アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

関ヶ原を見た

2017-09-14 08:06:56 | 映画

 関ヶ原を見た。
 初めて見たのはもう何十年も前だ。
 東京から西に向かえば必ず通るからだ。新幹線の車窓越しに見たのだが、決まって冬、あの辺りは大雪で新幹線は立ち往生が多い。大抵は二三時間で開通するのだが、ある日、何時間待っても動く気配が無かった。
 ぼんやりと真っ白な関ヶ原を見やりながら、私は司馬遼太郎の【関ヶ原】と、四百年も前の関ヶ原の戦いを思った。関ヶ原はいわゆる久地(大街道が交差する平野)で、古来より大きな合戦が起こりやすい地形なんです。大軍を展開出来る宏大な平野と、籠もるのに好都合な小山が幾つか有るからです。
 ふと、私は気付きました。停車してからもう有に四時間は経過しています。もしかしたら朝まで動かないのでは? 私は直ぐ売店に駆けつけるも、何も残っていませんでした。読みが浅はかでした。とても、家康はおろか光成(補給の名人)には遠く及ばない事を思い知らされました。
 司馬遼太郎氏を結構好きで大抵の小説は読んでいます。面白いのは【龍馬が行く】、【坂の上の雲】、【項羽と劉邦】、【韃靼疾風録】で、【関ヶ原】は余り印象に残っていません。私の中で司馬遼太郎の関ヶ原と史実としての関ヶ原が混沌としているからです。

 関ヶ原を観た。それも映画館で、・・・劇場で映画を観るのは五年ぶりです。
 映画好きの私がどうして映画館に行かなくなつたのか? 一に音響システムが酷いと私は思う。派手では有るが、繊細さに欠けています。バイオリンやソプラノの最高音はギスギスと聞きづらく、低音はボンボンと安物の太鼓のようになってしまいます。二には画質が悪すぎます。映写機の解像度とレンズが悪いと思われます。
 私が劇場と決別したきっかけは老舗のT劇場でメトのオペラを観て絶望したからです。 
 観戦の感想は? 期待以上に面白かったですね。 音響も、使用していたヴェルディ(運命の力・序曲、他)やオリジナルと思われる曲も綺麗に再生出来ていましたし、画質も随分良くなっていました。只、画質には少し注文が有ります。全体にピントが甘いというか、撮影監督に迷いが有るというか。最近の家庭用液晶テレビの画質はとても良いですよね。だから私はこれからも自分の環境で映画を観ると思います。関ヶ原のBVDISC化を待っ映写機なのか撮影機なのか等の結論を出したいと思っています。

 さて、肝心の内容は? 私は鑑賞しながら首を傾げていました。これは原作ではなく原案なのでは・・・と? 後で調べてみると、意外に原作に忠実だそうです。
 私の勘違いの原因は・・・? 多分俳優の過激すぎる演技、熱演が生み出すデメリット、台詞が聞き取りにくい現象を起こしていました。
 特に徳川家康、豊臣秀吉、大政所に顕著でした。秀吉は遠藤賢一、大政所がキムラ緑子でした。二人とも名バイプレーヤーで個性的な演技で光っていますが、少し荷が重かったのかも知れません。徳川家康は名優役所広司が演じていました、少し酷かったですね。役所広司のこんな空回りの演技を観たのは初めてでした。既成概念を覆す家康像を狙っていたのでしょうが残念です。
 所で監督の原田真人と役所広司はどちらが格上なのでしょうか? 役者の方が偉いと、兎角作品の主旨と演技がちぐはぐに成りがちです。
 光成の岡田准一は少し抑え気味の演技で好印象でした。
 この作品では、女優陣が健闘していました。特に、光成の思い人初芽の有村架純と家康の娼で二代目阿茶(伊藤歩)の二人のくノ一が良かったですね。阿茶は、家康を襲った忍びを羽交い締めにしたところを、家康に忍びもろとも串刺しにされて果てますが、哀れな最後と言うより案外本望だったのかも知れません。
 ラストシーンは、刑場に引き回されて行く光成の騎馬の横を歩き巫女に窶した初芽が「大一、大万、大吉」と呟きます。全く無表情というか虚ろです。果たして光成に聞き取れたかは定かでは有りませんが、初芽をチラッと見た彼の表情が和みます。
 光成が自害せずに、甘んじて暫刑の辱めを受け入れたのは、行方知れずだった初芽の生死を確認したかったからです。
 初芽が生きているのが分かった光成はある意味では大往生でした。
 このラストは原作には無く、戦後の京都で尼となった初芽を、関ヶ原の戦いで天下を取り損なった大名の一人、黒田如水が庵を尋ねて茶を馳走になるシーンで原作は終わります。
 映画でも初芽と阿茶は茶の名手となっていました。
 他にも、疾走する母衣武者(作中、家康が阿茶に胎児云々と講釈しますが、他に綺羅と弾よけの意味があります)等この映画には見所が幾つかありますが、一々取り上げていたのでは切りが有りません。
 それではこの辺りで、See You Again。
 追記。
 原田真人監督としては【駆け出し女と駆け出し男】の方が数段面白かったです。
  2017年9月14日 GOROU
 

