趣味・・・までとは言えない美術館巡り
全くと言ってよいほど知識もないため
巡った美術館の更新も、なかなか手が出ないww
たまには書く? そんな気分になった誰も読んでいないであろうブログ~ フフフ
楽しんできたのは ボッティチェリとルネッサンス(フィレンツェの富と美)
と その前に今回は付き合ってくれる奇特な方が名乗り出てくれたので
2人でランチ 某ホテル52階 気がつくと2時間半もお食事を楽しんでいた。
いざ 出陣 どれだけ楽しませてくれるのであろうか ワクワク
ボッティチェリ 15世紀後半イタリアで活躍。聖母・女神を描き続けた。
ヴィーナス誕生はあまりにも有名ですよね(今回は展示されていませんけど)
まず目にとまった作品は 初期のころの「聖母子と二人の天使」
マリアの顔は丸顔で愛らしいが 内面の深さに至ってはいない姿に感じる
しかし 初期の時点で目力が他の画家とは違うような気がします
壁画幅5mを超える大作 「受胎告知」 30代半ばの作品ですね
この辺りから少女っぽいマリアから 少し大人っぽくなった気がします
今回 展示されていない絵が沢山ありますが
私が観たい絵の殆どが日本には来てもらえなかったようです 涙
余談ですが・・・・
マリアの夫を決める際にイスラエル中の寡夫の杖が集められたところ、
ヨセフの杖にだけ花が咲いたので、ヨセフがマリアの夫に決まったといわれています。
この伝承に従い、ヨセフは花を咲かせた杖あるいは枝とともに描かれることがあります。
イエスの実の父親ではないことを強調するためにも、
特にカトリックの伝統的図像学においてヨセフは
結婚当時14歳であった妻マリアよりもはるかに年上の老人として
表されることが多くあります。
ルネッサンス以前の中世時代
宗教画は人間性を持たせずに描くことが常識でした
「サンタ・トリンタの聖母子」を観るとなるほど~と思いますよね
人間は穢れた存在とされ 聖母の姿には神々しくなければならない
絵の中の人物は祈りの対象であり 個性や感情はむしろ排除すべきもの
ボッティチェリは 女性のイメージが聖母や聖女などの宗教的なものに
限られていた時代に 人間的な肉体を描くことで
新たな女性の美を表現しようとしたらしいです
ボッティチェリ 師匠の元を去り20代半ばで フィレンツェに自分の工房を構える。
そこで メディチ家との出会うのですね(パトロンです)
メディチ家の郊外の別荘では知識人の集まりを主催し
そこでボッティチェリは 人間の洞察を深めていくのであった
絵にも変化がおき 豊かな温かみのある表情を描くようになる。
そしてあのヴィーナスの誕生が生まれるのである(今回はないけど)
現代では 1人の画家が全て1人で描く。。。ことが普通ですが
当時は パトロン・まわりのインテリ達が
配置など(他)を話し合い作り上げていったので
ボッティチェリが1人で作り上げたのではないらしい
その様々な注文がありながら それ以上の作品を作り上げたボッティチェリ
なので次々に作品を依頼されたのでしょうね スバラシイ
フィレンツィのウフィツィ美術館に もう1つ代表作がありますね
春(プリマベーラ)
メディチ家の注文で 結婚祝いの品として描かれたヴィーナスです
薄い衣をまとい その表情は秘めたものを感じますね
まわりの神々も薄絹をまとってますが キリスト教徒の女性は
人前では裸にならないので この薄絹はぎりぎりだったと言われていますね
ボッティチェリの挑戦でしょうか。
このような美しい女性を描きながら ボッティチェリ 実は女性嫌いで一生独身
現実ではいないような描いた女性が「理想」だったのでしょうかね~
「パラスとケンタウロス」(展示されていません)
学問の女神パラスが 暴力と欲望の象徴とされるケンタウロスを押さえつける場面
知性が暴力を支配する。。。しかし女神の顔は勝利の顔ではなく
深い悲しみに満ちているように感じられるのはなぜでしょうか
この絵を依頼される前に 大事件がおこりましたよね
反メディチ家勢力が 大聖堂でロレンツォと その弟を暗殺する計画を実行
