野球小僧

近畿学生野球連盟

近畿学生野球連盟とは、近畿地区に所在する大学の硬式野球部により構成された野球リーグです。母体となった連盟から数えると関西では最古の連盟となり、全日本大学野球連盟に所属しています。

2017年度秋季リーグは48季ぶり3度目の優勝を大阪市立大がつかみました。最優秀投手賞に輝いた玉井選手(二年・佐久長聖高)を筆頭に、投手陣が頑張りを見せました。最優秀選手賞に輝いた河村選手(四年・岸和田高)、ベストナインを獲得した北野選手(四年・那賀高)らが打線をけん引、安定した守備力も光りました。超攻撃型野球が勝利を手繰り寄せての優勝でした。

■所属リーグ 勝敗は2017年秋季リーグ戦
一部リーグ
 大阪市立大   13試合10勝  3敗 0分 勝点5
 奈良学園大   13試合  8勝  5敗 0分 勝点3
 和歌山大    13試合  6勝  7敗 0分 勝点3
 神戸大     13試合  6勝  7敗 0分 勝点2
 大阪工業大   10試合  4勝  6敗 0分 勝点2
 阪南大     14試合  4勝10敗 0分 勝点0

二部リーグ
 大阪観光大   10試合  8勝  2敗 0分 勝率.800
 大阪教育大   10試合  5勝  2敗 3分 勝率.714
 大阪大谷大   10試合  6勝  3敗 1分 勝率.667
 大阪大     10試合  4勝  6敗 0分 勝率.400
 大阪府立大   10試合  1勝  5敗 4分 勝率.167
 神戸医療福祉大 10試合  1勝  7敗 2分 勝率.125

三部リーグ
 太成学院大     8試合  5勝  2敗 1分 勝率.714 1位~4位は2次リーグの結果で決定
 兵庫県立大     8試合  6勝  1敗 1分 勝率.857
 奈良教育大     8試合  4勝  1敗 3分 勝率.800
 羽衣国際大     8試合  3勝  4敗 1分 勝率.429
 奈良大       8試合  5勝  3敗 0分 勝率.625
 大阪歯科大     8試合  1勝  7敗 0分 勝率.167
 大阪薬科大     8試合  1勝  7敗 0分 勝率.167
※一部・二部入れ替え戦は大阪観光大が阪南大を2勝1敗で下し、一部に昇格
※二部・三部入れ替え戦は太成学院大が神戸医療福祉大を2勝0敗で下し、二部に昇格

リーグ優勝回数 2017年秋季リーグ終了時点
一部リーグ
 42回 奈良学園大(旧:奈良産業大)
 28回 近畿大(旧:大阪理工科大)
 27回 阪南大
 15回 大阪経済大
   8回 神戸大
   6回 関西学院大、大阪教育大(旧:大阪学芸大)
   3回 大阪市立大
   2回 大阪大
   1回 大阪工業大、大阪府立大(旧:浪速大)、和歌山大

二部リーグ 判明分のみ
 17回 大阪府立大(旧:浪速大)
 15回 大阪工業大
 14回 大阪教育大(旧:大阪学芸大)
 13回 和歌山大
 12回 大阪大
 11回 神戸商科大(現:兵庫県立大)
   9回 大阪市立大
   8回 神戸大
   6回 阪南大
   5回 大阪外国語大(現:大阪大外国語学部)、大阪大
   4回 奈良教育大
   2回 大阪歯科大、奈良産業大(現:奈良学園大)、奈良大、大阪大谷大
   1回 大阪薬科大、太成学院大、大阪観光大

三部リーグ 判明分のみ
 10回 大阪外国語大(現:大阪大外国語学部)、奈良大
   8回 兵庫県立大(旧:神戸商科大)
   7回 奈良教育大、羽衣国際大
   6回 高野山大、神戸医療福祉大(旧:近畿福祉大)
   5回 大阪市立大
   3回 大阪府立大、大阪大、太成学院大
   2回 大阪工業大
   1回 奈良産業大(現:奈良学園大)、和歌山大、大阪大谷大、大阪観光大

