類は友を呼ぶとはよくゆったもんで、「あ、この人好きかも」と思った人は大体自分と好みが似ている。
何が嬉しいかって、そういう人は自分が今まで出会わなかった本や映画やその他もろもろを紹介してくれることだ。
「千原ジュニアの本読んでみて」
「【キサラギ】が気になる」
「うめかよ素晴らしい」
等等。
こちらも紹介する。
「これ、酒井順子さんの本」
「岸本佐知子は天才です」
「いいむろなおきさんの舞台を観に行こう」等々。
すると、今度は紹介した友人が古本屋で「ニョタイミダス」(酒井順子)を見つけてきて貸してくれたりする。
これが何を意味するか。
一人の人間が見つけられる「好きなもの」の数は限られている。もしかしたら一生出会わずに終わってしまう「好き(になる可能性が高い)なもの」もたくさんあるだろう。
しかし同好の士を見つけることで私は、目を二つと足二本を余分に手に入れることになるのだ。
こんな幸福なことはない。
そして同好の士は人間までも紹介してくれる。そういう人とは初対面でも意気投合しちゃったりする。芋づる式に「好きなもの」「好きになれる人」がついてくる同好の士は、素晴らしいです。
若干困るのは好みだけでなく考え方までも似ている時。もしくは結果的に似てきてしまった時。
研究室の友人M野とは毎日顔を合わせる上によく飲むので、過ごした時間に比例して考え方ややり方が似てきた。
私が
「あー明日USJ行く約束、めんどくさいなあ」
と言った時、M野は
「その人とUSJ行くより私と【自虐の詩】観に行くほうがよくない?」
と言いやがった。
その、自分と他を天秤にかけさせる(しかも相手の好物のエサをつける)誘い方はまさしく私のやり方で、
自分の口が二つに増えたのかと思ったら、
限りなくうっとおしい世界だと感じて、
なんだかうんざりした。
増えるのは目だけで十分ねと思った。
ここで一句、
【されてみて 初めてわかる 我がウザさ】
結局どちらに行ったかはご想像にお任せします。