●日時 2009年4月2日 10:00~11:00
●場所 名古屋駅 カフェ マカロニ
●インタビュアー 水谷 翔 (起業家育成塾)
●浜崎裕吏(はまざき ひろさと)さん プロフィール
大阪府出身。
名古屋工業大学工学部機械学科4年(夜間部)。
大学では大学祭の実行委員長を務められ、
ゴミ箱コンテストの開催を始め、様々なイベントや
企画を運営する。現在はロボット分野での教授を
目指し、教授の秘書として教授職を学んだり、
学外の活動にも精力的に参加している。
今回の学生インタビューでは、名古屋工業大学の浜崎裕吏さん
にお話を伺いました。大学祭の実行委員長をされた時のこエピ
ソードや将来についてのお話を中心にお聞きしました。
◆将来の夢は何ですか?
夢は社会に貢献できる教授になることです。
◆どんな分野の教授ですか?
ロボット研究の分野の教授になりたいと思っています。ロボット研究
といっても多岐に渡り、進むべき方向として明確になっていない部分
もありますが、これから大学などで学んでいく過程で、決めていき
たいです。
◆教授になりたいと思ったきっかけは何ですか?
一番大きな影響を受けた方は、名古屋工業大学の藤本教授です。
以前、一緒に企画をさせていただいたのですが、藤本教授は日本でも
有数の100人規模の研究室を運営されていたり、世界的な技術開発
の権威として活躍されていることを知りました。技術開発の成功事例も
失敗事例もデータベース化して公表されており、社会に対して働き
かけていく面でも多くの影響を受けました。
◆これからの進路はどのように考えられているのですか?
一時期、米国などの大学院に進学しようかと考えていましたが、
名古屋工業大学はロボット研究の分野では、世界的に見てもパイオ
ニア的な存在であり、高いレベルの研究を行っています。なので、
今後は、名古屋工業大学の大学院に進もうと考えています。
大学院では、企業的な立場で研究に参加したり、国の研究という
視点の勉強もしたいと思っています。大学にいるうちに様々な面を
知り、視野を広げたいと思っています。
◆現在力を入れられていることは何ですか?
先日、国連地域開発センターが主催するイベントに参加してきました。
地球温暖化についてワークショップを行い解決策をプレゼンするという
内容でした。参加者は、全国から20歳から35歳までの方々が15人
集まりました。大学の掲示板にイベントの告知のポスターが貼って
あり、興味を持ち参加を決めました。
大学生も何人か参加しており、頑張っている学生さんと繋がることが
でき、とても楽しかったです。また応募した参加者とは別に、
名古屋大学の教授の方や新聞社の方、ノーベル賞を受賞されている
方なども参加されており、錚々たる方々も参加されていて、多くの
刺激を受けました。
その他には、名古屋工業大学の大里齋教授の秘書や研究のお手伝い
をさせていただき教授の仕事について学んでいます。また、個人的に
経済についての学びを得たいと思い、株式の仕組みや投資について、
勉強しています。
生活面では、ゼロカーボンライフを心がけています。これは、生活の
中で二酸化炭素を出さないようにする試みです。身近なことで言えば、
エレベーターを使わないことや移動はなるべく自転車にしたり、
部屋では観葉植物を育てています。こういった小さいことをコツコツ
積み重ねていく中で、最近よく言われている「持続可能な社会への
生活」のヒントを掴みたいと思っています。
◆名古屋工業大学の夜間部に入学しようと思ったきっかけ何ですか?
当時、浪人したのにセンター試験が本当に酷くて正直絶望的でした
(苦笑)。第一志望には届かないので、二次試験で挽回できそうな
夜間部がある大学、ということで名古屋工業大学を受験しました。
また、夜間部の方が昼間の大学より面白い、とどこかで聞いていたこと
もありましたし、学費の面で昼間よりや夜間の方が安く、親に迷惑を
かけたくなかった思いもありました。
出身が大阪で、地元が好きでしたが、違う地域に行き違った視点で
大阪を見たいと思いました。名古屋は緑が多い環境都市という印象が
強かったことと世界のトヨタもあるので、名古屋に来ることを決めました。
◆大学に入学されてからの活動を教えてください
入学してすぐに委員会に入ることになっていました。委員会は3つあり、
私はそのうちに大学祭の実行委員に入りました。大学祭は、前期と
後期に分かれており、後期の大学祭の実行委員長を大学2年生の
時にさせていただきました。
大学祭は、それまで昼間と夜間の生徒が別々に行っていて、二部に
分かれていました。せっかく大学祭をやるんだったら、それを何とか
統合できないかと考えました。統合を行う際は、正直周囲からの反発
も少なからずありましたが、多くの方々の助けがあったお陰で最終的に
統合することができました。活動を通じて、本当にたくさんの学びが
ありました。
◆大学祭の運営の中で一番印象に残っていることは何ですか?
大学祭をより良くするために「大学祭のCSR作り」という視点から藤本
教授と連携させていただいたことです。藤本教授は堀川エコロボット
コンテストという企画を開催されています。ある時に、大学祭のために
藤本教授にものづくり教室のようなイベントを開催してください、とお願い
にいきました。すると教授は、「せっかくだから一緒に何か面白い企画
をやろう」と言ってくださったんです。
6月に大学祭があり、8月が堀川エコロボットコンテストの開催月でした。
「奇抜で連続性のある企画をやって欲しい」と藤本教授から言われて
いたので、そのためにたくさんのアイデアを募集しました。募集の結果、
決定したアイデアは、ゴミ箱作りとコンテストの開催でした。内容は、
大学祭への参加者や参加団体がゴミ箱を作り、大学祭に来たお客さんが
好きなゴミ箱にゴミを捨て、ゴミの量が多いところがゴミ箱コンテストの
優勝というものでした。
この企画は、結構評判が良く、堀川エコロボットコンテストでも、この
アイデアを取り入れていただきました。
◆浜崎さんにとって働くこととは何ですか?
少し大げさな言い方かもしれませんが、働くことは人のために動くこと
だと思います。他人のために行動できる人は、やはり良い評価がされる
のではないかと思います。評価するのは、他人であり、決して自分では
ないと思います。教授は、まさに、人と人の媒体にある職業だと思います。
◆働くことに関して影響を受けたことはありますか?
以前、土木コンサルタント企業でアルバイトとして働いていたことがあり
ます。ある時、その会社の部長さんに呼ばれて、こう言われました。
「今月いっぱいでやめてもらえるかな。仕事は人のためにやらないと
評価されないよ」と。正直、今思うと恥ずかしくてたまらないことですが、
私は仕事に対して少し手を抜いていました。
この言葉を言われるまで、自分にはそういった視点が無く、この言葉の
お陰で、何事に対しても、その背後にある意味や人について考える
ことができるようになりました。当時の自分にとっては、ものすごく
大きな衝撃を受けた言葉でした。
◆その他に影響を受けたことはありますか?
