり、重化学工業の四大工業地帯(地域)・新産業都市だったり、特産品では、山形県の紅薔薇などや高知県などのの温暖な気候を生かした生産性の高い稲作の「二期作」など…。)

また工業などで何処で生産するかの立地条件は、国内的には生産設備(不動産含む)・労働コストそして最大のネックは消費地に搬送する物流コストでしょう。
今や、産業は地方どころか、「条件」が合えば海外に於いても生産される程です。
公共インフラや制度インフラを考えてみれば、高速道路網整備や教育制度などが充実してますから、後はその成果が重要なだけでしょう。
より好条件に越した事はありませんが、基礎的「制度」は、もう日本中完成されている訳ですから、地方は「産業」と「人材」を如何に育成できるかという点だけが、言ってみれば、「地方間の格差」になる訳です。

ここで問題となるのは、中央や他地方を模倣するだけでは、格差は是正されない点です。
何故なら、日本は島国ですし、南北に長い国家ですから、地勢や気候に特色があります。
その地方の特色を生かした長期的展望での産業育成が必要と言うことです。
「道州制」に向けては、他の道州の犠牲的立場にならない関係での地域振興が必要だと思います。
そういった観点から、将来的にも「中央と地方の格差」は、あくまでも「図式」的には、どんどん解消していくのでしょう。
地方にとっては、どんな産業を育成すべきかという実際問題と充実した教育制度が用意されていながら、以前ほどは「人材」があまり輩出されないという地方自体の「責任」がこれからも続くのでしょうか?
たった一人の「人材」が、新産業を創設するケースもあるのですが…。
これは、平均的な比較です。
欧米などのいい面を模倣していけばいいだけの時代は、これから終わりになるのでしょうし、「道州制」に向けて国家の役割も「国家としての義務」と「過渡期の調整」程度にどんどん縮小されるでしょうから…。

そしてそれからが、名実ともに「地方の時代」の到来です!


(ここまでの考察は、巨大金融資本が、直接的に支配する図式ではなく、一般人へ協力的立場での関係の図式です。

また経済のソフト化で、インターネットなどの通信インフラの発達で、立地条件での格差が縮小した産業もリーディング産業になっていることは、地方の将来にとっては、明るい兆(きざ)しでしょう。
ただ成果のでない「道州」は、人口の流出が続くでしょうし、また国家としての役割(義務)の範囲も限定され「地方の責任」となれば交付金は、税源委譲以上にどんどん減額されるのは、当然となるでしょう。
誤解のないように、一言添えれば…
地方への交付金が減額されても、地方経済が成長すれば税収は増加しますし、国家の税収も増加しますから、減税または国家も「国家の役割」としての行政サービスの充実や国民一律の国家としての新たなサービス提供を模索することでしょう。
その前に、不要な行政機関・外郭団体などを削減し、国家としての根源的役割(義務)以外は、事務効率を高めることを最優先させ、地方自体も無駄を排除する「行政改革」が必要とされるでしょう。)

上記の考察は、あくまで明治維新以来の日本の姿であり、これからの方向性です。
ですから、今回のアメリカ合衆国のリーマンブラザースに端を発する100年に一度の世界同時不況の国家の対策などには当てはまりません!
ただこの窮地を乗り越えた後は、そうあるべき観点です。
また様々な反論はあるでしょうが…。

例えば…
「方向性」としては、地方の自立は必要だろうが、実際問題として明日からそうしようとしてもすぐに出来るか?
生活実感として、そう感じた事は、一度もない…等。

私が思うには、様々な新規の政策課題は、即実行しないといけない緊急の課題と…
「方向性」として必要なものがあると考えます!
この場合の方向性の問題は、政策実行まで最低限「一世代」程度の「期間猶予(20年位)」と、将来的にそうせざるを得ないというメッセージをある期間国民(特に関係者)に発信し、コンセンサスを形成すべき問題と考えます。
例えば「米の取引」の完全自由化には、子供が成長し、世代交代での子が自ら職業選択をする程度の期間の猶予を…。
そしてこの問題は、「食糧自給」をクリアーすれば、農業就業者は高齢化が進み「年金受給者」になってますから、生活補償はし易いでしょうが、現在解決しなければ、将来的解決では、補償だけでは、不十分になってしまう可能性も出てくる問題かも知れません。
誰でも本来的に変化を好まない保守的な人が大部分でしょうが…。
この問題は、20年以上前に「ウルグライラウンド」の貿易交渉で話題になっていた訳ですから…。
もし食糧自給をクリアーできるなら、問題は政策実行後のある程度の補償問題に転化されるでしょう。

また中央と地方の「人材」の育成の問題ですが、都市部は家庭環境や塾・予備校の教育環境が良いので教育条件が不公平ということを絶対視する方もいます。

(「子供にこれだけの「教育費」を掛けてあげているんだから……。」

片や、
「教育費が、生徒の成績を決定するから、不公平だ!」


政治思想の左右いずれも、「不正」をしてまで思惑の「意見での結果」をだそうとしたり…。
せっかく、延びた生徒を政治的思惑で、「不正」で落とし込んだり…。
「不公平」を主張する人は、ある政治的要求を正当化する為に逆に「よい例外」まで、強制的に「不正」をしてまで拒否させるようです。
本末転倒の方々…
つまりその方々(旧社会党、現民主党の一部及び社民党)は、単なる「狂人」の集団だったようです。)

まるで「現在の大人」が、以前より豊かな社会になった「現在の子供」より全体的に子供時代は低能だったと主張しいるようにも聞こえます。
どんな地方の国民にも、ある程度の教育機会・環境などを与えるのが、「公の責務」なのでしょうが、「理由付け」をしてまで「不正」を正当化するのが、何らかの心地良さがあるのでしょうか?

何事に於いてもそうですが…、
「才能」に勝る「努力」はない!

ただ「才能」は、自らがそれを知り鍛錬しなければ、結果はない!

「運」も実力のうち、
「運」を味方に付けないと…。

が、正論だと考えます。

ただ「運が悪かった」では済まされない問題もあります。
(特に「不正」や「集団的犯罪」は、「運が悪かった」では、済まないでしょう。
それを知る人がいるのですし…
「損害賠償」の問題になるでしょう)


追記:
今までの「日記」を纏(まと)めたものは、

「日記」大全集!!-gooブログ
http://blog.goo.ne.jp/goddren/e/4d23df8cc29cd3f7740908a0e7832db8

に纏(まと)めています!!
内容は…
「時事問題(行政改革・地球温暖化・エコロジー・資源枯渇など)」・「私の携帯利用術(携帯電話がパソコンに!!)」や「趣味(フィギュアスケートの浅田真央・舞や村上佳菜子・今井遥選手などの情報収集サイトや年齢不・祥・児の公募投稿作品など)」の内容などです。

また、以前のペンネーム
「年齢不・祥・児」は、


「@ngel」

とペンネームを改名しました。

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