2015-12-15 | 美術館
夏から心待ちにしていた場所に行ってまいりました

肉筆浮世絵  美の競艶 シカゴコレクション


肉筆美人画
木版画とは違い 最初から最後まで1人の絵師で仕上げる
木版の浮世絵 錦絵は版元が介在しないと出来ない
絵師の意図は如実に現されているのが肉筆の作品の魅力ですね
錦絵は大量生産される大衆商品で 絵師の表現には制約がありました。
一方の肉筆は1点物
時間をかけて生産されお値段も高価で 絵師の芸術性 技術が問われます
だからこそ 絵師は特別な思いをこめて描くのです。

129点 どれもこれも素晴らしい作品でした。
日本の美術館にあれば 観る機会も増えるのに残念ですね。

吉原正月の景 桂人詠歌図 美人戯犬図 短冊を結ぶ美人図。。。
見惚れた作品を上げたら キリガナイww

その中でも 私が心待ちにしていた作品は 

葛飾北斎の「美人愛猫図」(江戸時代) 日本初公開のため謎の多い作品だそうです
版画ではなく 絹本 (絹に描かれたもの)
左手は袖を通さず懐へ その手には猫。 猫の首輪も女性の襦袢と同じ鮮やかな赤
この猫の顔 どう見ても愛らしくない  
女性が猫を見る表情も愛おしさというより とまどい?

北斎は号を30回もかえてます
この作品の雅号は 「画狂老人 北斎」

北斎を名乗りはじめたのは40歳頃  北斎の下に印が押されています 

蛇亀
足毛 (きもうだそくの印) 北斎が40~50歳頃に使われていた印です。

この印から 美人愛猫図は1800年から1810年頃と推測できるそうです。

この絵は 源氏物語の若菜(上巻)の物語が埋め込まれているそうですね
光源氏の親友の息子 柏木が六条の庭で蹴鞠を楽しんでいると
光源氏の妻 女三宮の部屋から
小さな仔猫が別の仔猫に追われ逃げようともがいているのに気がつきます
その仔猫の首につながれていた赤い紐で御簾が乱れ
柏木は女三宮の顔を見てしまう
若菜 上巻 下巻を読まれた方なら ご存知と思いますが
女三宮に恋焦がれた柏木の最後は 失意のうちに亡くなりますよね
女三宮は結局 尼に。。。
興味のある方は 読んでください

美人愛猫図
猫の首には 御簾を乱した赤い紐
女性が着ている着物が乱れているのは 慌てて猫を追いかけたからか?
とまどった表情は 思いがけない出会いへの驚きか
1枚の絵から 想像が膨らむ 本当に面白く楽しめますね。
北斎の美人は 造形性絵画として自立性が強く 見た話を写し取るのではなく
芸術としてのたくましさを注ぎ込んだ美人
それを表現するには肉筆画でなければならないようです
絵師の想いと表現する技術があってこそ
観る者にさまざまな物語の想像をさせる。。。のだそうです。
鑑賞するだけの美人ではない 画狂老人北斎らしい美人画。


さて北斎 その前は 宗理と名乗っていましたね
葛飾北斎が美人がをもっとも多く描いたのは 宗理時代
宗理型美人スタイルを作り 人気を集めました
美人愛猫図は宗理から 北斎に雅号をかえて挑んだ新たな美人画です
富嶽三十六景 神奈川沖浪裏(1830~34) 諸国瀧廻り(1833年頃)
などの風景画が有名ですが 読み本や挿絵など たきにわたっている
北斎漫画 1814~78年
30代半ばから40代の頃の北斎は美人画の名手として名を持てはやされていました。

江戸時代 浮世絵は庶民の娯楽 とくに美人画は人気
江戸時代初期の代表作 「見返り美人 菱川師宣作 1690年」
江戸時代中期     「雨夜の宮詣で 鈴木春信作 11765年」
対照的な美人画ですね

北斎が宗理時代に描いた美人画は 華奢な体にうりざね顔
小さな目鼻立ちを特徴とする上品な美人は 大衆の人気を集めました。

宗理と北斎の違い
宗理時代は 体も着物のしわも細い繊細な線で描いている大人しく端正である
北斎は 着物に太さの異なる線が使われて動きが画面に溢れてくるようになる
愛猫図の着物も 灰色の地味な色は 赤い襦袢や口紅を際立たせるためではなく
着物の黒い線を強調するするため  動きを見せることに拘ったそうです

酔余美人画 1807年 線を操る独自の美人を作り出した北斎
美人愛猫図は 北斎美人の誕生を告げる記念的作品

生涯で93回も引越しをした北斎
贅沢とは無縁で 食べること 着ることにも拘らず
ひたすら絵を描いていたという
自らが狂老人と名乗るほど 人生を絵にかけた北斎
100歳になる頃に本物の絵師になれると信じ 絵に全てのエネルギーを注いだ
そんな北斎が 描いた美人愛猫図

誰もが興味を持つはずですよね

晴れた土曜日 心も満たされた美しい土曜日になりました。


最後までお付き合いきくださり感謝いたします。

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