日本古代史を探る

「一の俣湯の華観音(自説)観音寺跡遺跡」に潜む古代ミステリーの調査研究に伴う雑感記と「せざん美術館」の紹介です。

ニギハヤヒが降った唐松神社を繋ぐレイライン

2023-05-31 11:00:59 | 古代史
 台風2号が近づく。
 一気に梅雨らしくなった。

  本を読んでいたら、唐松神社なるものが出てくる。

 唐松神社は秋田県大仙市協和境の日殿山(唐松岳)にある。

 この神社のある唐松岳にニギハヤヒは降ったとされる。

 研究では、
熊野大社・川上山宮(三重)・多芸(同)・穂高(長野)・唐松(山形)・大石神ピラミッド(青森)

 は、レイライン(神社の線)で結ばれている。

 と、同時に、
伊雑宮(三重)・皆神山ピラミッド(長野)・鳥海山(山形)・大石神ピラミッド(青森)
 
 も、結ばれる。

 そして、
湯の華観音(一の俣)・出雲大社・黒又山ピラミッド(秋田)・大石神ピラミッド(青森)・伝キリスト墓(同)

 が、ある。

 以上の3本のレイライン(神社の線)が、大石神ピラミッドを起点に繋がってくる。

 しかし、これが何を意味するかは解からない。

 これらから思いつく # は、

#出雲、#ユダヤ・キリスト教、#ニギハヤヒ、#物部氏、#伊勢、#秦氏、#神道

 などになるか。

 さらに進めると、「失われた10支族・イスラエル」

 を、どうしても連想する。


 窓の外から、つかの間の日射しが入ってくる。






岩屋古墳は繋がっていた

2023-05-22 09:24:37 | 古代史
 山口県光市田布施町室積にある「岩屋古墳」に行って来ました。

 ドライブには最適の天気。妻の「陶器の村に行きたい」との希望で、室積村「つばき祭り」なるものを見物に。

 地元の陶芸作家が自宅兼ギャラリーで自作品を展示販売していた。
 元小学校分校の建物にも、地元主婦たちの手作り品が所狭しと並んでいた。

 妻は足早に見学し、私はおいしそうな米で作った焼き串団子を一つ買い、頬張った。

 ギャラリーの入り口で、幼稚園児らしき男の子が私の顔を見上げたので、ニコリと交わす。

 分校の駐車場に戻る。

 地元ボランティアの方が慣れない様子で交通整理。

 祭りを後に、私の目的の「岩屋古墳」に車を進める。

 この坂か?

 とハンドルを右に切り進むが、車一台が辛うじて通る道には目的地は見当らない。

 「この道大丈夫?」と妻のいつもの不安マックス。

 「大丈夫、いつもこんな道通るよ。」と理由にならない返事をそこそこに、元の道に車を戻す。
 
 「ねえ、帰らない?」と妻、一段と消極的な発言。

 ここで帰ったら男が廃る。

 あっ、ここだ!

岩屋古墳の白い入口誘導板が見えた小道へ。

 この時点で、気になる妻はほぼ無言状態。

 また、狭い小道を上って行くと漸くして光市の古墳案内板に着く。

 案内板前の草むらに車を停め、いつも通り妻を残して一人先にある古墳への道へ。

 道横にある家の奥さんに尋ねる。

「あのう、古墳、この先ですか?」

「は~い。」

「どのくらい行ったらいいですかねえ?」

「う~ん、5分くらいですかねえ。
 ああ、車では行けませんよ、ヘビ出ますよ。」

「大丈夫です、田舎者ですから(笑)。
 あっ、私の車邪魔じゃないですか?」

「いえ、大丈夫です。」

 言葉を交わし、草が茂る道を進む。
ガサガサと雑草が足に当たる。

 右下にイノシシ捕獲用の鉄製罠が口をあけている。


 漸くすると古墳の説明板が見えてくる。

読もうとするも、先が気になり頭に残らず、スマホでパチリ。

 そしてその先に、欠けた石の鳥居の足が見えた。

  この先か・・・。

もう草は無く、茶色のままの落葉の上をガサガサ上る。

木の枝葉が何度も頬を掠める。

茶色の少し広い所に、墓石らしき物があった。
古墳の拝所かも知れないので一応しゃがんで手を合わす。
白の空いた花瓶に、緑の小枝を2本折り、差しておいた。

 拝所の先を5メートル進むと、高さ3メートル位の塚の古墳の入口が暗い口を開けていた。
 覗くと、中は思ったより広そうである。
 持っているコンパスで、石棺がほぼ北を向いていることがわかる。
 「古墳の上に登るな」の注意板が目立つ。