かつて(戦後)加盟していたことがある大学
近畿地区大学野球連盟傘下・連合解体前
 近畿大(旧関西六大学野球連盟昇格経験組) 1982年のリーグ再編に伴い関西学生野球連盟に加盟
 大阪経済大(旧関西六大学野球連盟昇格経験組) 1982年のリーグ再編に伴い脱退し、新関西六大学野球連盟に加盟
 関西学院大(旧関西六大学野球連盟からの降格組) 1982年のリーグ再編に伴い関西学生野球連盟に加盟
 奈良県立医科大 近畿六大学野球連盟時代の1950年に脱退
 神戸市外国語大 近畿大学野球連盟時代の1952年に脱退

連合解体後
 高野山大 部員不足により2003年に休部のため脱退
 大阪外国語大 2007年大阪大と統合時に春季リーグは「大阪大外国語学部」と名称変更して参加していたが、春季リーグ終了後野球部を統合し脱退

歴史
戦前・戦中
1917年に同志社大、立命館大、関西大、関西学院高商部(1932年から関西学院大)、大阪薬学専門学校(大阪大薬学部の前身)、大阪高等工業学校(1929年から大阪工業大、後の大阪大工学部)、大阪高等商業学校(1928年から大阪商科大、大阪市立大の前身のひとつ)、大阪歯科医学専門学校(大阪歯科大の前身)の8校により関西学生野球連盟が結成されました。その後、構成校の加盟脱退が繰り返され京都帝国大、第三高等学校、大阪医専(大阪高等医学専門学校←後の新制大阪医科大)なども参加した時期もありました。

1923年に旧制の府立大阪医科大(1931年から大阪帝国大医学部)、官立神戸高等商業学校(1929年から神戸商業大、神戸大の前身のひとつ)、大阪高等工業学校により発足した官立三校野球連盟を始まりとして、以後大阪外国語学校(大阪外国語大を経て大阪大外国語学部の前身)、関西学院高商部、大阪高等商業学校と順次加盟校を増やし、1928年に神戸高等工業学校(1949年に新制の神戸大工学部)を加え、これらの7校の旧制高等専門学校と旧制大学によって「関西学生野球連盟」を発足。大阪ゾーンと神戸ゾーンに分かれてリーグ戦を行い最後に優勝決定戦を行なっていました。

1931年、この1928年結成の関西学生野球連盟の有力校であった関西学院と神戸商業大が1930年に結成された関西四大学野球連盟(関西大、京都帝国大、同志社大、立命館大)へ加盟(神戸商業大は移籍。関西学院は1933年中までは旧関西学生との重複加盟)し、同年秋から関西六校野球連盟が発足。翌年3月の関西学院の旧制大学昇格を待ち「関西六大学野球連盟」と改称しました。

戦前・戦中時は大学野球界(旧制)を全国的に統一する組織が存在しなかったことから、関西学院の重複加盟の様に、基本的(当該連盟が特に禁止しなかった場合を除き)には複数連盟への所属は問題がない状態でした。

一般的には現在の関西学生野球連盟の直接の母体になった関西六大学野球連盟 (旧連盟)が関西では最古の大学野球リーグとされていますが、関西六大学野球連盟 (旧連盟)が1917年結成の関西学生野球連盟を引き継いだわけではないので、決して関西六大学野球連盟 (旧連盟)のみが最古であるということにはなりません(現存しているリーグの中で、最も構成メンバーの入れ代わりが少ない状態で残っているのが、かつての関西六大学野球連盟 (旧連盟)を実質的に引き継いだ現在の関西学生野球連盟ということ事実)。1917年結成の関西学生野球連盟は、近畿学生野球連盟と関西学生野球連盟に共通のルーツ的なものです。また、関関同立各校や現在の京大、神戸大もその後、幾多の加盟・脱退、合従・連衡を経ているので、現在の関西学生野球連盟のルーツを1930年結成の関西四大学野球連盟や、さらにその母体になった1929年結成の3校対抗戦(関西六大学野球連盟 (旧連盟)を参照)とするならば、近畿学生野球連盟のルーツは1923年結成の官立三校野球連盟に求められるので、むしろ近畿学生野球連盟の母体の方が古いことになります。

