野球小僧

平尾奎太 / ホンダ鈴鹿硬式野球部

「この先、もう野球を続けることはできないのではないか」という、不安を抱えているとき、「病気というのは、きっと乗り越えられると神様が思った人にしか与えない物だ」と、あるプロ野球選手から励まされたそうです。

平尾奎太選手は社会人野球のホンダ鈴鹿硬式野球部のピッチャーです。

NTT北陸で11年間プレーしたお父さんに憧れ、小学二年生で野球を始めました。プロ野球選手になり、お父さんを超えようと、大阪桐蔭高に進み、二年生の春にはベンチ入りしました。平尾選手の名前を聞いてピンときた方もいると思いますが、大阪桐蔭高では、2年連続甲子園に出場し、連覇を支えました。阪神タイガースの藤浪晋太郎選手、オリックスバファローズの沢田圭佑選手と同学年になります。高校卒業後、同志社大に進学し、関西学生リーグで8勝をマーク。四年生の秋には、4勝を上げてベストナイン受賞。同大卒業後、社会人野球のホンダ鈴鹿に入社し、1年目から主力として活躍。さらに、侍ジャパン社会人代表に選出されるなど、今後の活躍が期待されています。

平尾選手が身体の異変に気づいたのは、高校二年生秋季大会直前でした。その年の夏、2回ほど高熱を発して、ほとんど真っ黒な血尿が出たのです。違和感を覚えたものの、何日かすると元に戻りました。また、そのほかの自覚症状がないので、野球に全力で取り組んでいました。学校の健康診断で受けた検査の結果、腎臓に異常が見つかりました。昼休みに西谷浩一監督から校内放送で呼び出され、病院へ向かうよう命じられました。

検査の結果、腎機能を示す数値が、正常の人の30%にまでに低下していることを示しました。尿たんぱくの値についてもかなり高く、即刻、入院することになりました。告げられた病名は「IgA腎症(血尿やたんぱく尿などの症状が現れる慢性糸球体腎炎の一種)」というものであり、「まず野球はあきらめてください」と言われたそうです。腎不全になる恐れもあり、医師からは2年間運動を禁止して、治療に専念するように告げられ、信じられなかったそうです。

まだ、高校二年生、「どうして、自分が突然、こんな難病にならなければいけないのか。この先、もう野球を続けることはできないのではないか」と思ったそうです。そんな不安を抱えているとき、タイガースの岩田稔選手がお見舞いに訪れたそうです。

岩田選手は、大阪桐蔭高野球部の先輩に当たり、ウイルス感染が原因で1型糖尿病を発症しながらもそれを乗り越え、プロ野球で活躍されているピッチャーです。病室で岩田選手は、「病気というのは、きっと乗り越えられると神様が思った人にしか与えない物だ」と励ましたそうです。1日に4回もインスリン注射を打ち続けながら、プロ野球のマウンドに立っている岩田選手の言葉に、平尾選手は大いに勇気づけられたそうです。

「そんなん嫌です」と、高校野球をあきらめないと決意し、医師とは高校野球が終わったら治療に専念するという条件で、チームに残ることを認めてもらい、三年夏までプレーしました。グラウンドに立つからには、病気を言い訳に妥協することはなく、エースの藤浪選手、沢田選手に次ぐ、3番手ピッチャーとしてベンチ入りし、春夏連覇を支えました。

その後、同志社大に進学し、野球部に入部しましたが、最初の2年間は約束どおり治療に専念しました。病気から解放される日を待ちわびながら、裏方としてチームを支える日々を過ごしました。

平尾選手のIgA腎症の進行は、活動性が高く急速に進行するタイプで、早期治療をしなければ、発症5年以内に透析の可能性があったほどの重症だったそうです。そのため、IgA腎症という難病を治すために続けていたのが、上咽頭擦過療法だそうです。決して楽な治療ではなかったそうですが、根気よく続けたおかげで次第に症状が改善。その結果、三年生のシーズンからは、練習を再開できるようになりました。「野球が出来ることに感謝」とグラブに刺繡し、練習に打ち込みました。春のリーグ戦では、初先発のマウンドで完封勝利を上げることもできました。

そして、大学四年生のシーズンには、リーグのベストナインに選ばれ、その後、現在のホンダ鈴鹿硬式野球部で活躍し、1年目から都市対抗野球で2試合に登板し、14回を無失点に抑え、社会人の日本代表に選出されました。188cmの長身から繰り出される切れ味鋭い変化球に加え、球威や投球術にも磨きがかかり、プロの世界が現実味を帯びてきました。今年の都市対抗野球で優勝するために、チーム一丸となって練習に励んでいます。

現在はIgA腎症を克服することができ、すべての数値が正常化し、腎機能も安定しているそうです。

これまで支えてくれた両親、チームメイトはもちろん、治療に力を尽くしてくださった先生には、感謝の気持ちでいっぱいとのことです。

また、病気になったことは、決してマイナスばかりではありません。難病を乗り越えた経験が、プレーヤーとして成長するうえで、大いに役立ったと思っているそうです。

高校時代、先輩の岩田選手に自分の体験をもとに平尾選手を励ましました。平尾選手は、その時と同じように、これからは野球選手として活躍することで、IgA腎症で苦しんでいる皆さんを勇気づけたいと思っているそうです。

プロ野球を目指す理由は、憧れのお父さんを超えるためだけではない。「プロへ行くことで、同じ病気の子どもたちに勇気を与えたい。病気だからといって、あきらめるのはもったいない」。そのためにも、来年は、プロ野球選手としてマウンドに立ちたいと思っているとのことです。

失意と逆境のなかでも、強い信念を揺らぐことなく持ち続けること。
強い精神力が大事だということを、平尾選手に教わりました。


コメント一覧

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eco坊主さん、こんばんは。
昨日は記事の時間設定を間違えて、夕方にアップしました(時間はいつもどおりの設定ですが)。

おっしゃるとおり、世の中、難病でも常に前向きに克服していこうという方はたくさんいますね。いろんな病と闘っている人にとって、どれだけ元気つけられるのか。

まあ、私はあまり努力していませんが、自称・経過は良好です。
eco坊主
おはようございます。
昨日は何も表示されず・・・訪問しましたが足跡残せずorz

病気の事はよくわからないのでコメントのしようがないですけど
色々な病気を克服しようと頑張っておられる人には頭が下がります。
他の同じ病気で苦しむ人の希望になって欲しいものです。
↑私は口で簡単に言ってますが、ご本人の努力は計り知れない事は理解しています。
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