ギャラリー柳水(りゅうすい) 日々のよもやま

40年以上を陶磁器とともに過ごしてきました。
見て美しく使って楽しい陶磁器の世界をご紹介いたします。

神のお使い 今むかし

2020年05月30日 | 日記
どちらも、京都市に隣接する八幡市のなだらかな男山の上にある、
石清水八幡宮の木彫りの土産物です。

向かって左は、今から15年くらい前に購入したもの。
白木に水色、白、黒で着色し、くりぬいた足の部分におみくじを挟んでいます。
非常にシンプルな一刀彫です。
目をよく見ると、細い黒い筋が目から2ミリくらい飛び出しています。
両側にあるので、わざわざこの線を入れています。
ほんの一筋で目に表情が加わります。

今でもあるかと探してみると、現代の鳩みくじは、ぷっくりした白鳩となり
羽は金の装飾が施され、ずいぶんデラックスなものに変身していました。
参拝客が多くなり撮影される機会が増えたのか、しっかりカメラ目線です。
  京阪電車のHPから転載
 
向かって右は、かなり古いものです。
少なくとも明治時代くらいには遡れそうです。
できた当時は彫りもくっきりとしていたでしょうが、使われているうちに摩滅して、
今では羽の線だけを残すのみとなりました。
しかし腹の部分には、画面では見えないアングルですが、
しっかりと「男山」の印が刻まれています。
現在のように足におみくじは挟んでいませんが、ひっくり返すと紐を通す穴が
二つついているので、今で言うキーホルダーの飾りの感覚で使っていたと思われます。
広がった胴体の丸みが、境内に集う実物の鳩を思い起こさせてくれます。
5cmにも満たない小さな木彫ですが、長生きした分、存在感があります。

多くの寺社仏閣でいろいろな動物が、人々が親しみやすいお使いとして
がんばっています。
土産物一つをとっても、時代によりずいぶんデザインが変わります。
その当時の人々の好みが反映され、ちょっと見るだけでもずいぶん楽しいものです。
大事に扱っていると、それだけお使いも長生きしてくれるような気がします。











改めてこんにちは

2020年05月29日 | 日記
思いもよらない疫病の発生で生活が大きく変わった方が多いのではないでしょうか。
私どもも卸業を中心としておりましたが、これから予想される荒波を乗り切っていくために、小売業にも乗り出していくことにしました。

陶器を扱うようになってほぼ45年。たくさんの陶器を扱ってきましたが、次から次に新しいものが出てきて、決して飽きることがありません。ただ、自分の好きなものと時代の流れに沿ったものとが必ずしも一致するわけではないところがつらいところです。

これから今まで体験したことのない局面に社会全体が差し掛かります。不安はたくさんあります。こんな時に思い出すのが、敗戦後に再び制作をはじめた先人たちの作品です。
見出しの作品は昭和30年の河井寛次郎の作品です。練上(ねりあげ)という色の違う土を重ねて模様を出す技法です。現代は土を着色して重ねるカラフルなものが主流ですが、この頃はまだ着色料を使う技法はありません。組成分の違う土を重ねるので、焼成中に土の境目がひずみを起こして、すき間が空いてしまうおそれがありました。土の層を薄くすれば失敗しにくいのですが、河井寛次郎はあえて土の層を厚くして、作りにくいものにあえて挑戦します。たくさんの失敗作を経て、上記のような隆々とした完成作が生み出されました。

国が敗れても、人は立ち上がり、また前に歩き続けます。
より良いものを作ろうとする気持ちが原動力です。
無いところから有るを生み出す河井寛次郎の力の大きさには本当に感動します。
その大きさゆえに没後50年以上を経ても、愛好家の熱が冷めることはありません。

河井寛次郎 練上扁壷 高さ20cm