大学の企画やイベント、大学祭などを通じてとても多くの方々とお会い
しますが、深く自己分析してみると、父からの影響が最も大きいと思い
ます。父は自営業で、葬式会場にあるモリカゴというお供え物を作って
おり、そのため365日毎日働いています。冬場は手がボロボロになって
います。それにも関わらず家族のために働いている姿を見ると、何とも
言えない気持ちになります。父は口数の多い方では無く、あまり話し
ませんが、父の後姿には強い憧れを持っています。この気持ちは
将来も忘れないようにしたいです。
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
私は夢が見つかること自体が素晴らしいことだと思います。自分は
幸運にも見つかりました。だからこそ、まだ夢を見つけられずにいる
人たちにも、夢を持てるように働きかけたい、一緒に頑張りましょう、
と言いたいです。何か力になれることがあれば、ぜひ力になりたい
です。そんな時はすぐに連絡ください(笑)。よろしくお願いします。
◆お忙しい中、インタビューにお答えいただきありがとうございました
*****************************
ご紹介者様へ
名古屋工業大学の浜崎さんをご紹介いただいた
名古屋工業大学の川角真一さんには、この場を
お借りしてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
起業家育成塾長
*****************************
浜崎さんはとても情熱的な思いをお持ちであると同時に、
純粋に一歩づつ夢に向って進まれている印象を持ちました。
浜崎さんは理系の方なので、インタビューを通じて、文系の
私とは違った視点で考えられていること感じ、大変勉強に
なりました。これからもロボット分野の研究に向けて頑張って
ください。飛躍を願っております。ありがとうございました。
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
*****************************
●日時 2009年3月23日 16:30~17:00
●場所 ドトールコーヒー 本山店
●インタビュアー 水谷 翔 (起業家育成塾)
●根本逸平(ねもと いっぺい)さん プロフィール
名古屋大学情報文化学部4年。
高校生の時に趣味で始めたデザインや
映像制作の経験を生かして、在学中に
WEBコンテンツの制作会社に勤務する。
また、名古屋大学の情報メディア教育
センターで働き様々なプロジェクトに参加。
2009年4月より大手広告代理店に就職する。
今回の学生インタビューでは、大学の情報メディア機関で
働いたり、WEBコンテンツ制作の会社に勤務し活動の幅を
広げられてきた名古屋大学の根本逸平さんにインタビューを
させていただきました。
◆将来の夢について聞かせてください
そう大それたことでは無いですが、自分が得意な技術を生かして
人を感動させるものを作りたいと思っています。どのような表現や
方法で人は感動し、動くのかという視点を追求していきたいと
思っています。
高校生の頃から趣味として映像や紙媒体のデザインを行ってきま
した。大学ではそれらを生かして会社というフィールドで仕事として
させていただき、多くのことを勉強させていただきました。そして、
大手広告代理店の会社に内定をいただいたので、今後の自分の
思いとしては、会社で働くことを通じて、自分のスキルを磨いたり、
より高い技術を身につけていきたいと思っています。
◆今までどのようなことをされてきたのですか?
大学の先輩が創業されたWEBデザインの企画や制作を行う会社に
勤務していました。私が主にさせていただいていたことは、クライ
アント会社さんのWEBサイトを作りたいというご要望に対して、
企画や制作、デザインのご提案などでした。
会社で勤務させていただくことになったきっかけは、この会社で働い
ていた友人から声をかけてもらったことです。もう2年ほど前になり
ますが、自分の得意分野を生かせる場で働けることになり、とても
良い経験をさせていただきました。
大学では、マルチメディアを使って学内の情報配信を行っている
情報メディア教育センターというところで映像を作る仕事も行って
きました。名古屋大学の教授や研究者にインタビューをさせていた
だくことで、大学の広報に関するお手伝いをさせていただいたり、
教授の研究を動画で配信するお手伝いをさせていただきました。
普段の学生生活ではお会いすることのできない方々と接する
機会に恵まれ、貴重な体験をすることができました。
また情報メディア教育センターの取り組みに関連して、産学官が
連携して商店街を活性化させるプロジェクトにも参加しました。
このプロジェクトには情報工学の専門家の方やNPOを運営されて
いる方、商店街の方なども参加され、幅広い分野の方々と一緒に
お仕事をさせていただきました。また、総務省に対してのプレゼン
資料を作らせていただき、良い経験となりました。
◆映像やデザインの制作を行うようになったきっかけは何ですか?
高校1年生の時にパソコンを買い触るようになったことが原点だと
思います。最初はインターネットに夢中になりました。それから、
パソコンを使ってデザインをしたり映像を作ったり、WEBサイトを
作ったりすることに興味を持ち出して始めたことが今の活動に
繋がっていると思います。
高校の学校行事で、オープニングの映像を作ることになりました。
その時にFlashというソフトを使って自分でPVを作り、その映像を
講堂の大画面に流しました。その際、1000人近いお客さんから
ダイレクトな反応をもらい、これが本当に嬉しかったですね。
この時から映像を通じて、人に何かしらのメッセージを伝えたり、
感動してもらうことの楽しさを知りました。人を楽しませることが
でき、自分も満足することができるという。
自分の持っている技術、自分にしかできない技術でイベントや
企画の演出をバックアップすることが好きですね。ライブハウスや
クラブで自分が制作した映像が流れた時に、会場やお客さんが
盛り上がる姿を見ることが楽しいです。裏方的な感じがいいん
です(笑)。
◆楽しかったことや辛かったことは何ですか?
楽しかったことというか嬉しかったことは、WEBの会社で働いて
いてまだ学生にも関わらず自分のアイデアや企画が通り実践させて
もらったことですね。会社を辞める時にお得意さんから「残念だ」と
言われましたが、仕事を通じて信頼関係が築けたことがとても
嬉しかったです。
辛かったことは、自分のスキル不足ということもあると思いますが、
人に仕事をふったり、教えたりすることが苦手で、後輩や次の世代の
人達を育てることに苦労しました。人に何かを教えることは本当に
難しいと思いました。これから大きな組織で働くことを考えると、どの
ようにこの問題をクリアしていくかが大きな課題だと思っています。
◆専門学校などに行かず大学に進学された理由はありましたか?
そうですね、4年制大学を卒業していないと先々にできないことが
あるのではないかという思いはありました。美大や芸大を考えて
いた時期もありましたが、特に専門的な勉強をしていたわけでも
無く、最終的に名古屋大学に入学することにしました。
情報文化学部は小さい学部ということもあり、何かアクションを
起こすと注目されました。大学では自分の活動をいろんな面から
支援していただき、挑戦したいことや目標の可能性を伸ばして
いただき、とてもありがたかったです。
◆就職活動はどのようにされましたか?
就活を受ける業界は最初からテレビ業界か広告業界に絞って
いました。行きたい業界があらかじめ決まっていたこともあり、
自分のペースで行うことができたと思いますが、インターン中に
出会った人が先に自分が行きたい会社の内定をもらっていて
羨ましいと思ったことはありました(笑)。
紆余曲折ののち、私も運良く3月にテレビ局、5月に広告代理店に
内定をいただくことができました。自分の今までやってきたことを
生かせ、また就職したいと思っていた会社だったので、内定が
決まった時は本当に嬉しかったです。
◆将来は起業や独立は考えられていますか?
起業ありきではありませんが、働く中で、実力が付き、人から
自分が求められるようになったら独立という選択肢を場合に
よっては取るかもしれません。これから働かせていただく会社の
事業と自分のやりたいことが非常に合致していると思っている
ので、働きながら専門性や得意な分野を伸ばしていきたいです。
ただ、ずっと同じ会社で働くとしても常に新しい可能性を考えて
いけるような人材になっていきたいとは思っています。
◆影響のあったことは何ですか?
