アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

戦国三大武将の役割

2017-02-10 18:48:39 | 文化
 ここでの三大武将は、武田信玄、上杉謙信、織田信長です。
 信玄は足利幕府生粋の名家の生まれで、もし上洛を果たしていたても、足利
将軍を廃したとは考えられません。武田家は源氏ですから、征夷大将軍の資格
は持っていました。
 武田信玄は戦では無類の強さを発揮する軍勢を持っていましたが、天下の政
治をするには決定的な欠陥を持っていました。
 譜代の大名は意外に少なく、殆ど戦国を生き抜く為に信玄に従っていただけ
でした。
 
 上杉謙信。
 上杉家というのは関東管領という思い役目を担っていましたが、優れた人財
が出ないで滅亡目前でしたが、越後の虎と怖れられていた長尾景虎に上杉の家
名と関東管領の役目を、願って継いで貰いました。
 上杉謙信の誕生です。謙信は生涯で何度も名を変えていますので、とても説
明が難しいのです。
 謙信は、そんな分けで足利幕府に如何ほどの忠誠心を持っていたのかは良く
分かりません。
 将軍家からの度々の上洛を請われたにかかわらず、二度ほど数名の家来を率
いて京を訪れただけで、まあ物見遊山でもする気だったのかも知れません。
 最大の脅威、武田家が滅亡した時にも、大規模な上洛軍を編成する気配を見
せません。関東に出兵したり、越前の柴田勝家を攻めたり、七尾城を包囲した
りと、忙しく戦働きをしていましたが、謙信の本音は何処からも見えてきませ
ん。因みに、越前攻めの時、織田の鉄砲部隊を破っています。雨を待ち、森林戦
に持ち込んだのです。鉄砲隊が当時持っていたのは火縄銃で、雨に弱く、大平
原での真っ向勝負の戦では絶大の威力を発揮します。大体、鉄砲より弓の方が
破壊力が有ったという説を聞いたことが有ります。
 謙信の上洛の意思は、突然の死去で謎に包まれたまま消えてしまいました。

 織田信長。
 信玄と謙信とは、比べようも無い田舎の小大名の出です。
 信長の尾張兵は評判の戦下手で、すぐに負けて散ってしまうのです。
 信長は政策で乗り切ります。兵農分離ですね。尾張兵は一年中出撃可能にな
りました。また、楽市楽座を奨励して経済を発展させ、鉄砲などの兵器も充実
させます。
 人材を見分ける能力に長けています。明智光秀、羽柴秀吉、黒田官兵衛、竹
中半兵衛、一人一人挙げては切りの無い程の優れた武将を登用しました。
 信長が一番買っていた武将は誰かというと。羽柴秀吉と明智光秀です。秀吉
はおだてて使い、光秀は叱って使いました。
 また、信長は大変嫉妬深く執念深い性格でした。が、その武将が役に立って
いる時は、素知らぬ顔で使い続け、能力の限界を見せた時は、即座に追放した
り処刑したのでした。
 かって、弟を立てた謀反の後ろ盾だった柴田勝家も我慢して重用していま
す。織田家の筆頭家老を廃した場合のデメリットを懸念しています。勝家には
妹を嫁がせてもいます。
 信長は念願の天下布武を成し遂げますが、本当の日本統一は次代の武将に引き継がれました。
 明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康の三人です。
 因みに、明智光秀か源氏、豊臣秀吉は藤原家の養子を手に入れて太上大臣に
なる資格を得ました。徳川家康の出自は明かでは有りませんが、平家とか藤原
氏とか自称していましたが、有るとき源氏を名乗ります。征夷大将軍の資格が
欲しかったに違いありません。

コメントを投稿