金曜日に国立近代美術館へ行った。ブレッソンがもうすぐ終わるので。
確か『決定的瞬間』だったよな、と思いながら。
『決定的瞬間』とは、別に狙っているのではなくて、自分の持っているコンポジションや、世界との接し方、視覚が、その一瞬に結実する、その瞬間の意味なんだろうと私は思っている。まぁ、沢山の写真が展示してあって、そんなもんなんだけど。私が面白かったのはオリジナルプリント。オリジナルをありがたがる趣味は私にはありません。念のため。
写真を観る時に、私の視線、視点と撮影者の視線、視点とが重なって、そこにあったもの、そこにあった撮影者の位置を垣間みる、その影をみて、見る側は自分の知識や経験や解釈を積み重ねることになる…と思ってるんだけどね。
オリジナルプリントの場合、撮影者が、写真をどのように扱っていたかを知ることになる訳で、それはまた面白い体験ではある。
小さめのプリントに柔らかな現像、紙の退色なのかそういうプリントなのか。
沢山のデッサンも展示されている。とはいえ、決してブレッソンは絵画主義なのではなく、やはりそこが『決定的瞬間』なんだろうと思う。写真の写真である場所。
あまりの展示数の多さにぎょっとしたけれど、結構、興味深い展示だった。
確か『決定的瞬間』だったよな、と思いながら。
『決定的瞬間』とは、別に狙っているのではなくて、自分の持っているコンポジションや、世界との接し方、視覚が、その一瞬に結実する、その瞬間の意味なんだろうと私は思っている。まぁ、沢山の写真が展示してあって、そんなもんなんだけど。私が面白かったのはオリジナルプリント。オリジナルをありがたがる趣味は私にはありません。念のため。
写真を観る時に、私の視線、視点と撮影者の視線、視点とが重なって、そこにあったもの、そこにあった撮影者の位置を垣間みる、その影をみて、見る側は自分の知識や経験や解釈を積み重ねることになる…と思ってるんだけどね。
オリジナルプリントの場合、撮影者が、写真をどのように扱っていたかを知ることになる訳で、それはまた面白い体験ではある。
小さめのプリントに柔らかな現像、紙の退色なのかそういうプリントなのか。
沢山のデッサンも展示されている。とはいえ、決してブレッソンは絵画主義なのではなく、やはりそこが『決定的瞬間』なんだろうと思う。写真の写真である場所。
あまりの展示数の多さにぎょっとしたけれど、結構、興味深い展示だった。