ギャラリー ゴトウ ダイアリー

展覧会のお知らせなど

5人展 阪口鶴代 野見山暁治 早川重章 前田昌良 森本秀樹 ~贅沢な競演

2011年04月26日 | 展覧会のお知らせ

ー現代を代表する5人の作家による展覧会を企画しました。

作家の方々の作品が織りなす、美しい響きあいが秀逸です。

ぜひご高覧ください。

4/30(土)まで11:30~18:30(最終日は16:30まで)

 

 

 

 


那須秀至展 海景連作 のお知らせ

2011年04月12日 | 展覧会のお知らせ

メインroomにて那須秀至展 海景連作を開催しております。

4/11(月)~16(土)、11:30~18:30(最終日は16:30まで)

那須さんはドイツ、フランクフルト在住35年で、ドイツを中心に展覧会をされていらっしゃいます。

久しぶりの銀座での個展ですが、まず展示構成の美しさが心をとらえます。

画面を2分割し、墨や顔料で制作された作品で、その線は水平線や地平線を思わせます。

見ていると、小さい画面でも内容は「壮大」です。ぜひ、ご高覧ください。


団野 雅子展のお知らせ -山水と風景のあいだでー その2

2011年04月07日 | 展覧会のお知らせ

 

団野さんの今回の展覧会の評論家 木下長宏氏のコメントをご紹介いたします。


山水と風景のあいだで─団野雅子の作品に寄せて 

 

 木下長宏

  東洋では古くから「山水」画という言葉があった。「山水」は、そのとき、一種の霊的存在であった。霊は、人のなかに棲みつき、樹々や山や川の流れにも棲みついている、そういう存在だった。

 明治という時代を通過したあと、日本列島に暮す人びとは、新しく西洋からもたらされた「風景」画を描くようになって、この古い東洋の「山水」観を忘れていった。 

 西洋では昔から「風景」は描かれてはいたが、いつも、それは背景でしかなかった。「風景」が独立して絵画の主題になるのは、17世紀になってからである。西洋の人びとにとって、風景は、いつも、人間の眼に映る対象像であって、そこに霊なんぞ棲む余地はなかった。

 風景を自然の対象として見る方法を習った日本列島人は、しかし、その結果すっかり「山水」の霊を忘却してしまったわけではない。「風景」画と取り組みながら、無意識の底のほうでは、山水の霊を描き出したい、という欲求にとらわれている。「風景画」を観る人たちも、山水の霊に触れたとき、深い感動にとらわれている。

 西洋の方法が制度として固まってきた分、現代では、山水の霊に出会おうとする絵を描くことは、いっそう困難になっていることは確かだ。しかし、画家は、困難であればあるほど、その願いを実現したいと、絵筆をとり、画布にむかう。団野雅子も、そんな西と東の渓谷がつくる山路を旅する一人だ。

 ときに、風景は対象となって、画家を突き放し、ときに、深遠な霊の呪文を唱える山水となって、画家を魅了する。手を差し伸べると、すぅっと身を引き、もう及ばないと手を止めると、思いがけなく身近で、山水(という風景)が息づいている。

 いまや、わたしたちは、限りない山水と風景の出会いと別れのなかに、自然の息づかいを感じ取るしかないのかもしれない。団野雅子の絵は、そんな自然の息づかいを、色と形と筆触の交響のなかでみつけようとしている。

 


団野 雅子展のお知らせ -山水と風景のあいだでー

2011年04月04日 | 展覧会のお知らせ

メインroomにて団野 雅子展を開催しております。



自然を空気感豊かに たちこめる気配まで感じさせるように描いています。

画廊内で対峙していると、臨場感あふれる自然にふれている思いです。

今回、美術評論の木下宏氏が 文章を寄せてくださいました。 

 

是非、ご高覧下さい。

4/4(月)~4/9(土)、11:30~18:30(最終日は16:30まで)