最近、久しぶりに会った高校時代の友人から「本当に真剣に
やっていない人の言葉は何を言っても薄っぺらい」という言葉を
聞いた時は衝撃を受けました。普段はフランクに話したり、わいわい
したりしたりする友人達ですが、仕事の話になると、それぞれが
とても真剣になれるところがいいと思います。それぞれ大学も
違えば専攻も違い、今後の進路もばらばらですが、会うたびに
何かしらの刺激をもらえます。高校の時に、尊敬できる友人が
何人もできました。多感な時期に(今でも多感だと思いたいですが)
様々なバックグラウンドを持つ友人らと過ごせたことが今でも
大きな財産になっています。
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
まだまだそんなことを言える立場ではないと思いますが、私が
大切にしてる言葉や考え方があります。人からの受け売りの
部分も多いですが、短期的であれ、長期的であれ、今自分に
足りていないことは何かを分析し、冷静さと情熱を持って一つ一つ
やっていくことが大事だと思います。
例えば就活なら、面接を受ける前に、その会社はどんな人材を
求めていて、どんな事業をこれから目指すのか、ということを
あらかじめ調べ、面接に挑むことが大切だと思います。唯一の
正解は無いと思いますが、自分なりの仮説を立てておく姿勢が
重要かなと思います。
機会は平等にあると思うので、後悔しないように精一杯頑張って
いけば良いのではないかと思います。生きていればいいことは
たくさんあると思うので、失敗を恐れず、気負いしすぎないでやる
ことが一番大事なのかと思います。そう思えば夢や目標に
対して前向きになれるのではないでしょうか。
◆お忙しいところお話を聞かせていただきありがとうございました
*****************************
ご紹介者様へ
根本さんをご紹介いただいた名古屋大学の多賀千夏さんに
この場をお借りしてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
起業家育成塾 三潴 克彦(みつまかつひこ)
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大学生活で様々な活動に取り組まれた根本さんからは、将来を
見据えながらも、現実的で、着実に進まれている印象を受けました。
根本さんがおっしゃってくださった冷静さと情熱の両輪を持って進む
というお話はとても大切なことだと思いました。お忙しい中にも関わら
ずインタビューにお答えいただきありがとうございました。今後の
飛躍を願っております。
記事作成 水谷 翔(起業家育成塾)
*****************************
夢に向かって頑張る学生をご紹介させていただきます。
今回はモーターサイクルカルチャーという分野での起業を
志す滝川史也さんにインタビュー形式の記事を投稿して
いただきました。
●滝川史也さん プロフィール
愛知県弥富市生まれ。南山大学経済学部4年。
小さい頃から父の仕事の影響で自動車、バイクに
接した環境で育ち、高校生の時に起業を意識し出す。
大学3年生の頃に販売の仕事でトップの成績を取り、
現在はアメカジの専門店で働く。
◆将来の夢とそれに向かって実行していること
私が今1番興味があることは、モーターサイクルカルチャー
という分野です。その分野のファッション性にとても惹かれて
います。
私は将来は「バイクを使った新しいライフスタイルの提案」
をしていきたいと思っています。私はバイクが主体ではなく、
あくまで「人間が主役」でバイクはファッションの一部と
考えています。
バイクとライフスタイルの関係を考え、まずは4年以内にアパ
レル系のブランドの立ち上げを考えています。一番最初はアパ
レル関係からの展開を目指して活動しています。
今は、お店を出すことを視野に入れアメカジの服の専門店で
働いています。このお店はセレクトショップで国内のトップの
アメカジブランドを扱ってあり、大変勉強になります。接客や
マーケティングの面などなど学ぶことがたくさんありますし、
雑用などからも大きな気づきを得ています。
また、一点ものの服についてのエピソードなどを調べたり、
アメカジの業界で詳しい方にお話を聞かせていただいたり
しています。様々なジャンルの店に自分で足を運び、調査する
ことも欠かさず行っています。
数年後には留学を考えています。バイク、アパレルの世界
の勉強は日本に留まらず、自分がお店を始めるまでに、世界で
活躍させている方々に直接お話を聞き、勉強しようと思って
います。
◆それを始めたきっかけ
私はバイクの種類が同じもの同士で集まって何かをしたり、
ミーティングをするということに関して疑問を感じていました。
また、バイクはカスタムやペイント、乗る人の格好などで
全く別物になり、バイクを乗る時に決まった格好スタイルは
ないと考えています。
世間の人から見たらおかしな格好をして乗ってもいいと思います。
それは、それら全てが揃って初めて一つのアートが出来上がると
考えているからです。
現実にそんな自由な表現の場の世界があればいいな、と
ずっと思って来ました。そして、私が考えているビジネスは
アパレル、Cafe、customshop、雑誌社などと併用したバイクを
使った新しいライフスタイルの提案を考えています。
◆楽しかったこと・辛かったこと
大学3年生の時に、アメカジの服を購入することと販売の力を
つけるためにネット販売の仕事をしていました。最初は全く
買ってもらえず、成績は最下位に近かったです。
しかし、仕事が終わると「どこがいけなかったのか?」「どうす
れば良かったのか?」という反省を欠かさず行いました。
そのお陰で、最終的には成績がトップクラスになり、大学生の
アルバイトの平均収入の何倍も得るようになりました。
その収入で、アメカジの貴重な服を購入し、手触りや着心地を
確かめ、様々な気づきとそれを求めている人の気持ちなどを
考えたり、研究しています。
最近は沢山の女性バイカーが増えてきて、今や女性専門の中型
以上のバイク雑誌も頻繁に目にする時代になりました。また、
原付きやスクーターに乗る女性はもっと沢山います。
自分が将来目指す分野に多くの人の関心、興味が向いてきて
いるので、それが嬉しいことです。
辛かったことは、自分の将来ビジョンを他の人たちに話した
時に、反応が薄く、あまり相手にしてもらえなかった時です。
「君のやろうとしていることは難しい」と否定的なことを
たくさん言われ、とてもショックでした。
しかし、自分の思いを持って行動していると、自分と同じよう
に頑張っている人たちに出会うきっかけもありました。
そういう時はとても嬉しいです。
◆起業、就職活動、社会人、働くことについて
リクルートスーツを着ての就職活動は今のところ考えて
いません。
まずは、先ほども書きましたが、4年以内に自分のお店を
出すために、今仕事をさせてもらっているアメカジの店で
勉強し、その後は状況に応じて行動していきたいと思います。
◆自分にもっとも影響があったこと
私に最も影響を与えてくれた存在は父親でした。
父は自動車、バイクに関する自営業を営み、私は小さい頃から
それらに親しみを持って育ちました。
父のお陰で、小さい頃から自分が好きなことを見つけ、
中学生、高校生の時もずっとそのことを考え、将来のビジョンを
大きくしてきました。
また、村上隆さんや岡本太郎さんの書籍から、アートの世界や
アートの分野での起業について大変多くの気づきと、発見を
与えてもらいました。
アパレル関係について、私が目指す専門的な分野とは違う
ユニクロやしまむらのような大衆向けの大手企業の事業展開を
調べたり、実際にそれらの店舗に足を運んでみると多くの
