げんめいpicture

もともと絵描きでしたが、発達障害の2児の子育てが始まり、シングルになりそれでも明るくやってこーというプログ

石巻に行ってきました。

2011-05-16 00:19:46 | 日日々日常
急遽、石巻にボランティアに行ってきました。

仕事終わってから せーごんから電話「今からだけど行かない?」
「行く!」金銭的に行く事を諦めてたげんめいに声かけてくれたセーゴンに大感謝!!!
見事1時間後に出発

minaさんのブログを読んでからずっと行きたくて モヤモヤしていたので、本当タイミングもバッチリで行きたい!と思った時に行けた。

今回はせーごん、ともちゃ、アイコちゃん、げんめいのメンバー。


ボランティア先は高橋歩さんのやっているON THE ROAD

高橋歩さん自体は知っていたけれど、こんな活動をしいている事は来て初めて知ったし、関係者の内部に近づいたのは初めて。大学のころに本を読んでいたので なんとなく雰囲気を掴んでいたけれど
今回ボランティアのスタッフさんたちを見ていて凄い感激した。勉強になることだらけ!!若くて明るくてポジティブ。とっても気持ちが良い人ばかりだった。

ヴィレッジ


到着してそのまま車を乗り換え現場に向かう。

現場に向かうに連れ町の景色が変わって行く。

ヘドロの匂い半端無かった。ココで暮らすって本当ウイルスとか気になる。。。
でも地元の人はマスクをつけない、、、子供も。。。。



現場付近。ここらへんはまだ手がつけられる状況だからマシな方。
何にも無くなってしまって手が付けられないところが本当にひどいらしい。


大量のゴミ。ゴミといっても、家の壁や雑貨がぐちゃぐちゃになってるから、ゴミになっちゃったものだよね。

自衛隊などが入れない細い道や地元のひとのニーズがあるところを優先で人の力でゴミを撤去していくさ作業。

もちろん、家一軒分どころじゃない量。
屋根や壁、床、トイレ、そのままグチャグチャになっているものが波に寄せられヘドロと固まっているものを片付けて行く。



こんなふうに残ってる家でも一階部分は破壊されちゃってる家がほとんどだった。それでも2階に住んでる人もたくさんいた。
やはりどんな状態でも家に住みたいんだよね。



破壊されなくても流されて電柱や ガソリンスタンドの柱に引っかかってる家も至るところにあった。

瓦礫だしの作業をした神社。
この神社は地元の子供たちのたまり場だったらしく、地元の人たちが
5月何日かに相撲大会や花火大会をやりたい! と力を入れているらしいので
それなら一刻も早く
こどもたちが裸足で走り回れるようにするぞ!!という作業。
ガラスの破片は土に中にたくさんはいっていてとても危険。


上の写真とこの写真はもう作業後の写真なんだ。作業前の瓦礫の山を撮っていればよかった、
これが一日で無くなるとは思えない量だったよ。向こう側は全く見えなかった。地面も。

でもここが綺麗になって周りが見えるようになった時、遥か向こうまでも瓦礫の山。

でてきた写真や手紙。



地元のおっちゃんは この景色が 既に「普通」になっていると言ってた。
町は避難所のや、自衛隊のキャンプや瓦礫を運ぶトラックばかり。



ON THE ROADのヴィレッジの中。

ティパ。(多分パオと一緒)まかない場だったり、本部だったり、共有スペースだったりします。

中には今まで来たボランティアさんたちの写真が貼ってある。


外からみるとかわいい絵が描いてある。

夜はここで全員ミーティング。

ここはさくらの湯ていう温泉施設の隣の駐車場だから、夜は温泉でした。
この左側の赤い建物がさくらの湯、

最高の温泉だった!


次の日はなんとかのわ  っていう元幼稚園のを避難所にしたところでの作業;
ここ↓

お風呂の薪割りをしました。
初めて薪割った!!めちゃめちゃ楽しい。でもおっちゃんたちは見てられないらしく
常に後ろで アーだコーだ教えてくれながらやってました。
おっちゃんたち本当仕事早い。
あおいちゃん。北海道から来たんだって。
鹿児島、沖縄、北海道、本当いろんな所の人たち。GWは270人も集まったんだって。


今回お世話になったカンペイさん。

最後に幼稚園内の教室の中の瓦礫出しをしました。
園児たちが使っていただろう おもちゃなどから海水が出て来る、壁にはここまで海水があったという跡が残ってる。

本当わがまま言って 色々やらせてもらってありがたかった。
帰りは海を見てかえりました。

海の前の道路は沈んで渡れない。



防波堤が壊れてる

ここは前幼稚園だったんだって。
たまたま様子を見に来ていたおばあっちゃんと出くわす;。

おばあちゃんはたまたま助かったけれど、友達が流されてしまった。
ここは有名なお店だったらしく、ここがどこどこだった、ここはどうだった、どんな海で、とたくさん教えてくれた。
おばあちゃんは 別れ際に「あなたたちがぶじにかえれますように」と手を握って祈るように言ってくれました。
私たちはおばあちゃんが心配でいたけれど、おばあちゃんは 自分の事よりもワタシたちの無事を心配してくれてた。



ヒナンジョに居たおっちゃんが詳しい話をしてくれた、

当日の津波警報は 地元の人達はよく普段からある津波警報に慣れていて、あんなに大きいのが来ると思わなかったから、逃げ遅れたんだって。

そしてみんなが車で逃げようとして、道路が渋滞のまま津波に襲われて亡くなった人がたくさん居たこと。
車の中でたくさんの人が無くなったのをみたおっちゃんは私たちに、津波の時は絶対に車に乗るな!!と何度も何度も言っていた。
外に出たりしないで、建物の2階にじっとしていた人達の多くが助かった事。


松の木よりも高いところまで海が来た事。
色んなものにしがみついているところに雪が降って来てとても寒かった事。

次の日に水がやっと越しの高さになって 外に出たらたくさんの車のなかで死んでいるひと達や
波で高いところに持ってかれて助けを呼んでいる人に出会った事。


たくさんいろんな話をしてもらえました。

写真を見てもらえればわかるとおり、瓦礫は寄せられて道は通れるけれども
瓦礫を移動させてるだけだし、撤去は途方も無い作業で何人居ても足りない。

自衛隊や大きい車が通れるところにもたくさん瓦礫は残ってるし、それらが入れないところは全部手作業でやっている。

途方もない作業だけど、やればやるだけ減って行くし、いつかはそうやってけば無くなるんです。
また行けたらいきたい。
本当に行って良かった!!!機会を暮れたセーゴンありがとう!


石巻は 空も山も田んぼも凄く綺麗なところでした、