吉松隆 還暦コンサート ~鳥の響展~
ランダムバード変奏曲 作品23 吉松隆作曲
ピアノ:田部京子、ピアノ:小川典子
サイバーバード協奏曲 作品59 吉松隆作曲
サクソフォーン:須川展也
大河ドラマ”平清盛”作品112から”テーマ曲””屹立””戦闘””夢詠み””決意”
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
[収録:2013年3月20日/東京オペラシティコンサートホール]
吉松隆

1953年生まれ。慶應義塾高等学校に入学した時は医学部進学を希望していたが、やがて交響曲作家に憧れ志望を変更。慶應義塾大学工学部在学中、松村禎三に弟子入りする。作風において影響は全く受けなかったと隆は自嘲するが、1974年のピアノ独奏曲「シリウスの伴星によせる」(作品番号1)には松村を含む現代音楽の影響が濃厚である。和声と対位法を学ぶよう松村に勧められ、東京藝術大学教授の川井学を紹介されたが数ヶ月でレッスン受講を断念。1974年3月には慶応義塾大学を退学した。
またこの頃には芸術音楽としての作曲を行う一方、ピンク・フロイド、イエス、EL&P 等のプログレッシブロックに心酔し、 キーボード奏者としてロックバンドにも参加した。
1975年、松村の紹介で原田力男と出会い、1978年11月28日、原田主催のプライヴェート・コンサートで「忘れっぽい天使」を発表し、作曲家としてデビュー(ただし作曲料は無償だった)。その間、さまざまな作曲コンクールに20回ほど応募してことごとく落選したが、1980年、オーケストラのための「ドーリアン」が交響楽振興財団作曲賞に入選。次いで1981年に「朱鷺によせる哀歌」が現代の音楽展'81で初演され、高い評価を受け、若い世代の作曲家の1人として認知された。なお青島広志の著書『作曲家の発想術』(講談社現代新書、2004年)には、「朱鷺によせる哀歌」で尾高賞を受賞したという記述があるが(p.263)、誤り。吉松本人も自身のサイトで否定している。シュトックハウゼンやクセナキスなど、無調音楽を中心とする現代音楽の非音楽的傾向に反旗をひるがえし、「現代音楽撲滅運動」と「世紀末抒情主義」を提唱。1984年、西村朗と共に世紀末音楽研究所を設立。交響曲、協奏曲など数多くの作品を発表。1998年からイギリスのシャンドスとレジデント・コンポーザーの契約を結び、交響曲をはじめとする多くのオーケストラ作品が録音された。
プログレッシブロックファンでもある吉松は2009年にEL&Pの「タルカス」をオーケストラに編曲、翌年「タルカス~クラシックmeetsロック」としてCD発売された他、NHK大河ドラマ平清盛の劇中音楽にも採用され話題を呼んだ[2]。コンサートでの反響は「プログレ」ファンと「クラシック」ファンが重なることによるものとの分析もあり、幅広い支持を得る吉松の音楽性を物語る事例としても捉えられる。
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