将来、ミノフスキー粒子撒布下の戦闘を想定した軍・メーカー共同研究会はUC0071に新思考兵器「MS」の骨子をまとめた。
以降、実証基礎研究を続け、UC0074兵器開発局はジオニック社にMS試作機(YMS-05)の製作を発注した。
研究会に発足時より参加していたツィマット社はジオニック社単社発注に反発、自社の研究検証用実験機を要求仕様に合わせた実験機を製作し完成後、YMS-05との競合採用試験の実施を要望した。
開発局はツィマッド社の要望を承諾、メーカー自主製作試作機(EMS-04)の製作を指示した。
ツィマット社が製作した試作MSは、宇宙空間での高機動を主眼としたもので、重力下での行動には制約があった。しかし、要求仕様を読む限りにおいてはツィマット社開発技術陣の考えは間違ったものではない事が判る。
仕様書内には「コロニー内の重力下においても行動ができる」程度の記載しかなく、宇宙空間での機動性を追及することはMSを小型戦闘艇の延長と考え得意分野を活かそうとするのは当然である。
対しジオニック社のYMS-05は重力下の戦闘行動まで視野に入れた汎用機であった。これは作業用重機メーカーとして起業し、兵器産業ではツィマット社に対し後発となるジオニック社と軍高官との水面下の協議によるものである。
ジオン軍部は地球侵攻に使える兵器を求めていたのである。
(汎用を求めたゆえ、MS-05・06シリーズは作戦行動時間が短いと言う欠点を持つことになるが、これは後の話である。)
なぜツィマット社に対し汎用MSを求めなかったのか?
ツィマット社はジオン国内において宇宙用戦闘艦艇製造の最大手企業であり、創業は宇宙移民開始前の海洋艦船重工である。あるがゆえ当時対立する地球連邦であっても、切れない繋がりがあると疑われた。
たとえ杞憂であってもジオン公国上層部は「地球侵攻」を表ざたには出来なかった。
開発局は初の実戦型MS生産を鑑み、テストヘッドをより多岐に渡り欲しかったし、製造のノウハウ獲得の為にもツィマット社にMS試作機の製作を指示したのである。
このような事があり、後にジオニック社と軍高官との黒い噂が残った。
こうして、僅か1年余りの短期間で両機は試作機第1号を完成させる。
UC0075 YMS-05・EMS-04は競合採用試験に入る、宇宙空間においてのEMS-04の機動性は開発局試験官達を驚愕させ、YMS-05の採用がほぼ決まった出来レースだったのに反し開発局の意思を揺らがせる程であった。しかし間もなく、高機動を得る為の軽量化に伴う剛性不足がEMS-04自身の運命を決めてしまう。
EMS-04が限界加速度試験中に空中分解し大破したのである、EMS-04試作2号機以降の製作・組立はしていたものの、この時まだ完成していなかった。
開発局はEMS-04の飛行中止を指示、同時に競合採用試験も中止した。結果、採用MS試作機はジオニック社YMS-05となり、直ちに制式MS・MS-05(ザク)の先行量産型MS-05Aを発注した。
EMS-04は不採用ながらツィマット社内で細々と一年戦争開戦前まで追試験をしていた。高機動MS試作機YMS-08の開発で再度光の当たるチャンス生まれたものの、間もなくYMS-08開発自体が中断。
一年戦争末期型式を変えEMS-10(ズダ)として登場するまでMS開発史から姿を消すこととなる。
以降、実証基礎研究を続け、UC0074兵器開発局はジオニック社にMS試作機(YMS-05)の製作を発注した。
研究会に発足時より参加していたツィマット社はジオニック社単社発注に反発、自社の研究検証用実験機を要求仕様に合わせた実験機を製作し完成後、YMS-05との競合採用試験の実施を要望した。
開発局はツィマッド社の要望を承諾、メーカー自主製作試作機(EMS-04)の製作を指示した。
ツィマット社が製作した試作MSは、宇宙空間での高機動を主眼としたもので、重力下での行動には制約があった。しかし、要求仕様を読む限りにおいてはツィマット社開発技術陣の考えは間違ったものではない事が判る。
仕様書内には「コロニー内の重力下においても行動ができる」程度の記載しかなく、宇宙空間での機動性を追及することはMSを小型戦闘艇の延長と考え得意分野を活かそうとするのは当然である。
対しジオニック社のYMS-05は重力下の戦闘行動まで視野に入れた汎用機であった。これは作業用重機メーカーとして起業し、兵器産業ではツィマット社に対し後発となるジオニック社と軍高官との水面下の協議によるものである。
ジオン軍部は地球侵攻に使える兵器を求めていたのである。
(汎用を求めたゆえ、MS-05・06シリーズは作戦行動時間が短いと言う欠点を持つことになるが、これは後の話である。)
なぜツィマット社に対し汎用MSを求めなかったのか?
ツィマット社はジオン国内において宇宙用戦闘艦艇製造の最大手企業であり、創業は宇宙移民開始前の海洋艦船重工である。あるがゆえ当時対立する地球連邦であっても、切れない繋がりがあると疑われた。
たとえ杞憂であってもジオン公国上層部は「地球侵攻」を表ざたには出来なかった。
開発局は初の実戦型MS生産を鑑み、テストヘッドをより多岐に渡り欲しかったし、製造のノウハウ獲得の為にもツィマット社にMS試作機の製作を指示したのである。
このような事があり、後にジオニック社と軍高官との黒い噂が残った。
こうして、僅か1年余りの短期間で両機は試作機第1号を完成させる。
UC0075 YMS-05・EMS-04は競合採用試験に入る、宇宙空間においてのEMS-04の機動性は開発局試験官達を驚愕させ、YMS-05の採用がほぼ決まった出来レースだったのに反し開発局の意思を揺らがせる程であった。しかし間もなく、高機動を得る為の軽量化に伴う剛性不足がEMS-04自身の運命を決めてしまう。
EMS-04が限界加速度試験中に空中分解し大破したのである、EMS-04試作2号機以降の製作・組立はしていたものの、この時まだ完成していなかった。
開発局はEMS-04の飛行中止を指示、同時に競合採用試験も中止した。結果、採用MS試作機はジオニック社YMS-05となり、直ちに制式MS・MS-05(ザク)の先行量産型MS-05Aを発注した。
EMS-04は不採用ながらツィマット社内で細々と一年戦争開戦前まで追試験をしていた。高機動MS試作機YMS-08の開発で再度光の当たるチャンス生まれたものの、間もなくYMS-08開発自体が中断。
一年戦争末期型式を変えEMS-10(ズダ)として登場するまでMS開発史から姿を消すこととなる。
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