気づきがあり、とても勉強になります。
◆夢や目標に向かって頑張っている人達お願いします
一緒に夢を語り合いましょう!言葉や文章にするとやる気や
行動力が生まれると思います。
言葉にして話して行かないと、夢を描くまま終わってしまう
と思います。
◆お忙しい中、原稿の投稿をいただきありがとうございました
****************************
モーターサイクルカルチャーという分野で起業を考えて
いる滝川さんとはいつも将来のビジョンや夢の話に自然と
なります。
そんな時の滝川さんの目はとても輝き、自分の考えている
分野のことを心から好きなんだなぁ、と感じます。
また、オリジナルと個性をとても大切にしている印象を
受けます。「人と違うことをしたい」が滝川さんがいつも
口にする言葉で、私はその言葉からとても多くのことを
学ばせてもらっています。
今後の飛躍を願っています。
記事のご投稿をありがとうございました。
記事編集 水谷 翔 (起業家育成塾)
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夢に向かって頑張る学生をご紹介させていただきます。
今回は愛知を中心に活動するバスケットボールチーム
「Link and Ring」の代表を務める林大樹さんに、
インタビュー形式の記事を投稿していただきました。
●林大樹さん プロフィール
名古屋工業大学大学院2年生。
愛知県を中心に活動するバスケット
ボールチーム「Link and Ring」代表。
また、バスケットボールの社会人
アマチュアリーグを主催する
リーガ東海の副代表も務める。
●Link and Ringについての詳細は こちら
Link and Ringで大会を開催した時の様子。
参加者は学生、社会人を含め150人ほど。
◆将来の夢とそれに向かって実行していること
私は現在、愛知県名古屋市と尾張地区を中心に
「Link and Ring」というバスケットボール活動を行う団体の
代表をしています。設立は2006年10月13日です。
定期的に大会を開催していまして、参加者は多い時で
150人以上の時もあります。
また、200人規模のバスケットボール3on3の大会を
主催する団体の代表と尾張地区にて、1200人規模の
バスケットボールの社会人アマチュアリーグの副代表を
させていただいています。
また、過去の活動実績として、バスケットボールの
活動以外にも、愛知県知事選のコアスタッフや、
企業、市、大学、NPOなどとのプロジェクトも
数十回行いました。
将来の夢は?と聞かれると非常に難しい面があるのですが、
1.バスケットボールが本質的な部分で普及すること。
2.バスケットボールを通して、世代や地域を越えた
「居場所」と「きっかけ」を創造すること。
以上の2点に主に集約されると思います。
◆現在、最も力を入れていること
スタッフ集め・育成と、収益性をもつ事業の立ち上げに
最近、力を入れています。しかし、周囲のニーズや認知度
の拡大に伴い、任意団体、ボランティア団体としての
体制に限界を感じています。
ですので、本質を見失わずに収益性の獲得、その事業に
対して責任を持ちながら活動の出来るスタッフの育成に、
今は最も力を入れています。
◆それを始めたきっかけ
この活動を始めたきっかけは、大学3年生の就職活動を
行った際に非常に悩み、憤りを感じたからです。
具体的には、
1.「今まで見てきた世界」と「社会」とのギャップを感じたこと。
2.自身の幸福論、描きたいキャリアを真剣に考えたこと。
上記した2点を埋めるためには、自分で動き、責任を
伴いながら創り上げていく過程で、その「社会」との
ギャップを埋め、自分の志向性を確かめていく事が
必要なのではないかと考えました。
そして、そのアプローチとして、スポーツという誰し
もが持ちうる接点で、低い敷居から関わり、ひとつの
ものを創る過程の中で責任や、大変さ、何より楽しさを
実感することにより、興味のあること対してチャレンジ
していく姿勢を養うことができるのではないかと考えた
のが、きっかけです。
また、この想いは「居場所ときっかけの創造」という
理念に組み込まれています。
「居場所」とは居心地のよさはもちろん、様々な立場に
よる様々な価値観の共有、挑戦を良しとする風土を醸し
だし、学校や、職場では成し遂げられない場所となる
ことを指します。
「きっかけ」とは、目指したいと思えるモデルを
創造すること。そして、具体的な次のステップを明示し、
実際に動きだすためのきっかけとなることです。
私は、バスケットボールを通して、これらの想いが
達成されればと思います。
◆楽しかったこと・辛かったこと
まず、楽しかったことから述べてたいと思います。
楽しかったことは、主に3点あります。
1.メンバーの行動の「きっかけ」になれたと実感できたとき。
2.参加者の中に確かな「価値」を見いだせたと実感できたとき。
3.周囲の方から、期待され、助けをいただいたとき。
1だけ取り上げ、エピソードを2つ紹介したいと思います。
私の団体のデザイン担当は、当初大学のレポート用紙の隅に
好きな絵を描くだけの普通の大学生でした。その学生を私が
引っ張ってきてとあるイベント会場で絵を描かせました。
その際に、彼は生まれて初めて「人に見せる絵」、「人から
頼まれて書く絵」と遭遇し、たじろぎながらも、楽しんだ様子
でした。
そのイベントが終わってからこのメンバーから、
「今日は本当にありがとうございました。」
「もっと絵が描きたいです。もっと上手くなりたいです。」
という言葉を貰いました。
また、スポーツに興味があるメンバーは、自らテレアポをし、
某野球球団のインターンに応募し、面接を合格し、インターン
を行って来ました。
そのメンバーが言ってくれた言葉が、
「私が行動できたのも、実は全部この団体のおかげなんです。」
「この団体で、いろんな人にあって、自分もやらなきゃって
思ったんです。」というものでした。
このとき、自身の活動に対する絶対的なエビテンスを実感し、
とても嬉しく思えた瞬間です。
辛かったことは、主に、
1.学校との掛け持ちについて。
2.活動価値の評価基準の曖昧さ、実益のなさ。
3.周囲からの批判。協力者の希少性。
の3点です。
1については学校との両立が辛かったことです。
イベントをやるのに、「テスト前」といった言い訳は通用せず、
時間の配分に苦労しました。
2について辛かった点は、活動に対しての物理的報酬、
(つまり、金銭的報酬)は皆無であり、この活動において
得られるものが、人とのつながりと、自身の経験のみという
ということです。
特に、形になっていなかったときは、その活動の有意性を
どこに帰属すればいいのか分からず、辛かったのを
覚えています。
3は周りからの批判と非協力的な態度です。評論家はどこに
でもいるもので、
「そんなことできない。」
「やっても無駄。」
「そこがだめだ。」
という3拍子を耳にタコができるほど聞きました。
これも、上記した嬉しかったことを実感するまでは、
自分自身疑問に思っている部分でもあり、受けてて
辛かったのを思い出します。
あと「なんでも手伝うから」といってくれた仲間も実際に
想いや行動を共にすることがほとんど無かったことです。
このときに、「動いてもらう」ことの難しさ、尊さを
知りました。
◆起業、就職活動、社会人、働くことについて
私は自分が幸せになるために働ければいいと思います。
ただ、自分の幸せに行き着くまでにどれだけたくさんの
人達を、どれだけ深い水準で巻き込んでいけるかが
重要なんじゃないかと感じます。
仕事は何でも良くて、安定していて、人よりちょっと豊かな
生活できればいいという職業感も良いとは思います。
ただ、現実は厳しく、そんなことができるのは、