終戦直後(近畿大学野球連盟の成立)
戦時命令により一時中断していた各大学野球リーグは、終戦により1946年春から順次活動を再開していましたが、1947年に大学野球の最優秀チームを決めようという気運が盛り上がり、旧関六は東京六大学野球連盟、東都大学野球連盟とともに全国大学野球連盟を結成し、この組織の下で大学野球王座決定戦を実施しました。また、1949年施行の学制改革に伴う全国組織としての新制大学野球連盟が各種の旧制学生野球連盟(「全国高等学校野球連盟」「全国専門学校野球連盟」「全国師範学校野球連盟」)を改組・再編する形で発足しました。

この中で、1947年には旧関西学生連盟の加盟校中2校が中心になり大阪三大学野球連盟として再スタートを切り、1948年の春には2校を迎え近畿五大学野球連盟と改称し、秋季には更に1校が加わり近畿六大学野球連盟となりました。また1949年の学制改革施行に伴い全国新制大学野球連盟が発足し、翌年の1950年から傘下の団体に編入となります。1951年にはさらに加盟校を6校加え一部・二部制を機に名称を近畿大学野球連盟と改めました。

近畿地区大学野球連盟の傘下時代
1952年、全国大学野球連盟が新制大学野球連盟を吸収して、大学野球の統一組織である全日本大学野球連盟が結成されました。この組織の成立に伴い、近畿大学野球連盟は旧関六・京滋の2連盟もともに全日本連盟傘下として活動しますが、全日本大学野球連盟結成時の経緯から全日本大学野球選手権大会の代表枠において、旧関六は旧制大学組として優勝校がそのまま出場できる権利がある一方、近畿・京滋の2連盟は新制大学組の近畿地区内の下部連盟という扱いとなり近畿地区大学野球連盟として出場権は1つとされました。

連合の結成時代
近畿地区大学野球連盟が関西六大学野球連盟(旧連盟)と合併し関西大学野球連合を組織します。旧近畿地区の一員として下部を構成し、近畿大学野球連盟の優勝校は、関西六大学リーグとの入れ替え戦への代表決定戦に出場しました。

連合解体・独立後
関西大学野球連合が解散し一部を再編成。全日本大学野球選手権へ代表権に関しては近畿大学野球連盟として独立しますが、連合解体直後から当面は、5リーグでの関西地区としての枠を争う形で割り当てられます。数年後には全国の再編成に伴い、関西地区各連盟と共に各連盟1代表の単独枠を獲得します。

