ギャラリー柳水(りゅうすい) 日々のよもやま

40年以上を陶磁器とともに過ごしてきました。
見て美しく使って楽しい陶磁器の世界をご紹介いたします。

いのりのかたち

2020年06月21日 | 日記
品物の処分を請け負った中に、古いイコンがあった。
東欧のどこかから明治~大正のあたりに日本に渡ってきたようだ。
正式には三連祭壇画(Triptych)といい、観音開きになっており、
開けると中央に聖母子、両翼に様々な聖人が描かれる。

日本に渡ってきた時点で虫食いがすでにひどかったのかもしれないが、
外側は木の粉がパラパラ落ちてくるし、金具もとれかかっている。
だが内部を見ると、人物の表情や衣服の模様がとても丁寧に描かれているし、
背景の金の色がいい。わりに質の高い素材でていねいに作られたもののようだ。
生まれて間もないはずのキリストさんのお顔が妙に大人びている。

カトリックの祭壇画はわりになじみがあるが、東方教会のものはあまり知らない。
どの聖人が描かれているのかも調べないといけない。
100~200年くらいは遡るだろうが、描かれた聖人たちも、よもや故郷を離れ
言葉もわからない異教徒の地に流れ着くとは思っていなかっただろう。
日本にいながらにして、こんなおもしろい品物が手に入るとは思わなかった。

おとぼけ(子犬の水滴)

2020年06月16日 | 日記
すっとぼけた顔の水滴
なまいきにも金の縁取りのある赤い紐が首についている。
からだのぶち模様は黒と緑 
目鼻や足の細部まできっちり作ってある。
誰かの注文で作られたのかもしれない。
しかもけっこう古い。
気が付けばいつの間にか店に棲みついていた。

これ見よがしの美術品に疲れたとき、こうした小物を見るとほっこりする。










寛次郎の流描(ながしがき)

2020年06月14日 | 日記
鉄薬の上から黄色い釉薬をかけ、乾かないうちに竹串で黄色い釉薬を引っ掻く。
すると筆では描けない自然な線ができる。
一時英国に渡っていた濱田庄司が帰国して、河井寛次郎の家に滞在していた時に
濱田から教えてもらった技法だ。

紙を染める技法で墨流しがある。
水面に染料を浮かべて、息を吹きかけたり、竹串で動かしたりして模様を描き、
紙をかぶせて転写させる。
イタリアのマーブル紙も同じ方法

どちらも液体の流動性を利用した装飾技法

もうずっと前のことになるが、陶器の山を買った。
その中にはひょっとしたら寛次郎のものかもしれない流描の皿があった。
本物か偽物かわからないときは、自分にとっていい方向にしか考えない。
疑いを持たないように、これは本物、これは本物と、自我がささやいてくる。

しかし数日ながめていると、だんだん偽物だとわかってきた。
線が硬い。こんなやわらかい曲線ではない。
よくよく見ると、どうも黄色い釉薬の部分が均一に盛り上がっている。
流描に似せた黄色の粘土の薄い層を貼りつけていた。
これ1枚だけが置いてあったら、よく見もせずに買っていたかもしれない。

ネットで売られる品物を見ていると、怪しげな作品が実に多い。
一見、流描の皿を見かけるたび、あの貼りつけ文の皿を思い出す。
流描の皿は、線の躍動感に注意して見てほしい。

(写真は河井寛次郎の茶碗の模様の部分を拡大したものです) 


春峰(しゅんぽう)さん

2020年06月08日 | 日記
趣味に走ると、身のまわりがごつごつした陶器で固められ、息が苦しい。
そんなときに磁器を出してみる。
手のひらにのるサイズのかわいらしいものだ。
戦前の年号を書いた紙箱に無造作に入れられている。
裏には「平安 春峰」 とあるから、初代の井上春峰(1896 ~ 1965)の作品
ずっと京都の人かと思っていたが、調べると愛知県の瀬戸市生まれとある。
京都に住まいを移し、煎茶道で身を興した。現在は3代目
膨らんだ胴の部分はわずか6センチくらいしかないが、
そこに梅・竹・蘭・菊の四君子の植物模様が手描きされている。
湾曲した面にこうした自然な感じの植物を描くまでには
けっこうな修練の年月を重ねていると思われる。
赤・黄・青・緑の四色が派手すぎず、目に心地よい。

絵の調子がよいので、なんとなく使いそびれたまま、棚の中に置いてある。
あったところでどうというわけではないが、
あるというだけで豊かな心持ちになれる一品








兎糸文(としもん)

2020年06月06日 | 日記
河井寛次郎の作品は、一人でよくこれだけ考え出せたものだと感心するくらい
作品が多岐にわたる。

明治23年島根県の安来に生まれた。成績優秀にして旧制中学、
東京工業高等学校を卒業し、京都の工業試験場に技師として就職。
足かけ3年で5代清水六兵衛工房の顧問、またその2年後には独立。
裕福な支援者のバックアップがあったにせよ、地縁血縁の少ない京都で、
30歳で自分の窯を持てた人は、当時としても少なかったと思われる。
5代六兵衛から譲り受けた窯を「鐘渓窯」(しょうけいよう)と名づけて、
亡くなるまでの46年間、さまざまな色や形の作品を生み出している。

数は少ないが、初期のものは窯名の印が押されている。
中国古陶磁をよく研究し、中国風の難しい漢字を使った作品名が多い。
砕苺紅、鱔血文、繍花白瓷… 
そうした名前の中に「兎糸紋」がある。主に花瓶、茶碗、鉢に多い。
釉薬の溶け具合が、ウサギのふわふわした毛並みに似ているところから
名づけられている。
絵を描いてこの模様ができるわけではない。
高温で釉薬が溶けてできる偶然の模様

写真は昭和に入ってから作られた盃の内側
鐘渓窯時代の作品ではないし、兎糸紋とは名づけられないが、
技法がどういうものか、少なくとも大まかな雰囲気はつかめると思う。
触ればつるりと冷たい磁器とはわかっていても
流れる釉薬の筋が、わさわさした毛に見えてくるのがおもしろい。