基本スペックが高く、情報処理能力を磨き続けてきた
本当に一部の人だけが得られる生活だと思います。
現実は、いろんな困難や葛藤やストレスがあり、
その部分を受け流しながら堪え、その対価として、
金銭的報酬をえるのが現実だと思います。
だったら、もっと精神的報酬にも着目して、
よりストレスの少ない仕事(脱却型願望)から、
未来のなりたい自分に近づける仕事(到達型願望)を
考える必要があるはずではないかと思います。
普段の仕事(枠組みの中の仕事)の月収が15万で、
サイドビジネス(自分の好きなこと)やって+5万という
ような生き方も有りだと思います。
そんなライフデザインも今後、うちの団体でできないかと、
うっすら考えています。
人の自己実現において、必要条件として、人がいることは
間違いないと思っています。どこかで人を感じながら働くこと、
そして、そこから「精神的報酬を得ること」が大事だと思います。
それは、私自身実践していきたいと思います。
◆自分に最も影響のあったこと(人・言葉)
私が強く影響をうけたのは、とある大学の研究室にお邪魔
した時の経験です。そこで、毎日何時間も仕事をし、学生で
創り出したものを某大手の企業を相手にプレゼンをして
いました。
その時「学生でもできるのだ。」と実感し、この経験がうち
の団体を創るきっかけになりました。
◆夢や目標に向かって頑張っている人たちに一言
私自身の好きな言葉なんですが、「自分を守ってあげら
れるのもかっこいい。」という言葉を贈りたいと思います。
自分の想いを持つと、周りからいろんな言葉を受けると
思います。けど、自分の意志を守ってあげてほしいと
思います。最後に決めるのは自分だと思います。
◆お忙しい中、原稿の投稿をいただきありがとうございました
****************************
今回、記事を書いてくださった林さんはいつも笑顔で、
周囲を巻き込んでいく方だという印象がありました。
しかし、活動が軌道に乗ってくるまでは、苦労や失敗、
挫折も多かったということでした。
そんな逆境にも屈することなく、続けられている姿勢は
とても素晴らしいことだと思います。
今回このように深いお話を聞かせていただけたことに
感謝いたします。
今後の飛躍を願っています。本当にありがとうございました。
記事編集 水谷 翔 (起業家育成塾)
****************************
●日時 2008年5月24日 10:00~11:00
●場所 名古屋駅 セントラルタワーズ スターバックス
●インタビュアー 水谷 翔 (起業家育成塾)
●大野佑馬さん プロフィール
名古屋の市内の中学、高校を経て、アメリカへ留学。
現在は、インディアナポリス大学4年生。ビジネスを
専攻し、将来の夢である途上国でのビジネス展開の
ため、ビジネスの場での同時通訳や翻訳業務などを
行ったり、数多くの途上国に足を運んでいる。
今回はアメリカのインディアナポリス大学でビジネスを
学び、途上国で起業を考えている大野佑馬さんに留学の
体験談や将来のビジョンを語っていただきました。
*上記の写真は大野さんがお手伝いをさせている(株)東洋
ライフサービスがカンボジアに井戸を作ったという時の写真。
◆現在最も力を入れていることは何ですか
将来、自分でビジネスをやりたいと思っていますので、今は
経営者の方々にお会いし、ビジネス面でのお話をお聞き
したり、様々な国に行き見聞を広めています。
ちょうど一年半ほど前にシンガポールに行ったのですが、
現地で素晴らしい出逢いがありました。東洋ライフサービス
という会社をされている奥野代表とお会いしたことです。
奥野代表は会社を通じてカンボジアに井戸を作られることを
されていたりと、代表の素晴らしい人柄に感動し、それ以降
多くのことをお手伝いさせていただき、学びの機会を与えて
いただきました。
具体的には自分のアメリカでの留学経験を生かして、奥野
代表の会社で、ビジネスミーティングの同時通訳や契約書の
翻訳などをさせていただきました。
奥野代表との出逢いにより、私の世界は広がり、多くのことを
学ばせていただきました。本当に感謝しています。
また、いろんな世界を見てみたい、様々な人に会いたいという
思いから、ここ一年ほどアジアの国々を中心に行きました。
シンガポールをはじめ、マレーシア、タイ、香港、マカオなどに
行きましたが、最も印象に残っていることは、これらの国々の
変化のスピードがすごく早いと感じたことです。
人も経済も建造物までも、あらゆるものは目まぐるしく動いて
いる印象を受けました。まさに「動」という字がふさわしい
国々でした。大きな衝撃を受けたと同時に、多くのことを
学ぶことができました。
本当に変化のスピードが早かったというマカオでの一枚。
◆ビジネスをやりたいと思ったきっかけは何だったのですか
なぜかはわからないのですが、小さい頃から就職して大企業で
働くというイメージが自分には無かったです。
父が自営業をしている影響があったのかもしれませんが、普通に
就職活動をして、働くということを考えていませんでした。
また、ここ一年半くらいの間に素晴らしい経営者の方々との
出逢いが多く、考え方や価値観に影響を受けたということも
大きな要因になると思います。
mixiなどのSNSを通じて出逢いのきっかけをいただいたり、
または、自分が行った場所で経営者の方々とお話をさせて
いただく中で、少しづつ思いが強くなっていったのではないかと
思います。
本当にすごいと思うのが、出逢いが出逢いを呼ぶというか、
一つ行動するといろんな世界が開いたという感じがしています。
それまでは漠然と、何かしたい、と頭の中で思っているだけで、
具体的に行動することはありませんでした。本を読んだり、
インターネットでビジネス関連の記事を読んだり、という
ぐらいでした。
◆なぜアメリカに留学をしようと思ったのですか
小さい頃から英語を話したいと思っていました。なんか英語を
話せるとカッコイイな、と単純に思っていたんです(笑)。
高校3年生の時に、いろいろ考えて、今がタイミングかなと
思い、アメリカの大学に進学を決めました。
英語を話したい思っていただけで、当時の自分の英語力はごく
平均的、行ってから相当、苦労しました(苦笑)。
大学での専攻はビジネスで、エコノミクスとファイナンスです。
当たり前と言えば、当たり前のことなのですが、海外の大学に
留学するということは、英語「を」学ぶのではなく、専門分野を
英語「で」学ぶわけですから、英語の勉強に加えて専門分野の
難しい用語や理論も全て英語ですから、行ってから本当に
大変でした。
最初の2年間ぐらいは、いろんなことに挑戦して、だんだんと
慣れて行きました。このぐらいの時はまだビジネスについて
深くは何も考えてなかったですね。
大学生活ではサッカー部に所属する大野さん。右側中央。
◆留学して最も勉強になったことは何ですか
留学をして最も勉強になったことは、自分から発言しないと
周りは何も反応してくれない、ということでした。
意見や考えを言葉で伝えないといけない、日本の沈黙という
文化が行って初めて体験として理解できました。
そういった意味も含め、アメリカに留学したことで日本を
外から見れる、ということも大きな収穫でした。文化、経済、
サービス、住居など、比較する対象が出来たので様々な
ことに気づきました。
また、アメリカの大学は学生は自分でローンなどを組んで
払っている人が多いと感じました。だから、大学で学ぶ
目的意識が明確になっている人が多く、授業中に寝ている
人もほとんどいません。
そして、アメリカの留学と様々な国々に行って思ったのは、
日本はある意味成熟している国という印象を受けました。
様々な見方があると思いますが、もし将来、日本で自分が望む
