野球小僧

棚橋弘至 / 新日本プロレス

棚橋選手は1976年11月13日、岐阜県大垣市に生まれました。幼い頃からプロレス好きな祖母の影響でプロレスをテレビで見るようになり、学校の休み時間ではプロレスごっこに興じていました。1999年に新日本プロレスに入門し、トップレスラーとして活躍しています。

岐阜ということもあって、家族全員が中日ドラゴンズの大ファンで、棚橋さんは小松辰雄さん、郭源治さんに憧れていました。小学五年生から野球を始め、岐阜県立大垣西高等学校では野球部に入部します。小学校、中学校とエース願望が強くて、それが今にもつながっているそうです。その願望が高二年生の時にやっとかない、ピッチャーデビューします。エースではなかったものの、一日2試合の練習試合で二試合目は棚橋さんが投げるっていう形で、念願がかないました。ちなみに筋トレを始めたキッカケは、ピッチャーになりたかったからなんで、筋肉がついたら速い球が投げられるって信じていて、中学二年生の時から市のジムで鍛えはじめて、それなりに筋肉がついたものの、結局ストレートはMAX120km/h位で、おまけにコントロールが悪かったので、途中からサイドスローに変更させられました。自分自身のイメージでは上から投げ下ろす本格派ピッチャーだったそうです。結局野球をやっているときは、背が高かったのでファーストとか外野をやってました。

将来の夢としてプロ野球選手になることを掲げていました。しかし、現実は普通校の七番レフト。甲子園に行った事も無く、公式戦で一勝しかできていない選手が、高校三年生までプロ野球選手の夢を追い続け、努力では届かない才能を感じて夢がつぶれました。でも、落ち込んでいる時間はもったいない。ダメだと思った瞬間、プロ野球を扱うような新聞の記者になろうと思い、マスコミ系や社会学部系の大学進学を考えました。

本腰を入れて勉強したのは高校三年生の夏からです。大学は私立に絞っていたので、英・国・社の文系3科目しか勉強しませんでした。当時の睡眠時間が1日3~4時間。若いし、部活を引退したばかりで無理が利き、1日20時間くらい勉強したそうです。自分の声を吹き込んだ古文や英語の問題集を聞きながら登校して、休み時間はトイレ以外一切席を立たず、隣の席のテニス部の女の子に英単語の問題を出してもらいました。放課後も塾に行って帰宅が午後10時くらいで、勉強して寝るのが午前3、4時。一番伸びたのは英語だそうです。テニス部の女の子という効果もあったようですが、英熟語の本はすり切れるまで反復して、単語帳もボロボロになったそうです。

それでも、やる気が出ない日は一切勉強せず、朝から晩まで大好きなプロレスを見ていました。やり過ぎたと思った翌日は、反動で勉強ができる。受験生もストレスを抱えているので、遊ぶときは限界まで遊んだ方がいいということでしょう。

学力がどれくらいかが把握しきれなかったので、手当たり次第に勉強して、塾に行って、地元の行けそうな大学から偏差値の高い大学まで10校近く受けました。とにかく戦う武器をそろえないといけないと思ったので、書店を回って、よさそうな問題集をチェックして、全部買ってきて、分からないところや間違えたところを補習しました。分かる問題や、できたところは2回やらない。できなかったところだけをやって、穴を埋めていきました。

運動にもウオーミングアップがあって、試合があって、クールダウンがあるように、受験勉強にもまずウオーミングアップが必要です。僕の場合は英単語や漢字をひたすら書き続けました。それからその日にやらないといけない問題や、勉強の量をこなして、最後にクールダウンします。自分の中で受験勉強のルーティンを固めてしまうと、意識しなくても集中した状態になれます。

偏差値は最終的には65くらいまで上がり、受験した大学は全部合格したそうです。2月末に立命館大法学部が残っていて、記念受験のつもりでしたが、現役合格して自分でもびっくりしたそうです。そして、その立命館大法学部に入学します。

大学の授業初日、構内で新入生をサークルに勧誘するブースが数ある中でプロレス同好会に入ります。入学式の後、キャンパス内はサークル勧誘の人であふれましたが、コスチュームの人がウロウロしていたりとか、入場曲がかかっていたりとかしてブースがすごく目立っていました。高校時代にプロレスを語る仲間は2人くらいしかいなかったので、興味があって行ったら、みんなプロレス大好きで、しかも自分より詳しくて、「何だこの楽園は」と思ったそうです。主な活動はみんなでプロレスを見に行くことでしたが、そこで学生プロレスも始めます。もともと、ウエートトレーニングは高校の野球部の頃からやっていたので、本格的に体を鍛え始めたら、65kgだった体重が1年で80kgになりました。当時、ジュニアヘビー級の人気があって、85kg、90kgの選手もいたこともあり、「もう少し体重を増やせば、俺プロレスラーになれるじゃん」と、肉体的な変化が夢に現実味を与えたそうです。小さい頃から自分に自信が持てなかったので、強くなりたかったそうです。

