スカイラインに乗った仙人の徒然草

日本の永世中立国と21世紀ルネサンス提唱。
現在、四国88か所遍路と、西国33か所の巡礼記事を書いています。

スカイラインに乗った仙人の徒然草

2017-06-30 03:26:33 | つれづれなるままに こころにうつりゆく 
   あるところから仙人ブログについて
   問い合わせがあった
 
 

 一部に披露しているため、そこらからの情報を得たのかもしれない。

 仙人のブログからヒントを得たのか、コピペに至ったのかを調べて
いるのだろう。
 「多くの方がタイトルさえもコピーする時代だから」という。

GOOさんにお世話になりながら、何篇かのブログをお送りしているが
物まねが得意な日本人であればあり得ることかもしれない。

 若かりし頃に学んでいたとき。
 「仙人さんの答えや論文が、個性があってよい。」ということであった。

 難題にぶつかるとコピーに頼る時代だから不自然ではないが借り物では、
頭の中に何も残らないと思われる。

 判っていてコピペを利用するなら、その方の実力が伴わないことになる。
 本人はそれで「よし」としているのだから、将来への影響の方が大きい。

 知ることのできにくい情報の流れについては、よく問題になる。

ロクに勉強をしないで遊びほうけている向きには、他人の苦労を自己の
利益のために利用する悪知恵だけが働いているのではないでしょうか。

 溢れる情報にブレーキを掛けるのは難しいが、むやみやたらとクリック
しないことが大事であろう。

情報化社会の犠牲にならないためにも、個性あるモノを発表して
いただきたいものです。
 
  

スカイラインに乗った仙人の徒然草

2017-06-29 05:34:02 | つれづれなるままに こころにうつりゆく 
  インターネットの情報が氾濫している  
 氾濫ということは、リスクを伴って溢れているのかも知れない。

 物事は、」足りない状態ならまだ均衡を保つが、溢れるとどうなるか。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」という諺がある。

 情報過多と言われて久しいが、溢れる情報に振り回されているのが
現状でその情報に辟易している状態でもある。

 その情報に触れることもなく、日常生活を営んでいる向きには別に
支障もないだろうが、いい加減な情報を流すのは社会通念上許されない
行為である。

 gooさんのお蔭で24時間いろんな情報を得ることができる。他の
プロバイダーも同じようなものだろうか。余り差はないと思われる。

 四国88カ所詣りもままならず、毎日少しづつ準備をしているが、心
だけはとっくに四国に地にいる。

 隔日おきくらいに、四国でお世話になった方と電話で話をさせて頂く。
「またいらっしゃい」と言って下さるから、もうすっかり浸りきっている。

 何でも挑戦の気性から、どんなことでもやってみないと気が済まない。

 ネットで得た情報によると、コースの中には大変なところもアルそうで
その対策も考えなければならないが、まずは1度だけに限らず、2度3度
経験することが必要かと思っている。

とはいうものの予備知識をもって臨むのと、そうでないのとではおのずと
より安全に消化?できるものとも思う。
 
 

スカイラインに乗った仙人の徒然草

2017-06-28 01:40:00 | つれづれなるままに こころにうつりゆく 
 きょうも朝早くからウグイスの声が聞こえる 
 鳥たちの鳴き声やさえずりを観察すると、ウグイスは朝早くから美声を
聞かせてくれる。

 口笛でウグイスの真似をすると、段々と寄ってきてすぐそこまでくる。
友を慕うのかテリトリーを守ろうとするのだろうか、ウグイスの気持ちを
聞いたことがないので解らない。

天候の具合で生活リズムが狂ってでもいるのか、まだあまり上手な鳴き声
ではない。

 俗語に「ウグイスの谷渡り」というのがあるが、あれはどうやら驚いた
時に谷間を下りながら鳴くようである。

 うるさいカラスはそのあとになる。一日中うるさいが昼食時期は静かに
なり、夕方又うるさく騒ぐようである。

 朝は高いところで観察されているようなかんじであり、お目覚め後の
一声で存在を表しているようである。

 夕方は大きく回りながら山の巣の方に帰ってゆく感じがする。

 「てっぺんかけたか」と聞こえるホトトギスは、夕方にぎやかだが
今年はまだ多く聞こえない。

 最近中腰で長時間の作業を何日も続けた精華、足腰が弱りガタガタで
作業も遅れがちである。

 少しずつリズムを取り戻してはいるが、老体にムチ打っても動かない。
いたわりながらのムチは余り効果をできないのでイライラしているのが
現状である。
 
 

スカイラインに乗った仙人の徒然草

2017-06-26 01:59:20 | つれづれなるままに こころにうつりゆく 
    六根清浄   
    「ろっこんしょうじょう」 と読む   
 
 読み書きそろばんができない人でも、きちんと神仏の祭祀をするし、
世事に長じ、恥じをかかない立派な方がいます。
 きっと六根清浄が出来ているのでしょう。

 霊山(りょうぜん・りょうざん)への参拝や真言宗の修行などのために
登山する場合「六根清浄」と唱える。

 感覚や認識の基本である、眼・耳・鼻・舌・身・意(こころ)の六根
から生じる煩悩を断ち切り清らかになることと言われるが、凡人は
なかなかこれができない。

 最近日常生活の中で、3分の1が四国88カ所詣りに心を奪われる
ようになっている。

 読むもの・書くもの・話すこと・聞くことも四国であり、お遍路の
話が多くなっている。

 有難いことである。若い日の罰当たりめがこのような気持ちを抱くと
思ってもいなかったことであるが、歳を重ねたからであろう。

 我ながら、目に写るものへの思いやりも出てきたように思う。

 少し清浄心が出てきたのかなと他人事のように思う。親しき方との
会話にも何かが表れてきた。

 六根までは少し時間がかかるかも知れないが、四国を巡ると自然と
心が澄んでゆくのが解るような気がします。
 
 

スカイラインに乗った仙人の徒然草

2017-06-22 01:29:00 | つれづれなるままに こころにうつりゆく 
 仏教の経文に感じること  
  人様に良いことをお奨めする
  悪いことは話さない ETC・・・・
 font>  

 仏教に見る「十善戒」以上の良い教えがないように思う。
 ところが、凡人の唱えるべきお経も、教本がなくとも読める程の信徒も
丸暗記でその中に込められた深い教えに触れる方が少ない。

 ただ意味も解らず暗記するお経もそれはそれで有難いことかもしれない。
しかし、少しでもその経文の一部でも理解をすれば、より一層御利益が
あるかも知れないと思うのは投稿者だけだろうか。

 宗派によれば、僧侶がお説法というのをなさるところもある。
「ここの家は○○宗だが、格式の高い割に何も話さない僧侶だな」と
思う事もある。

 これは仏教界が多忙であるのだろうか。そうではあるまい。
 仏教界も維持するためにと言いながら「お金」を集めすぎるのではと
思う事もある。

 お寺が不動産取引に手を出すとか、観光事業を行う。
物販もどんどん進めるとなると、傍目には「がめつい」と見えてくる。

 敬虔な仏教徒の「貧者の一灯」も、その心を理解することもない数字の
世界なのかもしれない。

 そのような社会背景の中で、仏事に対する信徒たちも料金が高すぎる
というので敬遠しだした。(もともと安い料金で取り扱う宗派もあるが)

 仏教界それに付随するビジネス界などの猛省を促したい。