1923年 旧制の府立大阪医科大(1931年から大阪帝国大医学部・大阪大医学部の前身)、官立神戸高等商業学校(1929年から神戸商業)、大阪高等工業学校(1929年から大阪工業大(旧制)・現在の大阪大工学部の前身・現大阪工業大とは別)で官立三校野球連盟を発足
1926年 大阪外国語学校(後の大阪外国語大・大阪大外国語学部の前身)が加盟し官立四校野球連盟に改称
1927年 関西学院高商部(1932年から関西学院大)、大阪高等商業学校(1928年から大阪商科大(旧制)・大阪市立大の前身のひとつ)が加盟し、関西六校野球連盟と改称
1928年 神戸高等工業学校(1949年に新制の神戸大工学部となる)が加盟し関西学生野球連盟(旧連盟)と改称。また大阪高等商業学校が大阪商科大に改称。京都地区では京都大学専門学校野球連盟から旧制大学が独立し、大谷大学、京都府立医科大、京都帝国大、立命館大、龍谷大の5大学で京都五大学野球連盟を設立
1929年 官立神戸高等商業学校が神戸商業大に、大阪高等工業学校が旧制の大阪工業大に改称。関西大・同志社大・京都帝国大の三大学対抗戦開始
1930年 京都五大学から脱退した立命館大を加えて関西四大学野球連盟が発足
1931年 関西学生野球連盟(旧連盟)の神戸商業大が関西四大学連盟に移籍し更に関西学院も重複加盟し、同年秋から関西六校野球連盟を開始
1932年 兵庫県立神戸高等商業学校(新制神戸商科大を経て兵庫県立大の経済学部・経営学部の前身)が関西学生連盟(旧連盟)に加盟
1933年 府立大阪医大と大阪工大が大阪帝国大として統合。秋季を最後に関西学院大が脱退
1935年 府立浪速高等学校(敷地は後の大阪大教養部北校となる・人的資産の一部は府立浪速大に移されたため、大阪府立大の前身ともされる)が関西学生連盟(旧連盟)に加盟
1937年 昭和高等商業学校(大阪経済大の前身)が関西学生連盟に加盟。浪速高等学校が関西学生連盟(旧連盟)から脱退
1941年 和歌山高等商業学校と大阪専門学校(近畿大の前身のひとつ)が関西学生連盟(旧連盟)に加盟
1942年 戦時命令により全国の全ての野球競技活動が禁止
※4:1931年に発足した同名の関西六大学野球連盟(旧連盟)の前身連盟とは別。※5:1927年に発足した同名の連盟とは別。翌年に関西学院の旧制大学昇格と共に関西六大学野球連盟(旧連盟)に改称
1946年 関西六大学野球(旧連盟)が再開
1947年 学制改革の施行が開始。旧関西学生野球連盟の構成校を中心とした大阪大、大阪商科大、大阪理工科大(大阪専門学校の系列校で近畿大の前身のひとつ)が、大阪三大学野球連盟としてリーグ戦を再開。全国大学野球連盟(東京六大学、東都大学、旧関西六大学)が発足
1948年 大阪三大学野球連盟に春季に奈良県立医科大と大阪歯科大が加盟し近畿五大学野球連盟が発足。秋季には神戸商科大(兵庫県立大の前身のひとつ)が加盟し、近畿六大学野球連盟と改称
1949年 学制改革の施行終了により多数の新制大学が誕生。全国新制大学野球連盟が発足し、第1回新制大学野球選手権大会が実施。当連盟は不参加
1950年 奈良県立医科大が脱退し入れ替わりに和歌山大が加盟。新制大学野球連盟の傘下団体となり新制大学野球選手権大会において近畿大が決勝で横浜市立大を下して初優勝
1951年 大阪学芸大(後の大阪教育大)、大阪工業大、神戸市外国語大、大阪経済大、浪速大(後の大阪府立大)、大阪外国語大(後の大阪大外国語学部)が加盟し秋季のみの入れ替え戦で一部二部制を導入。近畿大学野球連盟と改称。、従来の学生委員中心の運営方針を一変。一部を甲子園球場、二部を藤井寺球場で実施(1回戦総当り)

近畿地区大学野球連盟の傘下時代
1952年 全国大学野球連盟と全国新制大学野球連盟が合併しそれぞれが発展的解消。第1回全日本大学野球選手権大会を開催。近畿大学野球連盟は西部地区(近畿・中国・四国地区)に編入。代表決定戦で近畿大が松山商科大を下し西部地区代表として本大会に出場。春季に高野山大が加盟。秋季終了後に高野山大と神戸市外国語大が脱退し、大阪薬科大が加盟
1953年 全日本大学野球選手権大会の代表枠において近畿地区が独立。近畿大学野球連盟と京都六大学野球連盟で近畿地区大学野球連盟(以下、近畿地区)を編成、本大会には本連盟の近畿大が近畿地区代表として出場。秋季に大阪工業大が初優勝し近畿大の1948年春から続く11連覇を阻止。なお春季から一部は2回戦総当り、二部は春季のみ2回戦総当りで秋は1回戦総当りという対戦方法に変更
1955年 浪速大が大阪府立大と改称
1956年 一部の主要開催球場を甲子園球場から日本生命球場に変更
1959年 近畿大学野球連盟と旧関西六大学連盟(以下、関六)との合併申し入れが近畿大を中心にした運動として開始。8月に合併申入するものの拒否回答
1961年 9月に京滋・阪神との共同にて再たび関西六大学連盟(旧連盟)に合併申入。同年12月に申し入れ回答

