アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

血に啼くわかれ

2017-01-06 11:08:40 | 文化
 正岡常規は明治二十二年五月に大喀血し、啼いて血を吐くと言われたホトトギスの句を四十以上創った。
 ほととぎすは、杜鵑、杜宇、蜀魂、不如帰、時鳥、田鵑、子規等と書き、以来子規と号した。
 ほととぎすともに聞かんと契りけり 血に啼くわかれせんと知らねば
 これは、松山へ帰る人(服部嘉陳)に送った歌である。自分の死に至る肺病をよそに、妙に客観的である。
 帰ろふと泣かずに笑へ時鳥
 子規と親交を暖めていた夏目漱石が子規に送った俳句である。

 子規が血に啼くわかれをしようとしたのは何だったのでしょうか? 
 どうやら人生そのものでは無かったようです。
 子規は当時の士族の多くがそうだったように、軍人か政治家になろうと意気揚々と東京に乗り込んで来ました。いずれも挫折、というよりは飽きたようです。また、哲学に憧れたり、小説(散文)を書いたりもしました。
 子規は血を吐くことで憧れや夢と決別し、自分に残された時間で何を為べきかを考え、そして実行しました。

 子規は己の使命がちゃんと分かっていました。俳句と和歌の集成です。与謝野蕪村や新古今和歌集などを再評価しましたし、自分でも沢山の句と歌を詠みましたが、子規が遺してくれた業績として、私は美しい日本語 を創った事だと思います。明治維新で壊れてしまった日本語を再構築したのです。
 子規のホトトギス派と与謝野鉄幹の明星派の論争はすごかったようです。詳しい見識の無い私でも、子規の写生と鉄幹の浪漫の違いが読み取れます。
 鉄幹夫人となった与謝野晶子の短歌、ロマンチックですが、革新、或いは革命的といった方が正しい認識です。
 柔肌の熱き血潮に触れもみで、寂しからずや道を説く君
 車のCMだつたと思いますが、真木よう子さんが口ずさんでいましたね。これが二十歳を少しだけ過ぎた女性の歌だとは信じられませんね。
 意味はとても深くて解説不能と言うほど難解です。官能的で革新的な恋の歌とでもしておきましょうか?

 子規は歌よみに与ゆる書 で万葉集を高く評価して、江戸時代までの形式にとらわれた和歌を非難し、根岸短歌会で短歌の革新につとめた。根岸短歌会は後に伊藤左千夫・長塚節・岡麓ら、そして堀辰雄、芥川龍之介、川端康成、三島由紀夫達に繋がって現代日本語が完成されて行きます。
 また、子規と知り合わなければ、文豪夏目漱石の小説は生まれ無かったかも知れません。夏目金之助は英語教師で生涯を終えたかも知れません。
    2017年1月6日    Gorou


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