鏡よ・・・鏡~オーロラ姫。

2017-08-19 22:25:17 | 映画
鏡よ・・・鏡、世界で一番美しいのは誰?
 それは、鏡を見詰めているあなたです。・・・と、私は思う。
 私は殆ど鏡を見ません。鏡の中に美を見いだせないからです。
 代わりに、私は映画を毎日のように観ています。そこに美が、哀愁、興奮、感動が見れるからです。
 映画女優は年を重ねるごとに、美しさを増し、瞳はキラキラと輝き、微笑みは謎めいて行きます。カメラを通して沢山の人を見詰め、無数の観客がスクリーンの中の彼女にメッセージを送るからです。
 一番美しかった女優は誰でしょう? オードリー・ヘップバーン、いや彼女は美しいというより可愛らしいと言う方が相応しい。ではイングリッド・パーグマンはどうですか?
 まあ妥当な線ですね。娘のイザベラは母親に瓜二つです。それから忘れてならないのはビビアン・リーですね。
 私の好みはジーン・セバーグです。作品に恵れませんでしたが、悲劇の少し前はマカロニウエスタン(西部番外地)に出たりしていました。
 日本では? 若尾文子と原節子でしょう。特に原節子、決して美人では有りませんが、映画ならではの演技(舞台と違ってアップになります)、眼と唇だけで悲しさと優しさと諦めを表せる女優でした。
 今上げた女優達は、今回の年を重ねる度に美しさを増すという私のテーマには余り当てはまりません。かなり昔の女優だからです。
 シャーリーズ・セロンという女優がいます。最近ではスノーホワイトシリーズとか、プロメテゥスに出演しています。彼女、気味が悪いほど美しくなり、スノーホワイトの魔女役にぴったりはまっています。
 鏡よ・・・鏡、世界で一番美しいのは誰?
 鏡の精が応えます。「それは女王(魔女)様。しかし明日からは成人したスノーホワイト(白雪姫)です」
 しかし、残念ながらスノーホワイトは美しさでは魔女役のシャーリーズ・セロンに遠く及びません。制作陣のミスですね。私だったら、スノーホワイトにはマレフィセントでオーロラ姫を演じたエル・ファニングを起用します。完成した女王の美しさには叶いませんが、煌めく輝きを演じる事が出来る女優です。姉のダコタ・ファニング(アイ・アム・サム、マイ・ボディガード、コール・・・因みにシャーリーズ・セロンの娘を快演していました)と共に、今後目の離せない女優です。
 スノーホワイトの女王は、若々しい美と老婆のように窶れた顔、優雅で悪意に満ちた眼と唇と微笑みは変幻自在に変貌して行きます。対してプロメテゥスでは、完成した美をまるで能面のように演じています。背筋を伸ばした毅然とした美しさを演じる事が出来る女優は彼女以外にいないのでは無いでしょうか?
 若い頃のシャーリーズ・セロン(バガー・ヴァンスの伝説、コール、サイダー・ハウス・ルール、告発の時)は、そこら辺に転がっている只の美人女優でした。変われば変わるモノですね。当に魔女しか言いようが有りません。
 是非、サイダー・ハウス・ルール(青春小説の傑作からの映画化)のシャーリーズ・セロンと最近の彼女と見比べて下さい。
 スクリーンの美女について話して来ましたが、私が映画で一番美しいと思った女優は、パフュームのレイチェル・ハード=ウッドです。残念ながらハリウッド女優では無いので作品が殆ど入って来ません。
 レイチェル・ハード=ウッドと、エルとダコタのファニング姉妹の今後を見守りたいと思っています。
    2017年8月19日    Gorou

