日本共産党中央委員会メ―ル室御中
第三信―「共産党」名でなければとの根拠が希薄では(歴史的・社会科学的理論の分析から)
拝復
個人的なメールにも関わらず丁寧にご返信賜り感謝致します。
真摯な回答大変嬉しく存じました。
ご返信の要点は、日本共産党はマルクスの理論の正当な解釈での「人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会の実現」「自由と民主主義の全面実現」にあり党名はその歴史の確信が込められているとの意であると受け賜わりました。
これは今日の日本における共産主義運動の先頭に立たれる「日本共産党」としての大意であり、その趣旨は必ずしも否定されるべきものではありません。理解はします。(しかしこの大意の回答には第一信にも挙げた詳細の歴史的な経緯の解釈を踏まえた返事にはなっていません。あまりにも表層の回答になります。)
これを前提に再度、今回のご回答でなお判然としない幾つかについてご質問します。
1 示された共産党の理念だけでは他の野党の理念との「政党」として峻別は不可です。「共産党」としてでなければ保守勢力と闘えませんか。
まず基本的な認識として上記民主革命による自由と平等の実現が共産党の党是なら、希望の党や国民・立憲民主・社民・自由党等他の野党との政党の党派とあえて区分けする必要があるのですか。当然厳密には安保政策や憲法観、アメリカ対応などで党の理念と具体政策の違いがあってのことで、政党活動である限りその政策協議が大切とのことであろうと思われますが、小異を捨てて大道につき、対保守野党連合として「合同会派ないし合同政党」をどうして組めないのですか。
政策合意による野党共闘を共産党は目指していると言っても、他の野党の中には鼻から共産党嫌いなのはどうしてだと思われますか。これは他の野党の共産党への偏見で理解不足からくるものとの認識ですか。そこには「共産党イデオロギー排除」の論理が働き、さらには、はっきり言って互いの党のメンツの問題ではありませんか。つまり共産党が如何に踏ん張っても他の野党が拒否する皮肉な現象。
2 暴力革命否定は説得力に欠ける。つまり日本共産党独自の路線は言い訳に映るが如何か。
日本共産党は革命プロセスを否定してきたとされていますが(日本共産党としての厳密な暴力革命の闘いの経過は置くとしても)、世界史的に見てロシアやフランス革命は明らかに王政への暴力による転覆であり、暴力革命による政治の転覆は否定しがたい。国民は「共産党」と言えば、暴力による共産主義、ないし共和制移行が頭にある。過去の史実は拭い去れない。これを如何に日本共産党は独自の路線で誤ったマルクス・レーニン人主義を克服し、マルクスの正当な理論解釈によって暴力革命を否定したのだと言っても相当無理があるのではありませんか。
3 「共産党」名を名乗る必然性は希薄と考えられますが如何か。
皆さんは理想社会を夢見てその達成に邁進されているということで、伝統(まもなく結党後100周年)と今日的意義としての党名に固執されますが、客観的に国民、市民目線からし、そして上記共産党の理念からして党名への拘りは理解できません。前にも記したようにそれはもはや理論的・実際的に矛盾の産物です(象徴天皇制の国民総意論による判断や、二段階改革論を前提とするなら)。(つまり共産党は綱領にあるように、社会主義・共産主義を目指すことが特徴で第一段階目の民主主義革命と民主連合政府の達成は否定されていません。国民の引っ掛かりはこの点です。一段階目の達成すら危うい中、どうして二段階目が達成できますか。理想社会のビジョンを描くに急で現実を無視することになればそれはまさに倒錯です)。もし仮に革命の二段階論でなく同時並行ないし社会主義・共産主義革命が目的なら「共産党」なのかも知れません。改革・革命の二段階論は党名と矛盾する。
さらに敷衍すれば民主連合政府による国民のための民主主義政府が達成された暁に「共産主義への移行の政府樹立」を目指されてもおかしくないのではありませんか(この段階で改めて共産党を名乗る)。一気呵成に共産主義を掲げることに国民は躊躇しているのです。今まで世界的に示された共産主義の負のイメージが大で余計にアレルギーが増幅しています。若者は頓着ないと言いますが、少し調べればわかることです。そしてもうそろそろ大衆に「教えてやろう」的、啓蒙主義的発想の党活動を是正されたら如何でしょう。
憲法規定の象徴天皇制についても、白井聡氏は個人としても「天皇制民主主義」の欺瞞を暴かれています。(体制論―菊と星条旗・集英社新書)
日本共産党たるもの「天皇制」についてももっとしっかり「体制変革」を主張されたら如何か。(綱領では憲法規定として承認している・選択を国民に委ねている。これも忖度以上のまやかしと映る)