関西連合の結成時代
1962年 近畿地区と関西六大学野球連盟が合併し関西大学野球連合を結成。旧近畿地区各連盟の3連盟は並列の形で下部を形成。近畿大学リーグの優勝校は関六の最下位校との入れ替え戦に出場する為の代表決定戦に出場するシステムに変更。同年春に近畿大が関六に昇格し、入れ替わりに神戸大が関六から降格して近畿大学リーグに所属。神戸大は近畿リーグ降格当初は優勝の常連校となり、1回は関六との入替戦まで進むが、2度と関六に復帰することはなかった
1966年 高野山大が再加盟
1966年 6月に大阪学芸大が大阪教育大と改称
1968年 関西学院大が関六から降格して近畿大学リーグに所属。同年秋季から阪南大が二部に参加
1969年 関西学院大が関六に昇格。奈良教育大が加盟。三部リーグが発足
1973年 関西学院大が関六から降格して近畿大学リーグに所属
1980年 大阪経済大が関六に昇格
1981年 関西学院大学が関六に昇格。入れ替わり大阪経済大が降格して近畿大学リーグに所属。奈良大が加盟

連合解散以後
1982年 関西大学野球連合が解体。それまで下部を構成していた他の2連盟とともに下部組織から独立。同時に関西地区全体の再編が行なわれ、連合解散直後に近畿大学リーグに所属していた大阪経済大が脱退し新編成の関西六大学野球連盟に移籍し、奈良大が近畿学生野球連盟に加盟。また春の全国大会への代表枠は再編後の関西地区5連盟で1代表を争う形に変更。明治神宮野球大会への出場は選手権出場連盟の代表が出場
1983年 全日本大学野球選手権大会の関西地区の出場権が2つに増枠。明治神宮野球大会は春の第1代表の代表連盟が出場
1985年 奈良産業大(現:奈良学園大)が加盟。大阪大が連合解散後の連盟代表としては初の全日本大学野球選手権大会に関西地区第1代表として出場。明治神宮野球大会の関西地区代表決定戦が実施
1989年 全日本大学野球選手権大会の関西地区の出場権が3つに拡大
1991年 全日本大学野球選手権大会の出場枠再編成に伴い単独出場権を獲得
1994年 連盟の名称を近畿大学野球連盟から近畿学生野球連盟と改める。関西地区大学野球5リーグ対抗戦を開始
1997年 日本生命球場の閉鎖・解体に伴い、球場のフランチャイズ使用の終了及び同球場内にあった連盟事務所も移転
1998年 連盟創立50周年を迎え記念誌「球跡」を発行
2002年 近畿福祉大が加盟
2003年 秋季より高野山大が脱退
2004年 羽衣国際大が加盟
2005年 太成学院大が加盟。明治神宮野球大会において関西地区の代表枠が1校増の2枠に拡大
2007年 10月に大阪外国語大が大阪大と合併したが、大阪外国語大野球部は大阪大外国語学部野球部として、大阪大とは別のチームとして連盟に残る
2008年 大阪大谷大が加盟。二部を1カード2戦固定の勝率制(引き分けも有効)に、三部は1戦固定の予備戦(総当たり戦)とその結果での上位と下位に分けた順位決定リーグ(1回戦総当り)の方式(リーグ構成が7校になったことによる変則措置)に変更。秋季より大阪大外国語学部(旧:大阪外国語大)野球部が大阪大野球部と統合し脱退
2009年 三部が6校になったことにより二部同様、1カード2戦固定の勝率制に変更
2013年 大阪観光大が加盟。再び三部が7校となったため、2008年に行われていた三部リーグの変則措置日程が復活
2016年 全日本大学野球選手権で、奈良学園大がリーグ史上最高のベスト4に進出