我が青春に悔いなし

2017-03-22 14:43:57 | 映画
 黒沢監督の代表作は何か? だったら簡単です。【七人の侍】で決まりで
す。が、好きな映画と問われたら悩んでしまいます。
 結局、【我が青春に悔い無し】にします。原節子主演の戦後間もなく創ら
れたために数々の制限と検閲を受け、後半はかなり大幅に変えられてしまつた
そうです。まず原節子が良いです。それと、黒沢明という人は自由に、思うが
儘に創らせたら、美しいが退屈でくどい映画になってしまうのです。
 影武者のクライマックスの長篠の戦いの場面、あんなにうだうだと続ける必
要は全く有りません。コンパクトに纏めれば、全体が生きてきますし,かえって
物の哀れを表現出来ます。
【乱】にしても唯々長くて退屈です、村木夫妻の美術とワダ・エミの衣装は素
晴らしかったですがね。残念です。
 多分、黒沢明という人は子供のように純粋なんでしょう。だから、誰かがフ
ォローしたり、制限を与えなければ傑作が生まれないのです。
   2017年3月22日    Gorou

風に立つライオンは猫のように温和しかった

2017-03-08 07:41:55 | 映画
 風に立つライオンとタイトルした日本映画を観た。
 どうやら、実在の人物をさだまさしが脚色して映画化されたらしい。
 まず感心したのは、よくもまあこれだけ大根を風に曝せた物だと驚いた。次
々と悲話と美談を並べ立てた物と呆れた。
 こんな脚本は、ちょっとした天才がシナリオ自動作成ソフトを作り、古今東
西の名画のデータを打ち込めば、誰にでもこの程度の脚本書けると思われま
す。
 大体この映画、監督なんていりませんよね、腕の良い助監督が四五人いれば
十分です。
 実話とフィクションの境界も定かでは有りません。
 主人公が荒野に向かって、度々、「ガンバレーッ!」と叫んでいます。他人
にでは無く自分に言っていると言うが、登場人物の殆どが「ガンバレーッ!」
と叫びますが、明らかに他人を励ましての叫びです。
 それから、冒頭とラストのシーンは余計です。散々ラストと思われるシーン
を重ねていました。
 その冒頭とラストで、主人公が救い医者に育てた、アフリカ系黒人がトウモ
ロコシの種を握り、荒廃した東北の大地で「頑張れ」と呟きます。
 こんな取って付けたようなシーン、懸命に生きる東北の被災者達に失礼でし
ょう!
 わたしは涙し、嘆いています。ああ! ここまで日本映画は廃れてしまった
のか。
 過ぎ去った日々はもう戻る事はないのでしょうか?

    2017年3月8日   Gorou

妖しきかな、アカデミー賞

2017-03-02 17:17:49 | 映画
 89回アカデミー賞、見ました? 限りなく妖しいですよね、ラ・ラ・ボーイ
とムーンライト、読み間違えないでしょう。それともウオーレン・ベイティの
ボケだったと惚ける積もりでしょか。兎に角、物凄く後味が悪いですね。
 結局わたしがアカデミー賞を視聴したと言うことになります。
 退屈で、退屈で、退屈でした。何故最後まで見たのかって? 
 液晶の一つで流しながら、もう一つの液晶で音楽(トゥーランドットだと思
いのす)を見たり、iPadAirでアデルとMay J.を聞きながら、パソコンで原稿を
書いていました。消し忘れただけです。
 わたしはもう一つの事だけに集中出来ないのです。
 
 アカデミー作品賞は駄作揃いで見ればがっかりするのが落ちです。アカデミ
ー会員の思惑と政治的(ハリウッド)な力関係で選出されているからでしょう。
談合で持ち回っていると疑われても自業自得です。
 でも、それでも夜はあける、は面白かったなあ。
 作品賞に、結局選ばれたムーンライトは見ないでしょう。一度読み上げられ
て、最後に針が切れて逃した、ラ・ラ・ランドは見るかも知れません。
 もし見たら、ブログで報告します。
     2017年3月1日   Gorou