やはり共産党さんは天皇を敵に回すのは怖いのかと国民は思う。
4 少数野党でなく多数派を目指しての共産党イニシャテイブを確信されていると思いますが、その戦略はただ、ただ「党員の奮闘あるのみ」なのですか。
「党の力を付けて若者にも期待して」と党員の皆さんはいいますが、創価学会ではあるまいし信念のみの非現実的な宗教観にならないよう(「平和の党」が平和解体的)。マルクス理念の科学的闘い、多数派工作への戦略に期待したい。
目下の情勢では、失礼ながら如何に奮闘されても「共産党」名なら国民の数パーセントの支持以上に多数派形成は望めないかも。是非、「そうはさせない」と私たち含め無党派層をも納得させる材料を下さい。
私が党中央の委員なら各地の演説会に参道する熱心な党員以外の市井の動向を絶えず気にかけます。新聞の世論調査のように。独りよがりの理屈と感情論は禁物です。もちろん息長い情勢判断の元。以上は日本再生の起死回生を目指してのこころからの注進です。共産党さん―「よーく」お考え下さい。その渦中に居ますとタコヅボ化してしまいがちになるのです。
結論として―
共産党名にこだわることなく自民・公明・維新・国民民主等の保守党派に勝利すべく「国民合同党」とでも名乗れる党派を共産主導でまずは早急に結成し市民民主連合政党を確立されたい。今や懇請あるのみか。
緩やかな政策協定一つ可能にし得ない乱立野党政党では共倒れの恐れ。自民・保守を有利にするだけ。よって他の野党が大道につけない「共産党名固守」は古い党員はじめ党活動のしがらみにある党員の意地でしかないのではと大方の国民は受け止めるのではありませんか。もし仮にこの党名改変議論が党大会等で議論にもならないとしたら、それはもはや宗教であり阿片です。
そして一番の弱点は個人的意見の恣意性を排除するための集団討議がいつしか組織論として独裁へと傾く恐れがあることです。(ex.ソビエトの官僚体制、中国の覇権主義等。日本共産党さんはこれらの批判的改革と訴えますが、日本国民の大部分はこの制度論自体を疑問視)
以上、再質問をします。
(注) 第一信―「共産党アレルギーを国民は克服できるか」(2018・1・26)
第二信―「いくつかの質問」(2018・7・30)
大阪府南河内郡河南町上河内831 荻野源吾 77歳 福祉Analyst TEL―090 5978 3844 敬具 2018・8・6 広島原爆の日
第三信―「共産党」名でなければとの根拠が希薄では(歴史的・社会科学的理論の分析から)
拝復
個人的なメールにも関わらず丁寧にご返信賜り感謝致します。
真摯な回答大変嬉しく存じました。
ご返信の要点は、日本共産党はマルクスの理論の正当な解釈での「人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会の実現」「自由と民主主義の全面実現」にあり党名はその歴史の確信が込められているとの意であると受け賜わりました。
これは今日の日本における共産主義運動の先頭に立たれる「日本共産党」としての大意であり、その趣旨は必ずしも否定されるべきものではありません。理解はします。(しかしこの大意の回答には第一信にも挙げた詳細の歴史的な経緯の解釈を踏まえた返事にはなっていません。あまりにも表層の回答になります。)
これを前提に再度、今回のご回答でなお判然としない幾つかについてご質問します。
1 示された共産党の理念だけでは他の野党の理念との「政党」として峻別は不可です。「共産党」としてでなければ保守勢力と闘えませんか。
まず基本的な認識として上記民主革命による自由と平等の実現が共産党の党是なら、希望の党や国民・立憲民主・社民・自由党等他の野党との政党の党派とあえて区分けする必要があるのですか。当然厳密には安保政策や憲法観、アメリカ対応などで党の理念と具体政策の違いがあってのことで、政党活動である限りその政策協議が大切とのことであろうと思われますが、小異を捨てて大道につき、対保守野党連合として「合同会派ないし合同政党」をどうして組めないのですか。
政策合意による野党共闘を共産党は目指していると言っても、他の野党の中には鼻から共産党嫌いなのはどうしてだと思われますか。これは他の野党の共産党への偏見で理解不足からくるものとの認識ですか。そこには「共産党イデオロギー排除」の論理が働き、さらには、はっきり言って互いの党のメンツの問題ではありませんか。つまり共産党が如何に踏ん張っても他の野党が拒否する皮肉な現象。
2 暴力革命否定は説得力に欠ける。つまり日本共産党独自の路線は言い訳に映るが如何か。
