私は「地理は常に変化している現在進行形であって、歴史はもう変えようのない過去形」だと思っていましたが、過去は変わるのです。私が覚えてきた歴史はあまり役立たないかも知れませんので、太郎くんよ、私にいろいろ聞かないように。
そこで、問題です。
鎌倉幕府はいつ始まったのでしょうか?
1. 家臣(御家人)を統制する「侍所」が設置された1180年
2. 院庁(いんのちょう)から頼朝の東国支配が承認された1183年
3. 主要政治機関(公文所・問注所)が設置された1184年
4. 守護・地頭を設置し、全国の土地管理権を掌握した1185年
5. 奥州を平定した1189年
6. 征夷大将軍に任じられた1192年
ある年代以前の方は「1192年 源頼朝は征夷大将軍となり、鎌倉に幕府をひらいた」と教わり、「イイクニ(1192)つくろう鎌倉幕府」のゴロ合わせで年号を覚えたとおもいます。
さて、正解発表の前におさらいです。
鎌倉幕府が成立するまでの日本は桓武天皇により都を平安京(京都)に移して(1185年)、中央集権的な律令政治が行われていた王朝国家体制期でした。やがて12世紀中期頃には貴族社会内部の紛争が武力で解決されるようになり、そのために動員された武士の地位が上昇し、最初の武家政権である平氏政権が登場しましたが、全国同時多発内部クーデターにより、崩壊してしまいました。そして、中央政府である朝廷とは別個に内乱を収拾して東国の支配権を得た鎌倉幕府が登場し、平安時代は幕を下ろしました。
ちなみに「幕府」という意味は古来、中国で外征中の将軍が戦場で最前線に設営し、その中で作戦や軍務を執行した野営用前線本部テントを「幕府」と呼んでいました。つまり、「武官の最高位の人物が執務をとる場所」が「幕府」ということです。これが後に「組織の総称」として定着したのです。
なお、鎌倉幕府は元の襲来など激動の時代を経たのち、1333年に足利尊氏さんや新田義貞さんたちによって滅ぼされ、約150年の歴史に幕を下ろします。途中、源氏の将軍は三代で途絶えるものの、幕府自体がこれほど長く続いたのは鎌倉幕府という組織が優れたものだったかを証明しており、この政治モデルは、以降の足利幕府、徳川幕府へと受け継がれていきます。
さて、鎌倉幕府を開いた源頼朝さんは1192年に征夷大将軍になりました。征夷大将軍とは東北地方の「蝦夷族(えみしぞく)」を討伐するための臨時軍司令官でした。ただし、征夷大将軍は軍事行動に関する絶大な権限を与えられていたことから、後に武家のトップのような意味を持つようになりました。
お待たせしました。正解発表をいたします。
正解は「1~6の過程で段階的に成立した」です。
現在、高校の日本史の教科書「詳説日本史B(山川出版社)」にはこう書かれています。
頼朝は挙兵すると、(中略)関東の荘園・公領を支配して御家人の所領支配を保障していった。1183(寿永2)年には、(中略)東海・東山両道の東国の支配権の承認を得た(寿永二年十月宣旨)。
ついで1185(文治元)年、(中略)諸国に守護を、荘園や公領には地頭を任命する権利や1段当たり5升の兵粮米を徴収する権利、さらに諸国の国衙の実権を握る在庁官人を支配する権利を獲得した。こうして東国を中心にした頼朝の支配権は、西国にもおよび、武家政権としての鎌倉幕府が確立した。
その後、(中略)奥州藤原氏を滅ぼすと、1190(建久元)年には念願の上洛が実現して右近衛大将となり、1192(建久3)年、(中略)征夷大将軍に任ぜられた。こうして鎌倉幕府が成立してから滅亡するまでの時代を鎌倉時代と呼んでいる。
つまり、「何をもって鎌倉幕府が成立したと考えるか」の定義が明確ではないのです。幕府による実効支配体制は征夷大将軍に任命されるより前の1~5の過程で少しずつ出来上がってきたのが実態です。
その中でのポイントととして、軍事・警察権を掌握する「守護」と年貢の徴収や土地管理を担当した「地頭」を任命する権利を頼朝さんが得たこともあり、4の「1185年の守護・地頭の設置が幕府の成立年である」とする考え方があるのは事実です。ですから、「1185(いい箱)つくろう鎌倉幕府」と習った人もいると思います。
ちなみに、6の征夷大将軍に任じられた1192年は実質的に出来上がっていた幕府の体制が完成した年になるそうです。
この問題は研究によって解釈が分かれているそうで、「ある特定の出来事、年代を指して鎌倉幕府が成立した」と考えるのではなく「段階的に成立していった」と考えるのが今の歴史学の「標準的な見解」になるそうです。
また、源頼朝さんといえば有名な肖像画がありますが、近年の研究では絵そのものが作者といわれる藤原隆信さん本人の筆によるものでない可能性が指摘され(室町幕府を開いた足利尊氏さんの弟の足利直義さんの像ではないか)、かつてはどの教科書にも源頼朝像として掲載されていたこの肖像画は姿を消してしまいました。
自分で新たな歴史を掘り起こしてみるのも面白いと思います。きっと、学校時代に習った日本史とは違う日本史になっていることでしょう。
コメント一覧

まっくろくろすけ

eco坊主
最新の画像もっと見る
最近の「日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事