運営方法
加盟校数の関係から前シーズンの成績を基にした各部6校を基本に一部~三部に分けたブロック運営を行なっています。

対戦方法
一部〜三部共に春季と秋季にそれぞれリーグ戦を実施。また各シーズン終了後に各部の間で入れ替え戦を実施する。
一部:2戦先勝方式の総当たりによる勝ち点制。引き分けは再試合
二部:1カード2戦固定の総当たりによる勝率制
三部:1戦固定の予備戦(総当たり戦)と、その結果での4位までの上位と5位以下の下位に分けた順位決定リーグ(1回戦総当り)の変則方式(6校時代は二部と同方式。
※2戦先勝方式
同一の対戦校に対して先に2勝したチームがその相手校との対戦に勝利したとして対戦を終了します。1勝1敗の場合は第3戦を行い決着を付けます。

順位決定方法
勝ち点制:同一対戦校に勝ち越した場合に勝ち点1を獲得し、勝ち点が多い方が上位。勝ち点が同じ場合は全体の勝率比較によって順位を決定します。勝ち点も勝率も同じ場合で優劣の決定が必要な場合は、1試合制の決定戦を行ないます。決定戦の成績はリーグ戦の成績に加算しません。
勝率制:当該チームの全勝数を引き分け試合を除いた全試合数で割ったもの。勝率が高いチームを上位となります。勝率が同じ場合で優劣の決定が必要な場合は、1試合制の決定戦を行ないます。

入れ替え戦
各部のリーグ戦の終了後に上位リーグの最下位校と下位リーグの優勝校との間で対戦を組み、勝者チームを次シーズンの上位リーグの所属となります。敗者チームは次シーズンは下位リーグ所属となります。対戦方法は2戦先勝方式。

試合会場
かつては日本生命球場をメイン開催球場としていましたが、1996年限りで閉鎖されたのに伴い、大阪市周辺にある野球場を併用する開催形式に変わりました。現在は一部が大阪市南港中央野球場と舞洲ベースボールスタジアムを、二部が豊中ローズ球場と住之江公園野球場を、三部が住之江公園野球場や豊中ローズ球場、兵庫県立大学野球場をそれぞれ使用しています。

全国大会成績
 奈良学園大 全日本大学野球選手権大会 出場20回:ベスト4 1回
 近畿大   全日本大学野球選手権大会 出場  9回
 阪南大   全日本大学野球選手権大会 出場  7回
       明治神宮大会       出場  1回
 大阪教育大 全日本大学野球選手権大会 出場  2回
 大阪大   全日本大学野球選手権大会 出場  1回
 和歌山大  全日本大学野球選手権大会 出場  1回


コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
いやあ、もしかしていたら、この春からの注目の大学野球連盟だったかも知れません。ここは、ここで面白かったかも知れませんけど、いかんせん、遠いの一言です。

関西地区もあと一つ。押し込めば、三月中に終わりますが、とりあえず、四月までお付き合いくださいませ。
eco坊主
おはようございます(*Ü*)ノ"☀

日活ロマンポ●ノ3本立てと双璧を狙った?「何かとならんかーい」の4本立てが終了し大学野球連盟の旅再開ですね。
関西地区の4連盟目ですかぁ~どんだけ~~~~
もうほとんど大学名もわかりませんしOBも誰がいるのやら・・

歴史だけでも凄いですね(途中から斜読になったのは内緒)

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