日本共産党は革命プロセスを否定してきたとされていますが(日本共産党としての厳密な暴力革命の闘いの経過は置くとしても)、世界史的に見てロシアやフランス革命は明らかに王政への暴力による転覆であり、暴力革命による政治の転覆は否定しがたい。国民は「共産党」と言えば、暴力による共産主義、ないし共和制移行が頭にある。過去の史実は拭い去れない。これを如何に日本共産党は独自の路線で誤ったマルクス・レーニン人主義を克服し、マルクスの正当な理論解釈によって暴力革命を否定したのだと言っても相当無理があるのではありませんか。
3 「共産党」名を名乗る必然性は希薄と考えられますが如何か。
皆さんは理想社会を夢見てその達成に邁進されているということで、伝統(まもなく結党後100周年)と今日的意義としての党名に固執されますが、客観的に国民、市民目線からし、そして上記共産党の理念からして党名への拘りは理解できません。前にも記したようにそれはもはや理論的・実際的に矛盾の産物です(象徴天皇制の国民総意論による判断や、二段階改革論を前提とするなら)。(つまり共産党は綱領にあるように、社会主義・共産主義を目指すことが特徴で第一段階目の民主主義革命と民主連合政府の達成は否定されていません。国民の引っ掛かりはこの点です。一段階目の達成すら危うい中、どうして二段階目が達成できますか。理想社会のビジョンを描くに急で現実を無視することになればそれはまさに倒錯です)。もし仮に革命の二段階論でなく同時並行ないし社会主義・共産主義革命が目的なら「共産党」なのかも知れません。改革・革命の二段階論は党名と矛盾する。
さらに敷衍すれば民主連合政府による国民のための民主主義政府が達成された暁に「共産主義への移行の政府樹立」を目指されてもおかしくないのではありませんか(この段階で改めて共産党を名乗る)。一気呵成に共産主義を掲げることに国民は躊躇しているのです。今まで世界的に示された共産主義の負のイメージが大で余計にアレルギーが増幅しています。若者は頓着ないと言いますが、少し調べればわかることです。そしてもうそろそろ大衆に「教えてやろう」的、啓蒙主義的発想の党活動を是正されたら如何でしょう。
憲法規定の象徴天皇制についても、白井聡氏は個人としても「天皇制民主主義」の欺瞞を暴かれています。(体制論―菊と星条旗・集英社新書)
日本共産党たるもの「天皇制」についてももっとしっかり「体制変革」を主張されたら如何か。(綱領では憲法規定として承認している・選択を国民に委ねている。これも忖度以上のまやかしと映る)
やはり共産党さんは天皇を敵に回すのは怖いのかと国民は思う。
4 少数野党でなく多数派を目指しての共産党イニシャテイブを確信されていると思いますが、その戦略はただ、ただ「党員の奮闘あるのみ」なのですか。
「党の力を付けて若者にも期待して」と党員の皆さんはいいますが、創価学会ではあるまいし信念のみの非現実的な宗教観にならないよう(「平和の党」が平和解体的)。マルクス理念の科学的闘い、多数派工作への戦略に期待したい。
目下の情勢では、失礼ながら如何に奮闘されても「共産党」名なら国民の数パーセントの支持以上に多数派形成は望めないかも。是非、「そうはさせない」と私たち含め無党派層をも納得させる材料を下さい。
私が党中央の委員なら各地の演説会に参道する熱心な党員以外の市井の動向を絶えず気にかけます。新聞の世論調査のように。独りよがりの理屈と感情論は禁物です。もちろん息長い情勢判断の元。以上は日本再生の起死回生を目指してのこころからの注進です。共産党さん―「よーく」お考え下さい。その渦中に居ますとタコヅボ化してしまいがちになるのです。
結論として―
共産党名にこだわることなく自民・公明・維新・国民民主等の保守党派に勝利すべく「国民合同党」とでも名乗れる党派を共産主導でまずは早急に結成し市民民主連合政党を確立されたい。今や懇請あるのみか。
緩やかな政策協定一つ可能にし得ない乱立野党政党では共倒れの恐れ。自民・保守を有利にするだけ。よって他の野党が大道につけない「共産党名固守」は古い党員はじめ党活動のしがらみにある党員の意地でしかないのではと大方の国民は受け止めるのではありませんか。もし仮にこの党名改変議論が党大会等で議論にもならないとしたら、それはもはや宗教であり阿片です。
そして一番の弱点は個人的意見の恣意性を排除するための集団討議がいつしか組織論として独裁へと傾く恐れがあることです。(ex.ソビエトの官僚体制、中国の覇権主義等。日本共産党さんはこれらの批判的改革と訴えますが、日本国民の大部分はこの制度論自体を疑問視)
以上、再質問をします。
(注) 第一信―「共産党アレルギーを国民は克服できるか」(2018・1・26)
第二信―「いくつかの質問」(2018・7・30)
大阪府南河内郡河南町上河内831 荻野源吾 77歳 福祉Analyst TEL―090 5978 3844 敬具 2018・8・6 広島原爆の日