ライフスタイルを手に入れようと思うと、昇りエスカレーター
を全力で逆走しなければいけないような気がしました。
比較対象ができたことでいろんな見方、考え方を得ることが
できたと思っています。
◆起業、就職活動、働くことについてどう思いますか
一時期、大学を卒業してからの起業を考えていたのですが、
ある時に自分の甘さに気づかされました。
自分でビジネスプランをある程度構想して、すでに自らの
ビジネスで財を成している方にプランをお話させていただく
機会がありました。
でも、プロの目から見たら自分のプランなんで全然甘くて
自分が本当に無知だと思い知らされました。それからは
とにかく勉強するしかないと思いました。
働くことに関しては、自分の本当にやりたいことや自分の
得意分野などをもっと明確にしていきたいと思っています。
そして、自分が何のために働くのかという答えをしっかりと
探していきたいと思っています。
シンガポールでの出逢いを大切にし、今後に生かして
行きたい、と大野さんは話します。
◆将来の夢は何ですか
今はまだ漠然としている部分も多いのですが、途上国の
人たちに向けて、ビジネスチャンスを生める仕組みを
将来的には作りたいと思っています。
それが金銭的支援か人的支援かはまだわかりません。
それを行うためには、まず自分の経験と実績が無いと
話が始まりませんので、とにかくいろんなことに挑戦し、
勉強していきたいと思います。
◆夢に向かって頑張っている人達に一言お願いします
そんな大それたことを言える立場ではないですが、私の
経験上のことで、やはり行動することが大切だと思います。
頭の中だけで考えることは、本当に狭い世界になると思い
ます。ゴールが見えてくるのは行動してこそだと思います。
そして、目的をしっかり持って様々なことにチャレンジして
行けば、それが夢や目標に繋がっていくのではないかと
思います。
◆インタビューにお答えいただき、ありがとうございました
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大野さんのアメリカの留学体験や大学生についてのお話、
あるいは日本の学生が外から日本を見た場合の視点は
非常に多くの気づきを与えていただけました。
そして、様々な出逢いによって自らの世界が広がったと
話す大野さんのお話は聞いていてとても楽しくなりました。
出逢いを大切にされる大野さん、今後も起業に向けて
頑張っていていただきたい、と本当に思います。
インタビューお答えいただきありがとうございました。
今後の飛躍を願っています。
記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
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●日時 2008年4月21日 17:00~18:00
●場所 栄 アパホテル カフェ リエール
●「Hey,友-you-!」についての詳細は こちら
●インタビュアー 水谷 翔 (起業家育成塾)
●中村優さん プロフィール
岐阜県出身。南山大学法学部3年。
大学2年生の夏からカリフォルニアへ、
その後はスペインのサラマンカでの
留学経験を生かし、国際交流を目的とした
「Hey,友-you-!」を開催。
留学先で素晴らしい国際交流会に出会いました。日本でも気軽に
語学を実践的に学べる場を作りたいと思い「Hey,友-you-!」を
始めました。今回は主催者の中村優さんにお話を伺いました。
◆現在最も力を入れていることは何ですか
私は去年の9月から「Hey,-友-!」(以下、ヘイユー)という
会を開催しています。国際交流と語学を気軽に学べる場を作り
たいという思いのもとに始めました。毎週月曜日の20時から
栄のイングリッシュパブで行っています。参加者は毎回違い
ますが、日によっては20人以上になる日もあります。
海外での留学経験を生かして最初は一人で始めました。
まず、企画書を作りイングリッシュパブの店長さんに
「こういうことがやりたいんです!」と交渉を行いました。
お店の方々はとても良い方ばかりで、店内でヘイユーを
行うことを快諾してくださいました。
当初は初めての試みで不安も多かったのですが、回を重ねるごと
に協力してくれる人が増え、現在は3人で運営を行っています。
ただ話しているだけでは物足りないと思い、みんなでゲームを
行ったり、ある時にはテーマを決め、ディスカッションを
行いました。方法は外国人の人々には日本語で主張してもらい、
日本人の人々には外国語で主張してもらいました。楽しみながら
語学を学んでもらいたいと思ってそのように行いました。
現在は英語圏の参加者が多いので、今後はもっと多くの国の
人々にも来てもらいたいと思っています。
会を主催していて何よりも嬉しいことは、来てくれた人々が
「楽しかったよ!」と笑顔で言ってくれる時です。
今はまだまだ足りない部分も多いですが、もっと良くして
いけるように頑張って続けていきたいと思います。
「Hey,友-you-!」に参加してくれるメンバー達
◆「Hey,友!」を始めたきっかけは何だったのですか
大学の2年生の夏から1年休学し、留学しました。
最初はアメリカのカリフォルニアへ、その後はスペインの
サラマンカに行き語学を学びました。
語学留学でスペインに来ている日本人の人がたくさんいたの
ですが、日本人は日本人同士で集まっており、あまり
現地の人々と交流していないように見えました。
日本人の人々は謙虚な姿勢でしたが、どこか自分のことを
伝えきれていないのではないか、と思いました。
スペインに留学した時、私は全くスペイン語を話せません
でした。さらに友人も知人もいなかったのですが、現地の人々と
自然と交流したいと思い人が集まりそうなバーへ行きました。
その際に、様々な国々の人々が集まって交流している会に
参加する機会がありました。
そこでは様々な国の人々が自国の文化や考え方を持って
参加していました。私はこの会にとても刺激を受け、是非、
日本に帰ってきたらこのような国際交流ができる会を主催したいと
思いました。そして、帰国後にヘイユーを始めることにしました。
◆起業、就職活動、社会人、働くことに対してどう思っていますか
今は就職活動についていくつか迷っていることがあります。
「働く先に何があるのか」ということに対してまだまだ自分の
中で腑に落ちていない部分があります。
スペインにいた時にこんなことを言われました。
「日本人はどうしてそんなに働くの?」
私はこの言葉を聞いて、そもそも働くということはどういうこと
なんだろう、と考えるようになりました。自分の人生をよく
考えて、自分に最も合っている、楽しめる仕事につきたい、
そう思うようになりました。
それに加え、今興味を持っていることで、社会起業家と言われる
方々に興味があります。私はその方々の生き方に最も関心を
抱いています。
それは、その方々が自分の仕事に対して、強いやりがいと
思いを持たれていると感じましたし、なんといっても輝いている
ように見えたからです。
社会に出るまでの期間を生かして様々なことに触れながら、
この先も考えていきたいと思います。
◆自分に最も影響があったことは何ですか
両親の影響が強いと思います。両親は共に教育者なのですが、
私が小さい頃から自分がやりたいことをいつも支援してくれて
いました。私にとって最も信頼している存在が両親です。
自分が何かに挑戦する時も両親がいてくれたから、できたと
言っても過言ではないかもしれません。本当に心から尊敬して
います。
もう一つは、アメリカに留学し、ニューヨークのユースホステル
に泊まった時に体験したことです。ユースホステルとは、バック
パッカー専用の安宿のことです。
