ギャラリー柳水(りゅうすい) 日々のよもやま

40年以上を陶磁器とともに過ごしてきました。
見て美しく使って楽しい陶磁器の世界をご紹介いたします。

コネチカットからきた時計

2020年06月04日 | 日記
こういう商売をしていると、今は時代遅れとなって誰にも使われなくなった
道具が集まりやすい。
このだるま時計もそうしたもののうちの一つ
明治時代にアメリカからはるばる船に乗ってやってきたらしい。

月に2~3回くらいねじを巻いてやる。
ゼンマイ式なので、巻きが足らなくなると遅れだす。
古時計の収集家は、止まるまで巻かないようにと昔アドバイスをくれた。
常に同じ回数だけ巻くことが、時計を長持ちさせる方法なんだそうだ
この方が旅立たれてもう10年以上たつ。

ある日、動かないままホコリにまみれていたこの時計と目が合ってしまった。
かわいそうになって連れて帰り、また動けるように直してもらった。
20年くらい前はまだ振り子時計を修理できる店が商店街の中にあったが、
時計が古びていくとともに、修理できる人も年で引退していく。
今は探すのに苦労し、また探し当てても修理費がかさむ。
だが人が大切に扱うことで、品物の寿命は格段に延びる。

定時になると鐘が鳴る。
一世紀以上前の代物だが音はかくしゃくとしている。元気がなくなってくると、
音までヘロヘロしてくるところが、これまた人間的でいい。
アバウトな時刻しか示すことはできないが、振り子時計は無機質な時の流れに、
人間味のある暖かさを加えてくれるような気がする。
夜になると外が静かになり、針の動く音が室内に響く。


濱田の皿

2020年06月02日 | 日記
長年陶器を扱っていると、共箱がなかったり、数が揃わなかったりして、
売れずに手元に残る品物が出てきます。この皿もそうしたもの一つ。
形や線の勢いから、50~60代前後の作ではないかと思います。
白と黒の流描(ながしがき) 柄杓に入れた釉薬を上から流しながら線を描く。
自然な線が描けるまで、何度繰り返したでしょうか。
濱田庄司の著書『無盡蔵』(むじんぞう)には次のような下りがあります。

 これだけの大皿に対する釉掛が十五秒ぐらいきりかからないのは、あまり速過ぎて物足りなくはないかと尋ねる。しかしこれは“十五秒プラス六十年”と見たらどうか。自分でも思いがけない軽い答が出た。リーチも手を打ってうまく答えたと悦ぶ。こうなると、この仕事は自分の考えより、手が学んでいたさばきに委したに過ぎない。結局六十年間体で鍛えた業に無意識の影がさしている思いがして、仕事が心持ち楽になってきた。

今まで何百と濱田の皿は見てきものの、心に残る会心の作は少ないです。
しかもそうしたものから早く手元からは去ってしまいます。
この皿は15秒プラス60年には満たないでしょうが、濱田の生きてきた軌道が
描かれていると思うと、決してぞんざいには扱えません。
とはいえ使い勝手の良さがわかると、使わない日がないのです。
益子の土は少々重いですが、この皿は直径が22㎝と微妙に小さく、
重さが気になりません。
使い続けて20年以上はたちますが、丈夫で長持ち、健在です。










神のお使い 今むかし

2020年05月30日 | 日記
どちらも、京都市に隣接する八幡市のなだらかな男山の上にある、
石清水八幡宮の木彫りの土産物です。

向かって左は、今から15年くらい前に購入したもの。
白木に水色、白、黒で着色し、くりぬいた足の部分におみくじを挟んでいます。
非常にシンプルな一刀彫です。
目をよく見ると、細い黒い筋が目から2ミリくらい飛び出しています。
両側にあるので、わざわざこの線を入れています。
ほんの一筋で目に表情が加わります。

今でもあるかと探してみると、現代の鳩みくじは、ぷっくりした白鳩となり
羽は金の装飾が施され、ずいぶんデラックスなものに変身していました。
参拝客が多くなり撮影される機会が増えたのか、しっかりカメラ目線です。
  京阪電車のHPから転載
 
向かって右は、かなり古いものです。
少なくとも明治時代くらいには遡れそうです。
できた当時は彫りもくっきりとしていたでしょうが、使われているうちに摩滅して、
今では羽の線だけを残すのみとなりました。
しかし腹の部分には、画面では見えないアングルですが、
しっかりと「男山」の印が刻まれています。
現在のように足におみくじは挟んでいませんが、ひっくり返すと紐を通す穴が
二つついているので、今で言うキーホルダーの飾りの感覚で使っていたと思われます。
広がった胴体の丸みが、境内に集う実物の鳩を思い起こさせてくれます。
5cmにも満たない小さな木彫ですが、長生きした分、存在感があります。

多くの寺社仏閣でいろいろな動物が、人々が親しみやすいお使いとして
がんばっています。
土産物一つをとっても、時代によりずいぶんデザインが変わります。
その当時の人々の好みが反映され、ちょっと見るだけでもずいぶん楽しいものです。
大事に扱っていると、それだけお使いも長生きしてくれるような気がします。











改めてこんにちは

2020年05月29日 | 日記
思いもよらない疫病の発生で生活が大きく変わった方が多いのではないでしょうか。
私どもも卸業を中心としておりましたが、これから予想される荒波を乗り切っていくために、小売業にも乗り出していくことにしました。

陶器を扱うようになってほぼ45年。たくさんの陶器を扱ってきましたが、次から次に新しいものが出てきて、決して飽きることがありません。ただ、自分の好きなものと時代の流れに沿ったものとが必ずしも一致するわけではないところがつらいところです。

これから今まで体験したことのない局面に社会全体が差し掛かります。不安はたくさんあります。こんな時に思い出すのが、敗戦後に再び制作をはじめた先人たちの作品です。
見出しの作品は昭和30年の河井寛次郎の作品です。練上(ねりあげ)という色の違う土を重ねて模様を出す技法です。現代は土を着色して重ねるカラフルなものが主流ですが、この頃はまだ着色料を使う技法はありません。組成分の違う土を重ねるので、焼成中に土の境目がひずみを起こして、すき間が空いてしまうおそれがありました。土の層を薄くすれば失敗しにくいのですが、河井寛次郎はあえて土の層を厚くして、作りにくいものにあえて挑戦します。たくさんの失敗作を経て、上記のような隆々とした完成作が生み出されました。

国が敗れても、人は立ち上がり、また前に歩き続けます。
より良いものを作ろうとする気持ちが原動力です。
無いところから有るを生み出す河井寛次郎の力の大きさには本当に感動します。
その大きさゆえに没後50年以上を経ても、愛好家の熱が冷めることはありません。

河井寛次郎 練上扁壷 高さ20cm