プロレスラーは年間130試合くらいやっていて、「この人たちはすごいな。俺もプロレスラーになったら、自分に自信が持てるんじゃないか」と、プロ野球選手になりたくてなれずに、新聞記者になりたくて大学に行ったんですが、今度はプロレスラーということで、夢がどんどん変化していきます。

立命館大学プロレス同好会出身のプロレスラー第1号として活動する一方、アマチュアレスリング部にも参加していた棚橋選手は、1996年春に行われた新日本プロレスの入門テストを受け、与えられたメニューをすべてこなしたが不合格。同年秋に2度目の入門テストを受けるも、体調不良による脱水症状に陥りメニューをこなすことができず不合格。1998年2月に行われた3度目の入門テストでようやく合格しました。当時はアントニオ猪木さんが引退していて、藤波辰爾さん、長州力さん、闘魂三銃士が活躍していました。新日本プロレスには1998年合格、1999年入門のため、プロレス浪人を1年していたことになります。

プロレスラーになるには一日でも早く入った方がいいと、新日本プロレスに合格した時点で大学をやめようと思っていました。すると長州さんに「卒業してから来い」と言われました。練習がきつくて逃げ出したり、ケガをしてやめざるを得なかったりした人をいっぱい見ているので、「何が起こるか分からないから、とりあえず大学だけは出ておけ」ということだったそうです。その一言で大学を卒業できたし、「大学行って勉強してこい」と言った両親にも納得してもらえたそうです。

入門後の練習は厳しかったそうです。でも誰よりも体を鍛えて、体力さえあれば、文句は言われない世界なんで、しっかり体を作って練習に付いていってました。当時は長州さん、佐々木健介さん、ブラック・キャットさんがコーチでした。デビュー戦は1999年10月10日、後楽園ホールで相手は真壁伸也(刀義)選手でしたが、結果は6分くらいで、逆エビ固めで敗戦。それでも、両親も大学の仲間も友達も見に来てくれていて、「やっとプロレスラーになれました」という感じだったそうです。

受験勉強がまさかプロレスラーにつながるとは、お釈迦様でも気が付かないでしょう。受験勉強で頑張ったことがプロレスという今の職業に就いても役立ち、野球部の時の筋トレがプロレスに役立ち、プロレスで学んだことがテレビや映画の仕事で役立っています。「なんで勉強しないといけないんだよ」と思っていても、「無駄なことはない」ということですよね。

夢に向かって頑張ってきたことは、自分の財産であり、人としての厚みになって行きます。そう考えると、受験生には早い段階で「全部自分のためになるから。信じてやろうよ」と気づくことも大切です。勉強に無駄はありません。

プロレスは試合の中に、なぜ戦うのか、なぜ勝ったのか、なぜ負けたのか。プロレスは戦う姿を見せながらも、負けたくないとか、生き様を見せる、人間を見せる競技と思っています。これはプロレスだけではなく、野球やサッカーなどのスポーツ全般に同じようなことが言えると思います。それだけでなく、普通の会社員だって同じことだと思います。ただ大きい人間が殴り合っているばかりじゃないというところがプロレスの面白いところです。プロレスならではの面白さがそこにあると思います。

今週末はセンター試験があり、受験シーズン真っただ中です。忙しい中高生のみなさんが、このブログを読んでいるとは思えませんが、中高生のみなさん、今、頑張っている、部活、勉強、それは将来必ず役立ちますので、全力で今を頑張ってください。また、今、思いっきり部活、勉強ができる環境を作ってくれるご両親の感謝を忘れないでください。

ほとんどの中高生のみなさんは自分の夢をかなえるために頑張っていると思いますが、もう一歩考えを進めて、合格した時に喜ぶ人の顔を思い浮かべてください。
それが目標校合格へのフィニッシュホールドになるでしょう。

「僕が考えたのは、『普通は他人から受ける期待を“自給自足”できないか?』ということです。どうしても仕事がうまくいかずモチベーションが下がったとき、あるいは疲れてもうダメだ、と思ったとき、内なる『棚橋コール』を起こす。『お前はそんなもんか?』『まだいけるだろう』と自分に期待する。これが『期待の自給自足』です」・・・大事なことは、棚橋弘至選手に教わった。GO ACE!


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
かつては観客の支持をまったく得られなかった選手でもありました。でも、無口で怖いプロレスラーのイメージを覆した、プロレス再ブームの立役者ですよね。

それだけに、まだまだ第一線でベルトを狙った選手でいて欲しいですよね。

明日は、プロレスはちょっと一休み。
そろそろ回帰しませんとね。


eco坊主
おはようございます(*Ü*)ノ"☀

『100年に一人の逸材』を知ったのはあの事件の時でした。
(それ以前はタナケンというコンビは耳にしていた程度でした。)
プロレスラーって凄い回復力だな~と思ったものでした。

確か「フォー」の住谷さんと学生プロレスで戦っていますよね。

さて、親日本体として好きですね!
正統派のベビーフェイスだからでしょうか!?
だからIWGP ICに留まらずIWGP Heavyに向かって欲しいです。
本人にもその意思はあるようですし!
でも鈴木みのる選手にはICは獲られないでください。

頑張れ ACE!

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