ロレンツォは難を逃れたが 弟は惨殺
助かったロレンツォは報復に出て 暗殺に関わった者達を捕らえ処刑したのだ
その様子をボッティチェリに壁画として描くように依頼したのです
(壁画は後に壊されたので 実際には観ることはできない 残念)
この過酷な体験をした後に描いた作品が パラスとケンタウロス
パラスの衣装に描かれている模様は メディチ家の紋章
メディチ家の勝利が含まれている作品なのに
パラスの瞳は 勝利にふさわしくない深い悲しみをたたえ遠くをみつめてる
ヴィーナスと同じように いろいろな「想い」がある作品なのかもしれません
その後 ロレンツォが亡くなり メディチ家は衰退し 町から追放されてしまう
絶対王政ではない時代なので「家」のつぶしあい
勃興しようとする「家」は とにかくつぶし自分が政権を握る 順番なのでしょうね
ボッティチェリは大きな支えがなくなり画風をかえて 絵を描き続けた
その後の政治の実権を握ったのは 修道士サヴォナローラ
メディチ家時代の芸術を非難し焼きはらった
ちなみに サヴォナローラ
彼の厳格な姿勢に対しては反対派の不満も高り
サン・マルコ修道院に暴徒と化した市民が押し寄せ、
ついに共和国もサヴォナローラを拘束する。
教皇の意による裁判の結果、絞首刑ののち火刑に処され殉教した
その時代に描いた「誹謗」
サヴォナローラの思想の元 描いた作品だ
ヴィーナス時代のような 優美さも官能もなく
刺々しいほどの緊張感が張り詰めている。。。
あの香るようなヴィーナスを描いたボッティチェリ
本人も「これでいい」と思っていたのでしょうかね~。。。
ボッティチェリとルネッサンスに行ってきました
と書いたはずなのに
今回展示されてない絵画 と余談話になってしまいました マル
最後に 美術館にありがちな「お土産コーナー」
「パラスとケンタウロス」の版画を薦められたのですが
あまりに「はてな?」的な説明を受け。。。
すごく残念な気持ちで 美術館を後にした私達でした
まぁ 買う気はないけどね 買えないし フフフ
全くと言ってよいほど知識もないため
巡った美術館の更新も、なかなか手が出ないww
たまには書く? そんな気分になった誰も読んでいないであろうブログ~ フフフ
楽しんできたのは ボッティチェリとルネッサンス(フィレンツェの富と美)
と その前に今回は付き合ってくれる奇特な方が名乗り出てくれたので
2人でランチ 某ホテル52階 気がつくと2時間半もお食事を楽しんでいた。
いざ 出陣 どれだけ楽しませてくれるのであろうか ワクワク
ボッティチェリ 15世紀後半イタリアで活躍。聖母・女神を描き続けた。
ヴィーナス誕生はあまりにも有名ですよね(今回は展示されていませんけど)
まず目にとまった作品は 初期のころの「聖母子と二人の天使」
マリアの顔は丸顔で愛らしいが 内面の深さに至ってはいない姿に感じる
しかし 初期の時点で目力が他の画家とは違うような気がします
壁画幅5mを超える大作 「受胎告知」 30代半ばの作品ですね
この辺りから少女っぽいマリアから 少し大人っぽくなった気がします
今回 展示されていない絵が沢山ありますが
私が観たい絵の殆どが日本には来てもらえなかったようです 涙
余談ですが・・・・
マリアの夫を決める際にイスラエル中の寡夫の杖が集められたところ、
ヨセフの杖にだけ花が咲いたので、ヨセフがマリアの夫に決まったといわれています。
この伝承に従い、ヨセフは花を咲かせた杖あるいは枝とともに描かれることがあります。
イエスの実の父親ではないことを強調するためにも、
特にカトリックの伝統的図像学においてヨセフは
結婚当時14歳であった妻マリアよりもはるかに年上の老人として
表されることが多くあります。
ルネッサンス以前の中世時代
宗教画は人間性を持たせずに描くことが常識でした
「サンタ・トリンタの聖母子」を観るとなるほど~と思いますよね
人間は穢れた存在とされ 聖母の姿には神々しくなければならない
絵の中の人物は祈りの対象であり 個性や感情はむしろ排除すべきもの