正直、綺麗とは言えない場所なのですが、世界各地から様々な
国籍と人種の人々が来ていて、とても衝撃を受けました。
私はそういった環境に行くまでは、自分の世界で物を考え、
それが正しいと思っているところがありました。
しかし、そこで出会った人々はとても自分の人生を真剣に考え、
今後どうしていきたいか、ということにしっかりした意見を
持っている人ばかりでした。様々な価値観と考え方に影響を
受け、それと同時に自分の未熟さを感じました。
その後、私は「自分が本当にやりたいことは何か」「自分が
どうなっていきたいのだろう」と今まで以上に真剣に考えるように
なったと思います。
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
私は自分のやりたいことや思いを言葉にすることが大切なのでは
ないかと思っています。
言葉にすることでモヤモヤと考えていたことが確固たるもの
になることがありますし、自分の思いに共感してくれ、
時には協力してもらえる機会に恵まれることがあるからです。
そういう瞬間は本当に嬉しいですし、支えてくれている
人達に感謝したいと思います。
私はまだまですが、皆さんも頑張ってください。
◆インタビューにお答えいただき、ありがとうございました
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今回インタビューに答えてくださった中村さんは、とても笑顔が
素敵な方でした。それは中村さんの前向きに頑張っている思いと
姿を物語っているようにも思えました。
留学やユースホステルでの体験談は海外生活を経験したことが
ない自分にとって、とても貴重なお話でした。
誰しも学生のうちに一度は留学を考えたことをあるのではないか、
と思いますが、実際行ってみて悩んだことやその時に思ったこと、
そして学んだことの実話からは多くのことを勉強させていただ
きました。
今後も多くのことにチャレンジして様々な経験を積み、夢を
叶えていっていただきたいと思いました。そして、中村さんが
今後取り組んでいきたいことや夢に少しでも力になれたら、
と思います。
インタビューお答えいただきありがとうございました。
インタビュー記事作成 水谷 翔 (起業家育成塾)
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●日時 2008年3月20日 14:00~15:00
●場所 愛知県立大学前 コメダ
●伊木ロドリゴさん/FERAについてのお問合せは こちら
●インタビュアー 水谷 翔 (未来研究会)
●伊木ロドリゴさん プロフィール
ブラジル出身。
愛知県立大学外国語学部英米学科3年。
高校時代は県高校英語弁論大会で優勝。
現在は学業の傍ら日本語教室FERAを主宰。
日本に来た当時はとても苦労した。でも、家族のお陰でどんな
時も諦めずにやってこれたから今の自分がある。学業の傍ら
日本語教室を主宰するロドリゴさんにお話を伺いました。
◆現在最も力を入れていることは何ですか
現在はFERA(フェーラ)というブラジル人向けの日本語教室を行って
います。教室の名前は私の両親と弟、私の名前の頭文字に由来して
います。基本的には私の弟と二人で運営を行っています。
生徒さんは総合で現在60人ほど来てもらっています。毎回の授業の
参加者は15名程度ですが、初級、中級、入門レベルを分けて行って
います。年齢の制限は無く、10代~60代の方まで参加してもらって
います。
私はFERAで力を入れていることは、日本語を実際の場で話せるよう
になってもらうことです。文法などの授業も行いますが、発音を
しっかりできるようになってもらえるように頑張っています。
もし発音がおかしい日本語を話しているとどうしても、周囲の人達
に伝わりづらく、やがて日常会話をすることに抵抗を覚える人達が
多いと思うからです。
そして授業のテキストなどを私達で作っています。電車などの移動
時間も常にノートを持ち歩き、気づいたことや自分が学んだ表現を
書き留めるようにしています。また、生徒さん達がヒントをくれる
こともあります。
実はFERA塾を行う前は日本語を教える家庭教師を行っていました。
それから、半年後に私の住む豊川市の体育館のミーティングルーム
を借りて、授業形式で行うようになりました。そして、2007年の
8月から豊川市の倉庫を改造して教室を作り現在に至ります。
最初はわからないことだらけで苦労も多かったのですが、父のアド
バイスや家族の支援のお陰でここまでやってくることができました。
本当に感謝しています。
◆日本語教室FERAを始めたきっかけは何だったのですか
私が日本に来たのはもう10年以上も前になります。日本語教室を
始めた時、父が日本語をほとんど話すことができませんでした。
私も当時は決して上手く話すことができた訳ではないのですが、
父の頑張る姿を見て、自分も頑張ろうと思いました。
また、高校1年生の時に愛知県が主催する文化事業でオーストラリア
のメルボルン州という場所に留学に行きました。その時に現地で電
話で通訳を行う仕事を見て、私も語学には非常に興味があったので、
自分も日本に帰ってきたら日本語を教えたいと思いました。
日本に来た当時、本当に苦労しました。周囲の反応や態度にまいり、
毎日辛い日々が続きました。でも、決して両親は甘やかさずに、
励ましてくれました。そういうこともあり、日本語の勉強を毎日
学校から帰ってくると、3時間以上は行っていました。
あの時は本当に辛かったですが、今はとても充実していますし、
毎日が楽しいです。もし、落ち込んだとしても、よし頑張ろう、と
前向きに進むことができるようになりました。
◆起業、就職活動、社会人、働くことに対してどう思っていますか
正直今は迷っています。現在やっている日本語教室を継続して行って
いくのか、あるいは一度就職して社会で働く経験を積むか、そして、
一旦はお金を貯めてからそのお金で事業をもう一度行うか。
今までやってきた蓄積もありますし、現在来てくれている生徒さん
達のこともあり、もう少し慎重に考えていきたいと思っています。
もし働くとするなら私の働きたい会社は自分のやりたいことを反映
してくれる会社に入って仕事をしたいと思います。
また、日本で働いているブラジル人の人達がもっと働きやすい環境
を作っていけるような仕事にも携わりたいと思っています。
ロドリゴさんと弟のアンドレさん
◆自分に最も影響があったことは何ですか
ブラジルにいた時にとても大変な時期がありました。毎日食べて
いくことすら困難な状況でした。しかし、そんな状況でも両親は
決して諦めることなく頑張っていました。
私は小さい頃より父の頑張る姿を見て育ちました。だから、私も
父のように前向きに頑張ろう、どんな辛いことがあっても乗り切
ろうという姿勢が身に付きました。
高校生の時に白血病にかかり7ヶ月入院しました。後で聞いたの
ですが、あともう一日診断が遅かったら死んでいたかもしれない
と言われました(苦笑)。
入院いた時に私は自分の人生について深く考えるようになりまし
た。そして、一日一日を真剣にどうしていけばいいのか、自分が
どうしたいのかを追求して考えるようになりました。
7ヶ月入院したことで高校生活は1年延長することになりました。
私は高校は普通科に通っていたのですが、入院した翌年に、英語
科が定員割れをしました。私は英語を勉強したいという意思を
先生に伝えたら英語科に幸運にも編入させてもらえました。
そして、英語科で英語を学び高校2年生の時に県高校英語弁論
大会に出場し、優勝することができました。その優勝のお陰で
私は大学に推薦で合格できました。
病気にかかったことで事態が良い方向へと急転していきました。
