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福島へ一泊ツーリングに行ってきました②

 湯の岳PAから50分ほど走ると大熊インターチェンジです。時間は12時半を過ぎてしまいました。
 ここで下りる「物好き」は私だけの様で、誰も下りなければ誰も入って行きません。驚いたのは、ここで休憩していると、常磐道に車が通る時や、鳥や虫の鳴き声がしない時には、本当に静寂な場所だと言う事です。普通にある街中の喧騒や、生活音は一切ありません。周辺を見渡しても草っぱらの中に廃屋が点々とあるだけです。

 ここからGoogle Mapを頼りに国道6号線の方へバイクを走らせました。

 国道へ向かう脇道の至る所は鉄柵で封鎖されており、そこから先が帰宅困難区域である事の看板が立てられていました。

 鉄柵の先には民家が見えますが、良くみてみると屋根が壊れて居たり、窓ガラスが割れている家も点在しています。

 走る車は1台もありません。歩いている人すらいない景色です。

 何気に住宅街だと思いましたが、屋根には草が絡みついていて、窓の中には朽ちた様子もうかがえます。まさに誰も帰宅しない、帰宅困難区域なのです。

 ここにはJR線の大熊駅がありますが、その周辺では何やら工事が進んでいるのが見えました。国道6号線にはそこから直ぐに出る事が出来ますが、そこから先、海岸方面は許可証が無いと今は入れません。

 Google Mapのストリートビューとか見ると、2013年頃とかは入れたようなんですが、現在は至る所に鉄柵があって一切そこから先に行く事が出来なくなっています。ここで少し北に向かい、郡山海岸の規制線ギリギリの所まで行ってみる事にしました。そこには廃屋が1件建っているのをGoogle Mapのストリートビューで確認はしています。

 国道6号線を10分ほど北上すると、右折して双葉町産業交流センターへ行く事が出来ます。そこを抜けて海岸沿いを右折した先に、その廃屋は存在します。面白いのは、おそらくこの辺りの海水は親潮で冷たい海流が流れ込んでいるせいなのか、この日の様に温暖な陽気になると、海沿いに濃い霧が発生するようで、この日も海岸沿いには一部で霧が立ち込めていました。

 建物の手前には黄色いロープで規制線が張られています。
 この日ですが、実は私がこの場所に到着した時、旧式の真っ黒いセンチュリーに乗った外人のカップル(40代くらい??)が、熱心にこの廃屋を見ていました。私の姿を見ると、そそくさと車にのって、この細い道をバックして戻って行きましたが、彼らは何を見ていたんでしょうね。

 この場所の近くには震災遺構 浪江町立請戸小学校があるので、そこを見学に向かいました。

 この小学校は震災当持、全校児童がいち早く近所の山の上に避難する事が出来たので犠牲者は居なかったそうですが、その当時のまま、校舎の状況は残されています。まずは受付で入館料を支払い入館します。

 遺構とはいえ、実際に現物を目の前にすると言葉が出ません。

 この小学校には、上の写真の塔の中頃にある看板の位置まで津波に洗われたそうです。4メートル位でしょうか。

 さて、ここまで見て来て時間も14時を過ぎてしまいました。次は福島のUFOふれあい館に行くつもりですが、それには南相馬インターチェンジまで行って、山越えをしなければなりません。閉館は17時なので、あまり時間がなくなってしまいました。また昼飯も食べていないので、この近場にある道の駅なみえで昼食を取る事にしました。バイクでは15分程の距離です。

 道の駅なみえは結構賑わっていました。私はそこで、やきそばラーメンなるものを注文しました。これは恐らく汁が焼きそばスープベースで麺は焼きそば用の太麺を使用しています。味は美味しく私好みで良かったです。

 この浪江町周辺を見ていると、帰宅困難区域はどうにもならないのですが、それ以外の処では皆が復興に今でも必死に取り組んでいる事を感じました。震災以前には人が多くいたのでしょうが、やはり自宅を失い、家族を失った人でここを去ってしまった人も多く居るのでしょう。でも残った人達は何とか日常を取り戻そうとしていると感じました。それは震災から13年経過した今でもです。

 やはりこの東日本大震災の事は、けして風化させてはいけない出来事だと私は実感しました。

 次はUFOふれあい館について紹介します。(続きます


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