中日ドラゴンズは11月23日に2020年のコーチングスタッフを正式に発表しました。
一・二軍巡回バッティングコーチとして、1992年から1997年まで在籍して3度の首位打者を獲得したアロンゾ・パウエルさん就任します。
これは、現役時代にともにプレーした与田剛監督が、「現役時代から交流を持っていて、僕も外国の野球に興味があって、長くお付き合いをしてきた。個人的に親しくさせてもらっていた」「野球観であったり、彼が経験したことは、うちの選手にすべてプラスになると思う。すべての選手に彼のノウハウを伝えてもらいたい」とパウエルさんの野球観などに共感しており、昨年の監督就任時から入閣を望んでいたとそうですが、2018年に就任したMLBサンフランシスコ・ジャイアンツのバッティングコーチの契約が残っており、実現していませんでした。来シーズンからフリーになるのを見越して再交渉の結果です。
ドラゴンズにとっては、懐かしい名前です。
パウエルさんは1992年5月にドラゴンズに入団。すぐさま、日本の野球に順応し、主に中軸で安打を量産。1994年~1996年には外国人選手として史上初となる3年連続首位打者を獲得。1996年には最多安打。1993年~1996年まで4年連続ベストナイン。
1998年に阪神タイガースに移籍し、シーズン途中に退団後は3Aなどでプレーし、2001年限りで現役引退。
引退後はAAAの監督やシアトル・マリナーズ、サンフランシスコ・ジャイアンツなどでバッティングコーチを務め、2017年にはヒューストン・アストロズのバッティングコーチ補佐として、ワールドシリーズ制覇に貢献しました。
MLB通算:71試合 打率.211 ホームラン3本 16打点
NPB通算:710試合 打率.313 ホームラン116本 397打点
2017年に貧打に苦しんだジャイアンツの再建を期待され、生まれ故郷のサンフランシスコの名門チームにバッティングコーチとして就任することになったパウエルさん。2018年1月1日にカレッジフットボール全米王者決定戦ローズボウルを観戦した翌日、医師から前立腺ガンと宣告されました。
当時、パウエルさんは、「私はドクターと(夫人の)ジャナを見てこう言ったんだ。『2017年は人生最高の年だった。ワールドシリーズも優勝して、ジャイアンツの一員になれるチャンスを手にした。今、私のスーナーズ(1月1日のローズボウルで敗れたオクラホマ大)は敗れ、そして、前立腺ガンになってしまった。2018年の2日目にして私は2打数0安打になってしまったんだ』」「笑い飛ばせなかったよ。深刻だったんだ。本当に信じられない状況だよ。病に悩まされたりしたことはなかった。ジャマはいつも自分は絶対に病んだりしないと話していた。自分の中で、病気にはならないと言い聞かせていた。自分はこれまでの人生で比較的に幸運だったんだ。だから、病気はしないと。ポジティブ志向のパワーなんだよ」と振り返っています。
その後の精密検査で骨にまで転移していることを診断されたというパウエルさん。病状は進行しており、手術も不可能で、夫妻は厳しい化学療法と放射線治療を覚悟していました。
しかし、ジャイアンツのチームドクターが最初の診断結果に疑いの視線を向け、再検査を行ったところ、骨への転移はなかったと確認されます。そこで、1月30日に手術を受けました。
ダイヤモンドバックスのメディカルスタッフをサポートしている医師の元、最新技術で開腹の範囲はわずか2cmで、術後2日後には退院。数週間は放射線治療のため通院することになりましたが、チームのスプリングキャンプには初日から参加できました。
現役バリバリのMLBコーチは前立腺ガンから復活し、次はドラゴンズの打撃復活に力を尽くします。