どんな力が働いているのかはわかりませんが、たくさんの出来事
が上手く重なり、今の状況になりました。
◆将来の夢について教えてください
将来の夢は外国人向けの大きな日本語教室を作りたいと思ってい
ます。校舎は3階建てで、食堂、教室、スポーツジムなどがあり、
日本語で話をし、注文を行い、施設の全ての場所で日本語の練習
ができる、そんな教室を開きたいと思っています。
また、お世話になっている両親に家を買ってあげたいと思ってい
ます。両親には生まれ故郷でゆっくり過ごしてほしいと思います。
◆夢や目標に向かって頑張っている人達に一言お願いします
私は入院した時に父から言われたとても大切にしている言葉が
あります。
「神様は我々が乗り越えられる試練しか与えない」
このように言われました。私はこの言葉のお陰で、病気や困難な
ことがあっても、その時々に思い出し、乗り越えてくることがで
きました。
またある時に高校時代の恩師であるサッカーのコーチの先生から
手紙をもらいました。すると驚いたことにその手紙には、父から
言われた同じ言葉がポルトガル語で書かれていました。
これには本当に驚きました。このような偶然が重なったこともあ
り、私はこの不思議な力を持った言葉を大切にしています。
皆さんも頑張ってください。
◆インタビューにお答えいただき、ありがとうございました
*****************************
笑顔で周りの雰囲気を和ませてくれたロドリゴさん。
その裏にはとても苦労された経験と誰にも負けないくらい勉強
したお話を聞かせてくださいました。
毎日真剣に過ごされる様子と現在取り組まれている日本語学校の
エピソードにはとても多くのことを学ばせていただきました。
私もロドリゴさんと同じく教育分野にとても関心があり、
たくさんの気づきと発見を与えていただきました。
ロドリゴさんが目指す夢のお力になれることができれば嬉しい、
本当にそう思いました。
今後も頑張って取り組んでいってください。応援しています。
インタビュー記事 水谷 翔 (未来研究会)
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●場所 SOHO 山京ビル
●インタビュアー 塾生 千田早紀
一部の人間が記事を作っていると言えます。
もらいたいため、最近では自分は極力アポを取りを、
●日時 2007年9月12日 16:30~17:00
大学のサークル活動もあるのですが、「豊川を活性化しよう!」
具体的には、“稲荷楽市”という商店街のみなさんがされている
しかし、これがなかなかうまくいかなくて…。
“人の心を動かすこと”が、今一番のネックになっています。
先週、その宣伝のためにチラシ配布をしたのですが、
ほとんど手にしてもらえず…。
冷たい目で見られたりと、やはりそういう時はへこみますね。
それから、紙面制作には門前街の方々に支援して
恥ずかしながら企業の方にも支援のお願いをしたのですが、
思ったようにはいきませんでした。
その地元で活動をするきっかけというのは何でしょう?
私の叔父が豊川稲荷の門前で和菓子を売っていましたが、
昔と比べて人通りが少なくなり、閑散としていて、
シャッター商店街になってしまっています。
それを前々から聞いていて、
「何か若者の手で活性化できたらな。」
と思ったのが始まりで、最初は一人で活動していました。
現在は五、六人で活動していますが、
そのメンバーも自分で集めました。
デザインから全てが自分たちの手作りです。
「失敗してもまずはやってみよう!」というのが
では、次に小林さんは京都の大学ですが、
京都でされているサークルについてお聞かせ下さい。
大学一年の秋に友人五人と立ち上げました。
最初は口コミ、そして、新入生歓迎会の時に
大学のサークルは豊川の活動とは違って、人が集まりやすく、
さらに馴染みやすいという点もあったと思います。
次の年の春には百五十人ほどのメンバーが集まりました。
といい、季節に応じたことをメインに活動しています。
例えば、春にはお花見、夏は海、といった感じです。
先日は、サブ企画として「夜のピクニック」という小説を
実際に再現しました。
十二時間かけて六十~七十人の学生が京都の南から北まで歩く。
このようなことを数え切れないほどしました。
大学内で鬼ごっこをしたり、
このような企画は、全てメンバーに提案してもらいます。
それを幹部で議論し実現していく、といった感じです。
そのような大勢のメンバーを集めるため、
どのような方法を行いましたか?
いろんなことを行いましたが、
最初にモチベーションの高いメンバーを集め、紹介してもらう。
そうすると志の高い人が集まるので、効果的でしたね。
0(ゼロ)から1を作るのは難しいと思いますが、
その1を持続させるのはもっと難しい。
二百人という人数が集まっても辞めていってしまう人が多いので、
そこをどのように食い止めるか、
より仲の良いメンバーで立ち上げたりしているんですが、
継続というのが難しいです。
とにかく、入った会社で一生懸命やっていこうと思っています。
どんな会社でも、入ってから楽しくなっていくのかな、
と考えています。
自分はリーダーになるような人間ではないのです。
ですので、先々の目標としては、
リーダーを支える日本一の裏方になりたいと思っています。
山本勘助や諸葛孔明のような
裏方に徹する人間になれたらいいなと思います。
二十一年間生きてこられて、最も影響を受けた人など
この塾のスクールを通してお会いした、塾長もそうですし、
最も… 一人というのは難しいですね…大学の友人もそうです。
今の自分があるのは大学の友人がいてくれたからです。
彼らが根底にいるから頑張れる、
どこへ行っても彼らがいてくれるから頑張れますね。
自分は今まで限られた社会の中でしか暮らしていなくて、
その視野を広げてくれたのが大学の友人であり、
起業家育成塾の水谷さんをはじめとする塾生の方々であります。
最近、京セラの稲盛和夫さんの「生き方」や「哲学」、
「アメーバ経営」に影響を受けました。
その友人との一番の思い出を教えていただけますか?
このサークルを立ち上げる時に、夜通し話しあったことですかね。
どうしたら人が集まるか、など。
立ち上げの時のリーダーであった柴田君という子がいるのですが、
彼は頑固で。どれだけ話しても譲らない頑固な方で(笑)
ずっと話合いをしていました。
でもその語り合いの中で、一生の友達になりましたし、
サークルを一緒に立ち上げたことで
彼と真剣に向き合うこともできました。
夢についてお聞かせください。
抽象的ではあるのですが、
地域を活性化させるコンサルタントのようなことができたら、
と考えています。
夢や目標に向かって頑張っている人に何か一言お願いします。
困りますね。(笑)
自分はまだそんな立場の人間ではありませんし、
頑張っている方々に言えるようなことはありませんが…
今、自分もこうして頑張っているので、
このインタビューを見て、頑張っている人がみえるのなら、
今を一生懸命頑張っていきましょう。
そして、将来どこかでお会いする機会があれば、
居酒屋でも行って、頑張ったことについて話しをしよう、
と伝えたいです。
最後に、小林さんの大好きな友人にメッセージをお願いします。
そうですね。
*****************************
大学サークル、そして地域の活性化と
様々な場面で活躍されている小林さん。
それにも関わらず、常に謙虚で、何より友人を大切とする姿勢は、
小林さんの人柄を物語っていました。
この小林さんの人柄は多くの人を惹きつけ、
インタビュー後、「自分自身を見直すいい機会になった」
と話してくださいました。
今後、さらに活躍されることを期待しています。
本当にありがとうございました。
塾生 千田早紀