 手を合わせ、スマホでパチリ。

 婦人が言っていたヘビの気配は全く無い。

 塚の後ろ方向を見るが特別変わったものは無い。

 車に残した妻のことが気になり、戻ることにする。

 拝所を通り過ぎて案内板まで戻ると再ぴ雑草の道。

 民家が見える辺りで山側の山苺を一つつまむ。
 あの懐かしい甘酸っぱさが口に広がる。
 口に残った髭部分をプッと吐く。


   「お待たせ。」

「行けた?」の妻の声に一安心。

   「あった、あった。」

「ふーん。」の妻。

ヘビにも出くわさず、写真も撮れ、一人満足感に浸りつつエンジンをかける。

 大きな道に出たころから、一段と爽やかな満足感が体内を巡ってくるのが解った。

 行って良かった。

 そして自宅の部屋に入り調べてみると、岩屋古墳・多多良山・湯の華観音と神社の線(レイライン)は直線上に繋がっていたのだ。



 




一の俣湯の華観音の山一位ヶ岳は、西の黒又山(クロマンタ)か

2023-05-02 10:00:18 | 古代史
 秋田県鹿角市に「クロマンタ」と呼ばれる古代祭祀の山(黒又山) がある。

 「クロマンタ」の古代祭祀の山が「古代ピラミッド」とする説は、「クロマンタ」が世界中にあるピラミッドの原型だと考える。

 その「クロマンタ」に匹敵するような山が国内にもう一ヶ所あった。

 それが、山口県下関市豊田町「一の俣湯の華観音」の地の「一位ヶ岳」である。

 そもそも、クロマンタと湯の華観音(一位ヶ岳)は、神社の線(レイライン)
で結ばれている(黒又山・出雲大社・一位ヶ岳)ことは、今までの私の研究で判っていた。

 神社の線(レイライン)は、国内には数多く存在する。と言うよりも、殆どの神社同士は何らかの関係性で繋がっていると考えた方が良さそう。
 
 「クロマンタ」とは、アイヌ語で「神の野」的な意味があると言う。

 一方、山口県下関市の「一の俣」(湯の華観音がある里)には、秀峰一位ヶ岳(黒又山に呼応)が古代山岳信仰のシンボルとしてある。この「一位ヶ岳」を古代に「シロマンタ」と呼んでいたが、時代経過で里の方を「イチノマタ」と言うようになる。

 その「一の俣」・「イチノマタ」こそ、「クロマンタ」に呼応した地と推測する。
 
   以降も推測になる。

 「クロマンタ」は「黒マンタ」であり「黒又山」である。

    とすれば

 東の「クロマンタ」に呼応した西の「シロマンタ」があっても良いのでは。(仮説)

    そして

 「シロマンタ」は最終的に「イチノマタ」・一の俣と呼ばれるようになった。
 
   そこで

 「イチノマタ」の語韻をへブライ語に求めたところ(経緯は割愛)
「チメンタ」と発音し、「薬草の野」的な意味になりそうである。

  この辺りは現在研究してい  
  るところです

    くどいですが、
アイヌ語
・クメンタ(神の野)
   ↓
  クロマンタ(黒マンタ)
    ↓
   クロマタヤマ(黒又山)

ヘブライ語
・チメンタ(薬草の野)
   ↓
  シロマンタ(白マンタ)
    ↓
   チマタ
     ↓
    イチマタ
      ↓
     イチノマタ(一の俣)

          です。
 
 

 お付合い下さり、ありがとう 
 ございます。