ボッティチェリは 女性のイメージが聖母や聖女などの宗教的なものに
限られていた時代に 人間的な肉体を描くことで
新たな女性の美を表現しようとしたらしいです
ボッティチェリ 師匠の元を去り20代半ばで フィレンツェに自分の工房を構える。
そこで メディチ家との出会うのですね(パトロンです)
メディチ家の郊外の別荘では知識人の集まりを主催し
そこでボッティチェリは 人間の洞察を深めていくのであった
絵にも変化がおき 豊かな温かみのある表情を描くようになる。
そしてあのヴィーナスの誕生が生まれるのである(今回はないけど)
現代では 1人の画家が全て1人で描く。。。ことが普通ですが
当時は パトロン・まわりのインテリ達が
配置など(他)を話し合い作り上げていったので
ボッティチェリが1人で作り上げたのではないらしい
その様々な注文がありながら それ以上の作品を作り上げたボッティチェリ
なので次々に作品を依頼されたのでしょうね スバラシイ
フィレンツィのウフィツィ美術館に もう1つ代表作がありますね
春(プリマベーラ)
メディチ家の注文で 結婚祝いの品として描かれたヴィーナスです
薄い衣をまとい その表情は秘めたものを感じますね
まわりの神々も薄絹をまとってますが キリスト教徒の女性は
人前では裸にならないので この薄絹はぎりぎりだったと言われていますね
ボッティチェリの挑戦でしょうか。
このような美しい女性を描きながら ボッティチェリ 実は女性嫌いで一生独身
現実ではいないような描いた女性が「理想」だったのでしょうかね~
「パラスとケンタウロス」(展示されていません)
学問の女神パラスが 暴力と欲望の象徴とされるケンタウロスを押さえつける場面
知性が暴力を支配する。。。しかし女神の顔は勝利の顔ではなく
深い悲しみに満ちているように感じられるのはなぜでしょうか
この絵を依頼される前に 大事件がおこりましたよね
反メディチ家勢力が 大聖堂でロレンツォと その弟を暗殺する計画を実行
ロレンツォは難を逃れたが 弟は惨殺
助かったロレンツォは報復に出て 暗殺に関わった者達を捕らえ処刑したのだ
その様子をボッティチェリに壁画として描くように依頼したのです
(壁画は後に壊されたので 実際には観ることはできない 残念)
この過酷な体験をした後に描いた作品が パラスとケンタウロス
パラスの衣装に描かれている模様は メディチ家の紋章
メディチ家の勝利が含まれている作品なのに
パラスの瞳は 勝利にふさわしくない深い悲しみをたたえ遠くをみつめてる
ヴィーナスと同じように いろいろな「想い」がある作品なのかもしれません
その後 ロレンツォが亡くなり メディチ家は衰退し 町から追放されてしまう
絶対王政ではない時代なので「家」のつぶしあい
勃興しようとする「家」は とにかくつぶし自分が政権を握る 順番なのでしょうね
ボッティチェリは大きな支えがなくなり画風をかえて 絵を描き続けた
その後の政治の実権を握ったのは 修道士サヴォナローラ
メディチ家時代の芸術を非難し焼きはらった
ちなみに サヴォナローラ
彼の厳格な姿勢に対しては反対派の不満も高り
サン・マルコ修道院に暴徒と化した市民が押し寄せ、
ついに共和国もサヴォナローラを拘束する。
教皇の意による裁判の結果、絞首刑ののち火刑に処され殉教した
その時代に描いた「誹謗」
サヴォナローラの思想の元 描いた作品だ
ヴィーナス時代のような 優美さも官能もなく
刺々しいほどの緊張感が張り詰めている。。。
あの香るようなヴィーナスを描いたボッティチェリ
本人も「これでいい」と思っていたのでしょうかね~。。。
ボッティチェリとルネッサンスに行ってきました
と書いたはずなのに
今回展示されてない絵画 と余談話になってしまいました マル
最後に 美術館にありがちな「お土産コーナー」
「パラスとケンタウロス」の版画を薦められたのですが
あまりに「はてな?」的な説明を受け。。。
すごく残念な気持ちで 美術館を後にした私達でした
まぁ 買う気はないけどね 買えないし フフフ